フランスの大女優J.モローと才人ルイサダという、異色の共演で話題を呼んだサティ&プーランク作品集!
その独創的センスで聴き手を虜にするルイサダが、名女優J.モローを迎えて共演を果たしたサティ&プーランク作品集。ルイサダならではの選曲の妙が光るサティは、モローの美しいフランス語の調べがルイサダの詩的なピアノにしっとりと寄り添い、宝石のような美しさを醸し出し、プーランク最高峰の作品「ぞうのババール」も2人の芸術家の手により、その魅力を2倍にも3倍にもしています。
タワーレコード(2009/04/08)
"『ルイサダ、サティを語る』
サティの作品に関しては、私はためらわずに《スポーツと気晴らし》と、他に《ジムノペディ》、《グノシエンヌ》、そして録音の間を通してオスティナートのように繰り返される《ヴェクサシオン》からのライトモティーフを選んでいた。この曲はいわば強迫観念的なもので、サティの意図を尊重しようとすれば、その(サティによるところの)「正規の」持続時間、つまり24時間を達成するためにはそれを840回繰り返さなければならないのだ。だから私たちは、ヴェクサシオンを終始バックグラウンドとして使い、ピアニストが別の部屋で弾いているかのようにそれを断片的に取り上げることにした。 ジャンヌ・モローとの仕事は私にとってすばらしい音楽のレッスンとなった。私はヴァイオリンかチェロの優れたソリストと共演しているような、絶妙な楽器と完全に一体となって演奏をしているような感じがした。彼女はテキストを読むとか演じるというよりも、むしろそれは彼女から自然に発散するようなもののように思われた。そしてその声は驚くべきことに、まぎれもなく彼女自身のものでありながら、コミカルにあるいは打ち沈んで、また熱っぽくあるいはひややかに、心情を吐露し魂の内奥を漏らすサティの声でもあった。ジャンヌは私をさらに一層の単純さの方向に、むしろ強引に向かわせた。彼女によって私ははじめて裸のままの言葉というものを理解し、自分の感情を抑えることを学んだのであった。(訳:エムアンドエムインターナショナル㈱,補訂:井上まさみ~POCG-1858解説書より)
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『J.モロー、プーランクを語る』
私は《ババール》を知りませんでした。それは楽しい作品です。ジャン・ド・ブリュノフとフランシス・プーランクのふたりは、自分たちが大人だということを十分承知しながら自分たちが語りかける子供たちを大事にし、同時に何かにつけてお互いに心を引き合っている、そんな子供の心のまま大きくなった大人のように感じられます。いずれにせよ、正直言って《ババール》の語りをするのは私にとって相当勇気のいることでした。それに比べるとサティは何でもありませんでした。私は1歳半の男の子とその6歳の姉とを思い浮かべました。そしてその子たちに私は話しかけているのです。 ジャン=マルク・ルイサダとのこのレコーディングのおかげで、私は音楽に対する親近感を再発見しました。というより、そんなものが私の中にあることに今まで気づかなかったのかもしれません。私は最初ダンサーになりたかったのですが、女優になり、歌も歌ってきました。今、私は最高の言語は音楽であることを知りました。今度生まれ変わっても
発売・販売元 提供資料(2009/04/08)