| フォーマット | SHM-CD |
| 発売日 | 2016年09月07日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| レーベル | DG Deutsche Grammophon |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | - |
| 規格品番 | UCCG-51028 |
| SKU | 4988031166642 |
構成数 : 1枚
合計収録時間 : 00:50:33

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フリッチャイがその天才を全部生かしきれないで早世し、この悲愴は術後最初の、グラモフォン最初の悲愴ステレオ録音だそうな。
正直名演だと思う。そして録音されたときの情況を加味して聴くとこれはもう最高の悲愴と言ってしまう。でも最初聴いたときからこの演奏はどうしても全部楽しんで聴けた、というわけではない。
私は大学の教員をしていた時分、よく授業の前にジュリーニ・フィルハーモニア管の悲愴を聴いていったものだ。悲愴を聴くと妙に落ち着いて自信が持てるのである。明るい気分になる。悲愴交響曲にはそういう側面もあるのだろう。
ところが、フリッチャイのこの演奏では授業に行く気になれない。
なぜ、オーケストラはベルリンフィルではないのか。
第1楽章は特に私と馬が合わない箇所がある。
本人も1楽章を録れ直したくてお蔵入りしていたレコードであるという。
今ではどうしようもないがそういうレコードを早世物語をくっつけて売ろうとするのはどういうものか。
今再びフリッチャイの悲愴を聴きながらそんなことを考えている。