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| フォーマット | 書籍 |
| 発売日 | 2007年10月10日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| 出版社 | 筑摩書房 |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | 文庫 |
| SKU | 9784480091109 |
構成数 : 1枚
第1章 たえざる視覚の収奪
記録という幻影―ドキュメントからモニュメントへ
グラフィズム幻想論
現代芸術の疲弊―第七回パリ青年ビエンナーレに参加して ほか
第2章 日付、場所、行為
カメラはペシミズムを背負って―1967.6
ミケランジェロ・アントニオーニ監督『欲望』
素朴な記録への回帰を―1968.6
D・D.ダンカン撮影のヴェトナム戦争報道写真
美学の崩壊―1968.7
写真一〇〇年
日本人による写真表現の歴史展 ほか
第3章 今日、見るとはなにか
何をいまさらジャズなのか―場論序説
アフリカから帰る
舞台の上、スクリーンの上の裸の直接性を ほか
映像のあいまいさを否定せよ!
映像に情緒性・人間性は不要だ。図鑑のような客観的視線を獲得せよ!
日本写真の60?70年代を牽引した著者の幻の評論集。
【解説:八角聡仁】
写真にとって表現とは何か、記録とは何か。1960年代後半から70年代にかけて、ラディカルな思考と実践を貫きながら激動の時代を駆け抜けた写真家が、自身の作品と方法の徹底的な総括を通して、来るべき時代の表現を模索する写真+映像論集。写真は「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」ものでなければならないとし、"ブレ・ボケ"との訣別を宣言する表題作「なぜ、植物図鑑か」ほか、メディア社会における"芸術と政治"への先験的考察は、今も伝説的に語り継がれる。原著刊行から30年余を経て待望の文庫化。

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