ギレリスVSコンヴィチュニー、ケーゲル
モーツァルトとチャイコフスキー
WEITBLICKに旧ソ連の剛腕ピアニスト、ギレリスが登場です。しかも共演はコンヴィチュニーとケーゲルという思いも寄らぬ組合せ、硬派同士の共演。モーツァルトは、コンヴィチュニーのベートーヴェン的な重厚極まりない、ゆったりしとした伴奏にギレリスの鋭いタッチとリリカルな風合いの対照の妙が聴きものです。チャイコフスキーは、鬼才ケーゲルとの共演という注目盤です。ケーゲルはチャイコフスキーに対してはあまり思い入れがなかったのか演奏機会はごく僅かです。ここでのケーゲルはすっきりとした古典的なアプローチで透徹しております。ギレリスの見事なテクニックと疾風怒濤の迫力には圧倒されるばかりです。ギレリス・エステート公認のリリースです。音質はモノラルですが極上。日本語解説付[コメント提供;東武トレーディング]
発売・販売元 提供資料(2009/04/08)
"エミール・ギレリスはスヴャトスラフ・リヒテルと並んで、ソヴィエトを代表する名ピアニストだった。名教師ゲンリヒ・ネイガウス門下だけに、腕力は途方もないが、決して力に溺れるのではなく、あくまで厳しいコントロールの下に置くのを旨とした。そのあたりに、感興の赴くままに疾走してしまう現代のアルゲリッチあたりとの大きな違いがある。
たとえば、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番の第2楽章。センチメンタルに歌われがちな名旋律も決して甘ったるくならず、氷のような美しさを誇る。音のひとつひとつは精密に計量されていて、きわめて明快だ。ギレリスには熱心なファンが多かったが、なるほど、こうした美感に慣れてしまうと、他のピアニストは不潔にすら感じられたことだろう。第3楽章の細かい音の連なりも、真珠の首飾りのようにキラキラした音の粒が並んでいる。とはいえ、時折左手が鋭い低音を飛ばしてくるのは、聴いての通りだ。このようなピアノだと、ついつい耳は独奏ばかりに集中し、オーケストラに行かない。コンヴィチュニーの指揮は、ピアノを引き立てるがごとく、控えめだ。この場合はそれが好ましい。
一方、チャイコフスキーの協奏曲は、ギレリス得意のレパートリーとして知られていた曲だ。輝かしい音で力感もたっぷりに弾き切る。ただし音色は澄んでいて、むりやり鳴らしている感じはしない。テンポを落として弾く抒情的な部分では、彼ならではの粉雪が舞うような美しさが楽しめる。なるほどモーツァルトも立派ではあったが、こうして並べてみると、このチャイコフスキーにおいて、彼の実力が何倍にも発揮されているのはあまりにも明白。モーツァルトでのギレリスは、やはり羊の皮をかぶった狼だったのだ。第2楽章のピアノの能力を駆使した微細な表現など、瞠目ものである。当然、第3楽章でも感嘆するほかないような名技が展開されている。
ケーゲルは決してレパートリーの狭い指揮者ではないが、チャイコフスキーにはそれほど熱心でなかったようだ。彼が時として奏でたあまりにも暗鬱な音楽、崩れる一方手前までロマンティックな音楽から察するに、決して相性が悪そうにも思えないが。たとえば「悲愴」交響曲を彼が思う存分に指揮したら、たいへん印象的な演奏となっただろうに。それはともかく、ここではギレリスと歩調を合わせ、歯切れの良い伴奏を行っている。その一方で、弱音部では陰影が濃く、時として実にいい感じの耽美性が発揮される。
しかし、この1枚、改めてギレリスのすごさを思った。というのも、伴奏はコンヴィチュニーとケーゲルという実力者。それなのに、聴き手の注意は知らず知らずのうちにピアノに吸い付けられてしまうのである。堂々たると言おうか、スター性、カリスマ性と言ってもいいが、い
発売・販売元 提供資料(2009/04/08)