超絶ラッパ録音!1923年のワルターによるチャイコフスキー"悲愴"の世界初録音
フルトヴェングラーと並んで今日でも敬愛されている20世紀を代表する名指揮者ワルターは膨大なレコードを残していますが、チャイコフスキーの「悲愴」生涯にただ1枚しか残していません。しかも1920年代のラッパ吹き込みで2017年現在は廃盤、それを耳にする人は皆無に等しいでしょう。ラッパ吹き込みで正規に管弦楽が録音されたのが1909年、手持ちの資料ではポリドールのザイドラーヴィンクラーが「悲愴」の第2楽章のレコードを録音したとされていて、それは1910年代中頃と推定されます。その当時は交響曲録音は部分録音、あるいは大幅な短縮によるダイジェスト録音がなされており、その後の電気吹き込み登場による再録音のために殆どが廃棄されました。ワルターによる「悲愴」はラッパ吹き込みの全曲録音であり1925年3月とされていますが、実はそれは発売日であり、平林氏の「クラシック名曲初演&録音事典」では録音から発売までの一般的な時差を勘案して1924年秋とされています。他方フリーダーワイスマンの「悲愴」録音が1923年6月から1924年1月とされているので、録音完成を以て録音日とされるのでこれは1924年1月の録音と言う事になり、この録音が世界初録音とされています。他方ワルターは1922年にニキシュ死後のベルリンフィル指揮者争奪でフルトヴェングラーに敗れ、またある筋の策謀によってミュンヘン州立歌劇場を追われて、以後3年間の"渡り鳥指揮者"になりました。その時期にベルリン国立歌劇場管弦楽団、ベルリンフィルを指揮してポリドールに、またロイヤルフィルを指揮してコロムビアに30タイトル余りのレコード録音を行ないましたが、ポリドールの録音記録は空襲によって失われました。戦後ドイツグラモフォン社による調査によって、幸いワルターの録音年は同社のディスコグラフィーに明記されています(音楽之友社:ドイツグラモフォン完全データ・ブック[1998])。それによるとワルターの「悲愴」録音は1923年、従って世界初録音である事が明らかになりました。それは彼が悲運に襲われた翌年であり、録音はポリドールが誇るマルチラッパ方式で行われていて、GHA蘇刻がもたらす初期の電気録音に迫る鮮明でダイナミックレンジが広いサウンドによって、我々が聞く彼の温和な音楽ではなく後年ウイーンを追われた時の告別演奏であるマーラー:交響曲第9番に通じる、絶望と怒りが渦巻く様な激しい演奏を聞く事が出来ます。(1/2)
発売・販売元 提供資料(2017/04/26)
<制作者のバイオグラフィー>
1967年九州大学大学院を修了。日本ビクター(株)研究所・音響情報研究室長、武蔵工業大学・教授、東京大学先端科学技術研究センター・客員研究員を歴任し、2017年現在は日本女子大学文学部・客員研究員として音文化の研究を行なっている。高校時代よりオーディオに取り組み、大学・大学院で電子通信工学を学んで日本ビクター(株)に入社後はプロのオーディオ研究者に転向。入社後10年以上に亘って録音スタジオやレコード技術部門と連携して音楽録音技術とアナログレコードの研究に取り組み、4チャンネルレコードCD-4の基本設計とレコードカッティング/トレシング歪みの研究で工学博士を取得。ディジタルオーディオ時代以降は大学時代の音声合成認識研究の延長としてディジタル信号処理研究に取り組み、非調和周波数解析GHAの研究と実用化を行なった。また、ビクター研究所では真空管を含むアナログ電子回路と回路網理論を専門として音響用特殊電子機器の開発の開発に携わり、大学では音響工学と電子回路工学の教育に携わった。大学時代から吹奏楽とオーケストラに参加してプロの音楽家との交流を通じて音楽を独学し、業務で修得した録音技術を駆使して60枚以上のGHA蘇刻CDを含む240枚を越えるCDを制作して今日に至っている。(2/2)
発売・販売元 提供資料(2017/04/26)