ムターを始め名手を揃えた豪華メンバーによるこれらの曲の代表的演奏。初期ベートーヴェン作品の真の姿に迫る名演。

各楽器のトップ・ソリストが1988年1月にパリで顔を合わせた、一期一会、壮大華麗な弦楽三重奏演奏です。ドイツのヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムターは当時24歳。彼女の"後見人"だったカラヤンはまだ存命中で、今日のような妖艶甘美な演奏スタイルではなく、真摯で率直な音楽性を示していました。イタリアのヴィオリストのブルーノ・ジュランナは当時54歳のヴェテランで、ソロ活動の傍らパドヴァ室内管弦楽団の音楽監督の重責も担っていました。ロシア出身のチェリスト、ロストロポーヴィチは当時60歳。チェロ奏者として、指揮者として最円熟期を迎えていましたが、母国はまだ共産主義体制で旧ソ連からの亡命者として音楽活動を行っていました。つまり、生まれた国も育ってきた音楽的環境も異なる3人が、それぞれにとっての異国であるフランスで、東西冷戦終結直前に、時空を超えた自由人であるベートーヴェンの音楽を録音したのがこの1組ということになります。今日であれば、各自のスタイルを存分に発揮したコラボレーションとなるところですが、この録音の三人は「音楽は国境を越えた共通言語」とばかりに各自のスタイルを超えたコスモポリタンな演奏態度を示しています。様式的統一の手綱を握っているのはロストロポーヴィッチで、ちょうど彼がリヒテルと共演したベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集のように、ゆとりのあるテクニックと美しい音色を背景とした、譜面で忠実でいてスケールの大きな合奏を成し遂げています。室内楽演奏のヴェテラン、ジュランナも直截なスタイルと意味深い合わせでそれに呼応し、今や個性派となったムターも楽曲にひたすら献身する姿勢で鮮烈に、迸るように旋律を歌います。三者のこの録音にかける意気込みは、CD1の冒頭をほんの数秒聴いただけで明らかでしょう。また、録音が三者の弦の音をナマで聴いているような生々しさと柔らかさで捉えているのも魅力で、とくに弦楽器好きにはたまらないことでしょう。音楽的にも、技術的にも、そして録音面でも、永遠の規範となるような弦楽三重奏の名盤です。国内盤では約8年振りの再発売となります。

タワーレコード （2015/11/05）