20世紀後半を代表する名テナー、ゲッダの85歳を記念するアンソロジー
ハリー・グスタフ・ニコライ・ゲッダは1925年7月、スウェーデンの音楽ファミリーに生まれた。父のミハイル・ユスティノフはロシア生まれで1928年にはライプツィヒでロシア正教会の合唱指揮者となった。ゲッダは子供の頃から音楽に親しむ一方、語学に恵まれ、自由に5ヶ国語(ドイツ、英、フランス、スウェーデン、ロシア)を話せたという。変声期後、風呂場で軽く、高いテナーであることを自ら発見したといわれるゲッダはプロの道を行くつもりは無く銀行員となった。顧客であった王立オペラの演奏者からスウェーデン最高の音楽教師といわれたエーマンとのコンタクトを進められ、24歳でエーマンの弟子となり2年後ストックホルムの王立音楽院にスカラシップ付きで入学、本格的に音楽の勉強を開始した。1952年4月8日、アダンの「ロンジュモーの郵便屋」主役でデビュー、センセーションはロンドンに伝わり、ドブロウェン指揮、ボリス・クリストフ主役のムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」のドミトリー役で録音の機会を与えられた。彼の高く軽やかなテナーはバッハにも適性を認められ同年のカラヤン指揮「ロ短調ミサ」録音にも起用され、15年後にはクレンペラー指揮の同曲でも起用されることとなった。ゲッダは知性的な歌手であり、自身の声質の適性を見極めて不適当と判断した役柄には手をつけず、ワーグナーでも「ローエングリン」はレパートリーとしたが他のワーグナー作品には参加していない。オペラの役柄に制限を課す一方で、オペレッタや、ミュージカル作品には親しみ、リヒャルト・タウバーの後継者と言われた。またジーリやスキーパからもリリカルな優雅さとデリカシーを継承している。トップ・ソプラノとの共演でも指名されカラス、デ・ロス・アンヘレス、シュヴァルツコップとのオペラ録音、ローテンベルガーとのオペレッタ録音が残された。
今回のICONはモーツァルト、ドニゼッティ、プッチーニ、ビゼー、マスネの名アリア、シューベルトのリートなどが、彼の語学の天分を反映して、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、英、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、スペインの各国語を駆使した録音で収録された11枚組となりました。 [コメント提供;EMIミュージック・ジャパン]
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