初期フィルハーモニア管弦楽団を育てた指揮者達
イサイ・ドブロウェン
第一次大戦で多くの音楽家を失ったイギリスは、第二次大戦では優秀な若手演奏家を軍の音楽隊(オーケストラ)に隔離し守りました。戦後レッグがレコーディングを念頭に設立したフィルハーモニア管弦楽団の主要メンバーに彼らが加わったのは当然で、フィルハーモニアは最初から優秀なオーケストラでした。まだベルリン・フィルやウィーン・フィルが戦後の再建で苦しんでいる頃、1952年の演奏旅行時には世界最高のオーケストラと称えられています。当初からEMI(Columbia, HMV)の看板オーケストラであり、モノラル時代も優秀録音が揃っています。モノラル録音にはEMIで未CD化のものも多くありますが、非常に貴重な録音がCD化されたことになります。当シリーズの第1弾はイサイ・ドブロウェン、彼はフーベルマン(OPK2025)やヌヴー(OPK2064)との協奏曲録音でオーパス蔵では馴染みの指揮者です。
設立早々のフィルハーモニアのレコーディングのレパートリーについて、レッグは主に協奏曲や歌手の伴奏にとどめて、オーケストラ曲は限定していた。1940年代後半にはまだ、ウィーン・フィルを一流指揮者の指揮で使うことができたためもあるが、アンサンブルを熟成させる必要も感じていたのだろう。わずかな交響曲は、オーケストラを教育する力を持つ、有能かつ有望な指揮者のもとでのみ録音させたと、のちに回想している。だから、そのフィルハーモニア最初の交響曲録音の指揮者に選ばれたのがドブロウェンだったという事実は、レッグがこの指揮者に何を期待していたかを、雄弁に物語っている。ベートーヴェンの協奏曲に続いて1946年6月に録音された、チャイコフスキーの交響曲第4番がそれである。続いてベートーヴェンの第5番(未発売)とハイドンの《ロンドン》、さらに2か月後にはヌヴーとの有名なブラームスの協奏曲と、ショーソンの詩曲が録音された。フィルハーモニアの録音セッションには1948年にカラヤンが登場、翌年にはフルトヴェングラーとベームも加わる。約50人の二管編成のオーケストラからフル編成の交響楽団に発展したフィルハーモニアは、デッカに奪われるウィーン・フィルに代って、レッグの最重要の録音オーケストラとなることになる。その下地を築いたオーケストラ・トレーナー陣が、ガリエラやクレツキ、そしてドブロウェンだったのだ。このCDに含まれているリムスキー=コルサコフの2曲は、フィルハーモニアとの生前最後の録音であると同時に、ボリス・クリストフを外題役にフランス国立放送管弦楽団を指揮して録音した《ボリス・ゴドゥノフ》(1952年7月録音)とともに、ドブロウェンの代表作とされるものである。セッションは、《皇帝サルタンの物語》が1952年12月6日にキングズウェイ・ホールにて、続いて《シェエラザード》が17、18、21日と翌1953年1月5日にアビー・ロード・スタジオで行なわれた。どっしりした響きの安定感、初期フィルハーモニアならではの管と弦の名人たちの独奏(ヴァイオリンはコンサートマスターのマヌーグ・パリキアンだろう)を引きたてつつ、骨太の迫力を持つ音楽をつくりあげる手腕は、なまなかなものではない。(山崎浩太郎~ライナーノーツより)
キングインターナショナル
発売・販売元 提供資料(2013/09/03)