★日本人初となる全曲録音を成し遂げた記念碑的ディスク!待望の初CD化!
豊田耕兒はパリ音楽院卒業後、エネスコやグリュミオーのもとで研鑽を重ね、1962年からの17年間はベルリン放送響のコンサートマスターとして、同オーケストラをリードしました。また、グリュミオー率いるグリュミオー弦楽四重奏団のメンバーとしても活躍、録音も残しています。1971年に録音されたこのバッハは、日本人初の全曲録音盤として燦然たる輝きを誇る記念碑的ディスクです。端整なフォルムと微妙なニュアンスを正確無比に表現する技巧は、名門オーケストラをリードした経験に裏打ちされた高い芸術性を示したものです。
タワーレコード(2009/04/08)
バッハの無伴奏曲。この一挺のヴァイオリンに課せられた華麗で重厚な音楽(元々一挺のヴァイオリンでは無理かもしれない)を録音するという意味で考えたとき、楽器の録音処理はバルトークやコダーイの時と同一ではないはずである。しかし録音のための音場を選定するにあたって、曲想に適したと言うより、まず演奏者と楽器が創り出す音色、音感が最上の状態で得られることを第一とするのは、まったく正しい判断である。演奏家は曲想によって、彼自身の投影をも含めて、作曲されたものを演奏する。従って、音場が同一であっても、録音側で意識的に何かを作り出すのは全く危険なことで、演奏自体を録音と言うプロセスを経てもなお、録音されたものであると言う観念を超えたものをまず創り出すべきであると思うが、その上にディレクターの音楽的意識が投影して来るのは、録音のためのスタッフとして存在している以上当然なことでもある。 それ故、如何なる名演奏であっても、ディレクターの音楽的意識が演奏の些細な表現の変化と、それに伴う内面的流動とに鋭敏に感応しない限り、名演奏の録音は単に音楽の記録にとどまり、時には逆の効果さえも出てくることもあり得るのである。このようにディレクターは、常に作曲家と演奏家との間に立たされているが、今度のバッハの曲の場合、井阪ディレクターの位置は、バッハの側より、むしろ豊田耕児の側に近いところに存在しているようである。これはこれで一つの行き方である。ディレクターの豊田への傾斜が無意識に、そのような位置づけをしたのであろうが、前述のように、意識的に、バッハに近づくと言う、作為的なものが出てくる危険性からは遠くなり、かえって豊田のバッハ研究に共感しての録音が、透明度の高い、素朴で美しい音楽の世界を創り出したと考えられるのである。言葉をかえれば、1700年製のガルネリが豊田耕児の真摯な演奏と井阪ディレクターの録音芸術創造への情熱によって、バッハの曲想の中で、今や無形の美しい変態を遂げているのである。(オリジナルLP[VX-70/2]ライナーノーツ~山崎 謙氏)
タワーレコード(2009/04/08)