戦前から戦後にかけてフランス楽壇を中心に活躍していた花形ショピニスト、スタニスラフ・ニジェルスキのアルバム。 (C)RS
JMD(2011/08/11)
50年代に一世を風靡した伝説の名ショピニスト、ニジェルスキ
林 秀樹(はやしひでき)
現在ではその名が殆ど口に上ることはないが戦前から戦後にかけてフランス楽壇を中心に華々しく活躍し江湖の喝采を博していたポーランド出身の花形ショピニストがいた。スタニスラフ・ニジェルスキ(1905~1975)である。当時のパリ楽壇には多士済々、綺羅、星の如く居並ぶ名ピアニストが鎬(しのぎ)を削っていたが、パリのプレイエル楽堂の入場料を眺めてみるとニジェルスキの人気の高さが推察される。例えばボロヴスキーやスメテルリンが600フラン、ダルレが800フラン、そしてエドウィン・フィッシャーが1000フランであったのに対しニジュルスキーは1100フランであった。我が国では彼の音盤は発売されなかったことから彼に触れた記事は殆どないが、たまたまこの復刻CDのオリジナルLP録音を行った頃の演奏会プログラムを紹介した記事がある。『ショパン弾きとして有名なニジェルスキは、(1952年)11月21日プレイエル楽堂で、これもショパンばかり弾いた。即ち、ポロネーズ嬰ヘ短調、バラードヘ長調、奏鳴曲ロ短調、幻想曲ヘ短調、二つの夜想曲、円舞曲嬰ハ短調、六つの練習曲作品10及び25という曲目であった。(フランス便り/石川登志夫・ディスク昭28/3号)』。欧米のショーンバークやシャシンスらによるピアニストに関する書籍にもニジェルスキの名は見つからないが、英国のピアニストであり評論家でもあるジェームズ・メツェツン・キャンベリがその著《CHOPIN PLAYING(1981)》のなかで彼の「葬送」ソナタの演奏並びに藝風全般について次のやうに述べている。『パデレフスキの弟子であるニジェルスキには戦前から1950年代にかけてかなりの熱心な信奉者が存在した。彼はショパン作品を主たるレパートリーとしていたが、実に明晰で鋭敏な運指技巧を所有していた一方で、時折垣間見える奇抜な演奏表現が彼の揺ぎ無い成功の獲得を妨げていた。また彼は本来早いテンポを好み30年代に録れたマヅルカはいずれもかなりテンポを速くとった演奏である。しかし彼の「葬送」ソナタの解釈は実に説得力があり彼の卓抜した技巧が詩的な感情表現と完全なまでに一体化している』。
グリーンドア音楽出版
発売・販売元 提供資料(2011/07/21)
(解説続き1)
ニジェルスキの生地での最初の師はユゼフ・シリヴィンスキ(Józef Śliwiński 1888-1962)であった。彼はレシェティツキとアントン・ルービンシュタインに師事し、第1次世界大戦前はジェヴェツキ、ミハウォスキとともに《ワルシャワの三大ピアニスト》と称えられたショパンの歴史的名演奏家で、その演奏は詩情と幻想性に富みとりわけ「葬送」ソナタは絶品と讃えられた。ニジェルスキはこの名教師スルウィンスキの次に当時スイスに住んでいたパデレフスキの薫陶も受けている。その後、彼は急速にショピニストとして名を成し、とりわけ上述のマヅルカのSP盤はパッハマン、パデレフスキ、フリードマンらの録音盤に比肩するものとして高い評価を得、『詩人でありポーランド人であるニジェルスキはまさにマヅルカの演奏家として適任者である。郷土色に溢れた舞曲を再創造した作品の真諦を自由で即興的な雰囲気のなかニジェルスキほど的確に表現し得たピアニストはいない。(英グラモフォン1931/2)』と絶賛されている。ロンドンでのデビュー・リサイタルは20歳を迎えた1925年で、1928年にはゴッドフレイ卿の指揮するボーンマス交響楽団との競演でシリル・スコットのピアノ協奏曲第1番を弾いている。また1930年1月18日にはマドリードでホアキン・トゥリーナのスペイン物語第2集作品47の初演を行い、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドを楽旅するなど国際的な演奏活動を繰り広げた。その後、戦争での中断を挟み欧州楽壇での活躍を再開、1950年にバーミンガムでコンサートを行ったときはピアノを載せたトレイラーを牽いて移動したという、かのホルヘ・ボレットと同様のエピソードが残されている。パリを中心にショパンの名演奏家として人気を博した彼も50歳代後半に入ったばかりのころからなぜか演奏活動の第一線から姿を消してしまいアフリカでの演奏活動中に感染した熱帯病で1975年に死亡した。
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(解説続き2)
ショパンの「葬送」ソナタはSP以来、凡百の演奏が残されており、筆者が聴き得た100余の録音でも作品に真摯に対峙しその深奥を究めたと思われる演奏は、自動ピアノのヨゼフ・ホフマンを別格とするとせいぜい五指に満たない。コルトー(1934年録音)、ウィリアム・カペル、ベネディティ・ミケランジェリ(1960年録音)、マックス・エッガーそしてニジェルスキである。ニジェルスキのショパン演奏に特徴的なのは尋常一方ならぬ作品への理解と愛情、融通無碍のテンポと独自のアーティキュレーション、そして柔和豊麗な音色である。「葬送」ソナタの第一楽章の第二主題を、となりあう音と音がお互いに流れこんでいるやうに連なる絶妙のレガートで途切れさせずテンポを落としてロマンチックに歌い上げた例は他に知らない。また第二楽章の末尾にリタルダンドをかけ、余韻嫋嫋、楽章を終えるのも実にユニークである。また白眉の第三楽章「葬送」では「天上よりの晴朗な旋律」を病的なほどの最弱音と緩やかなテンポ(演奏時間10分14秒は最長記録を争うのではないか)で歌う。最終楽章では彼の超絶技巧と独特のアーティキュレーションを駆使し墓場に吹き抜ける不気味な突風を眼前に髣髴とさせる。練習曲集の演奏は全般的にテンポを遅目にとりそれぞれの曲の楽想を実にきめ細かく表現しているが緩急の差が大きく躍動感に溢れ弛緩したやうな雰囲気は全く感じない。かの《別れの曲Op.10-3》は5分以上も(おそらく録音史上ニジェルスキのみではないか)かけてメロディラインを際立たせ艶麗に歌い上げる。《大洋Op.25-12》ではダイナミズムの幅を広くとり左手の重量感のある和音が凄絶なまでの迫力を醸し出す。《両手のオクターヴの練習曲Op.25-10》」では超絶技巧を惜しみなく開陳する。オクターヴをレガートで弾く曲であるがこれほど美しいレガートを現代のピアニストから聴くことは稀である。《玉をころがすやうにプレストで弾く練習曲Op.25-2》では微妙にテンポが揺蕩い音の連なりに機械的な臭みを感じさせない。《黒鍵Op.10-5》では鍵盤を愛撫するが如く実に軽やかな響きを奏で、新エチュード第3番では曲を単なる「リズムのための練習曲」にせずテンポ・ルバートを駆使しリズムを活気づかせメロディを麗しく歌っている。
グリーンドア音楽出版
発売・販売元 提供資料(2011/07/21)
(解説続き3)
一流のショピニストとして高い人気を博したニジェルスキがなぜ壮年期に演奏活動の第一線から姿を消してしまったのかその理由は推測するしかないが、60年代以降のショパン演奏の傾向はピアニスト自身の表現の幅を抑え、より単純に、良くいえば「自然に」弾く方向に向かい聴衆の嗜好も変化しニジェルスキの情感溢れる濃厚な表情の付いた表現が飽きられて急速に人気を失い凋落していったということであろう。
『フランスで大喝采を受けた〈小売商の巨匠※〉』ニジェルスキの藝術は今や殆ど忘れ去られようとしているがここに彼の文字通り「墓碑銘」となった「葬送」ソナタと練習曲集を含む稀覯LPがCD復刻されピアノファイルの再評価の機会を得たことはショパン好きの筆者としては誠に欣快に絶えない。
※才能の点でたとえ噴飯ものでも宣伝の才にたけ高度なものを要求しない大衆を大動員させられる芸術家のこと(ヴァルドルフ著「ものがたりショパン・コンクール」音楽の友社)。
グリーンドア音楽出版
発売・販売元 提供資料(2011/07/21)