クラシック
CDアルバム

Beethoven:Symphony No.9 (7/29/1951):Wilhelm Furtwangler(cond)/Bayreuth Festival Orchestra and Chorus/Elisabeth Schwarzkopf(S)/Elisabeth Hongen(A)/Hans Hopf(T)/Otto Edelmann(B)

4.6

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フォーマット CDアルバム
発売日 2007年05月19日
国内/輸入 輸入
レーベルOtaken Records
構成数 1
パッケージ仕様 -
規格品番 TKC309
SKU 2000000219516

構成数 : 1枚
合計収録時間 : 01:14:00
Festspielhaus, Bayreuth, Germany

【曲目】
ベートーヴェン: 交響曲 第9番 「合唱」 ニ短調 作品125
【演奏】
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)、バイロイト祝祭管弦楽団 及び 合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、エリーザベト・ヘンゲル(コントラルト)
ハンス・ホップ (テノール)、オットー・エーデルマン(バス)
【録音】
1951年7月29日 バイロイト祝祭劇場 (ライヴ)
音源:プライベート・アーカイブ

  1. 1.[CDアルバム]

作品の情報

商品の紹介

またもやフルトヴェングラー、バイロイトの第九
今度は腰を抜かさんばかりの高音質
おお友よ。これまでのような音ではなくもっと良い音の「バイロイトの第九」を。
この度、さる信頼できる筋から提供されたこのCDの原盤となった音源は、某製作関係者が所持していた予備マスターのデジタルコピー、とのことです。通常、レコーディング時には本番マスターとは別に予備マスターを製作し、別所に保管して本番マスターのトラブルに備えますが、その意味では「バイロイトの第九」にも予備マスターが存在しても少しも不思議はないと言えます。予備マスターは通常、本番マスターのコピーかサブ・レコーダーによる同時録音によって製作され、本番マスターより音質的には劣るとされています。ところが「バイロイトの第九」のような超人気録音となると、ちょっと事情が違ってきます。おそらく「バイロイトの第九」の本番マスターは、世界各国で再版が繰り返される度に酷使され、今日においては相当劣化しているものと思われます。それに対し、この予備マスターが仮にその初期段階においてコピーされたものであり、しかも良条件で保存されていたものであるとするなら、今の段階ではその音質は本番マスターのそれをはるかにしのぐものと推定されます。はたして、それが腰を抜かさんばかりのすぐれた音質であることを確認するのに時間は要しませんでした。今回、この音源をCD化するに際し、せっかくですから多少の修復は施しましたが、デジタル的改ざんは一切していないことはこれまで通りです。そしてこのようにして完成された本CDの音質は、既出盤のそれとは全く異次元のものであることは言うまでもありません。OTAKENの「ルツェルンの第九」(TKC307)を聴かれた方は、オケ部と声楽ソロ部においてその音質に準ずるかそれに迫る勢いの音質、と言えば想像して頂けましょう。この「音の世界遺産」ともいうべき貴重な音源による「バイロイトの第九」は、広くすべての音楽愛好家が末長く聴いていただくに足る「必携盤」であると同時に、ファン・研究家の方々には、又ここからあらゆる論議を始めていただくための「必聴盤」でもあるのです。まずはともかく御一聴の程を。この世紀の名演の完全復活を、皆様方とともにお喜びいたしたく存じ上げる次第です。[オタケンレコード 太田憲志氏;コメント提供;東武トレーディング]
発売・販売元 提供資料(2009/04/08)

メンバーズレビュー

13件のレビューがあります
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既成盤より良くなった?と思える箇所もありますし、これからは『バイロイトの第九』と云えばこの盤を聴く機会も増えるでしょう。でも同じと思える部分も多いし、周波数特性を測ってみるとEMI盤と殆ど変わらずピークも同じ所に出る。どういうワケ?
2007/07/02 N.Uenoekiさん
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近頃の復刻競争は凄まじいの一語に尽き、流石のフルトヴェングラー党も、いささか辟易するところがありますが、このオタケン・レコードのバイロイトの第9は、一聴たちまち驚嘆!しました。文字通り、次元が違う音であり、単にリアルというのでなく、当日の異様なまでの興奮が、CDでは初めて捉えられたと言っても過言ではありません。プライヴェート・レーベルMYTHOSのプログラム付き復刻盤にも優る衝撃のCDです。
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仮眠から目が覚めても起き上がれなくて、ベ―ト―ヴェン第9第3楽章で管弦楽団を聞き比べをしていたら、フルトヴェングラー指揮の演奏は、テンポがゆっくりでありながら、哲学的な楽曲分析だからか、よく聞かせる名演奏だった。私が寝室に使用している和室も吸収して記憶が残るほどの不朽の名演なのだ。その不思議を知りたくて、先ずはWebで調べた。シェンカ―の誕生日(1868年6月19日)のことだった。
フルトヴェングラーは、妹が哲学者と結婚していて、父親は考古学者だった。日本では、かつて”フルヴェン“と呼ばれ、別格化されていた。私は、理屈っぽい雑談が苦手なので、蘊蓄を傾けるのが好きな集まりは何となく避ける傾向がある。それ故、この別格化がどういうものかは触らずに来た。御本人については、第一次資料で知りたいのである。
今様は、時代の反映か、スマ―トな仕上げの演奏が少なくない。私も、気忙しい生活を相変わらず送っているからか、テンポが早めの演奏や、磨き抜かれた楽音が心地よい場合が多い。
しかし、心身に浸透していく演奏となると、僥倖としか言いようがない頻度で、耳をひらく演奏と愛聴する演奏は違う。
フルトヴェングラーは、『Beethovens Neunte Sinfonie』を読み、著者である音楽学者シェンカ―に深く共鳴し、自分が指揮する古典作品をできる限り、シェンカ―と共に研究した、とあった。
“良心の重大な責務として、いかなる誤りにも立ち向かいたい。誤った道が残されている限り、真実の描写だけではまだとうてい人々の役に立たず、充分でないのだろう。”
“我々は、精神的盗賊騎士❲Raubritter❳に溢れた厳しい時代に生きている。”
(ハインリッヒ・シェンカ―著『ベ―ト―ヴェンの第9交響曲[分析・演奏・文献]』より)
序文以外は私には難読だったのが遺憾である。
本盤をブリュッセル帯同時に専門店Marksoundで購入してから約18年後の出来事だった。
ハインリッヒ・シェンカ―Heinrich Schenkerの祥月命日(1935年1月13日)に。
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