「演奏家にできることは、音楽という無限の王国の入り口に案内するまでのこと。ただただ謙虚に、しかし確信を持って、音を(再度)解放し聴衆の耳に届けることが我々の仕事。」
無我の境地にまで達したかのような、クレーメルの「無伴奏」再録音の登場です!Philipsへの録音から20年。すべてのヴァイオリニストにとって最高到達点ともいえるバッハの無伴奏に再度挑んだクレーメル。「なにゆえ今なのか?」「果たしてこれを成し遂げた後、彼は何を目指すのか?」ただ待望の録音というだけではあまりにも物足りない、深遠な意志が感じられるリリースです。ブックレットに掲載されたクレーメルの文章(楽曲解説もクレーメルによるものです)は、しかし、悟りをひらいた高僧を思わせます。バッハと音楽への畏敬の念に満ちながらも、演奏家としてどこまでも謙虚な姿勢が感じられ、20年という歳月の間に、クレーメルというヴァイオリニストが何を思い何に到達したのかへ思いを馳せずにはいられません。そしてまた、彼自身の文章に何度も現れる録音スタッフへの謝辞。事実、ECMならではのサウンド・ポリシーが、演奏家の領域でない部分を完璧にプロデュースしています。アーティストとレーベルの濃密なコラボレーションあってこそ成し得た、録音物としてのバッハの無伴奏のひとつの完成形といっても過言ではありません。
タワーレコード(2009/04/08)
『未遂の試み』
音楽は、語り手も演奏者も実際にはかなわない非常に多くの解釈をそれ自体に内包している。我々演奏家はこの「無限」の王国への案内人として活動しているに過ぎない。音楽を「理解した」と主張する者は、幻想を経験している(または創り出している)のである。手稿譜には既にすべてが含まれている。我々の仕事は、謙虚に、しかし信念を持って、聴き手がその音楽を吟味しそして探求することを可能にするため、その音楽を解き放ち、聴き手の耳に届けることである。それが上手くいった時、小さな一歩が踏み出されるのだ。そしてその後に多くのことが続くのである。……
不思議なことに、ヴァイオリン奏者としての私が、自分を自身の職業の「道具」から「距離」を置きたいと思うことが実際ある。それはバッハと彼の世界により近づこうとする無意識の試みなのであろうか?……
目標とは、スコアを鳴り響く音に翻訳することにあり、準備と録音の過程で現れてくる啓示がある(バッハを演奏する時、人は孤独ではない)。その啓示とは、孤独な魂に強さと愛を示しつつ豊かな条件を与えるものである。鳴り響きにおける表現と効果は非常に力強く、響きそれ自体の中に「含める」ことはできない。それらは単に顕わになることが要求されている。
「録音」を制作するこの謹直で素晴らしい過程は二つの世界の出会いをもたらす。作曲家の世界と、その音楽を内面化し、そして解き放つ演奏家の世界である。もし知覚されるとすれば、その瞬間は、永遠を示す形式と度量とを持つ。究極的には、我々自身が永遠によって「感動」し(または、鳴り響きを通して、永遠を動かすのだ!)、そして音楽は、我々の人生という短い旅の同行者となるのだ。……
ギドン・クレーメル
発売・販売元 提供資料(2009/04/08)