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カテゴリ : 佐々木 

掲載: 2008年03月18日 14:35

更新: 2008年03月18日 14:35

文/  intoxicate

ヴァレリー・アファナシエフ 特別寄稿:死と愉しみ(全訳)第2回

intoxicate誌2/20発行vol.72で特別寄稿いただいたものの、全文をイントキ・ブログにて毎週アップしていく予定です。内容は、2007年11月来日時に行われたレクチャーです。レクチャーで翻訳をされた田村恵子さんに多大なるご協力をいただきました。ありがとうございました。(協力:コンサートイマジン)


第二回

 チャイコフスキーは運命に魅せられていたようです。彼には人生は一連の不安な気持ちに過ぎないのだと、よく分かっていました。チャイコフスキーの作品には運命のテーマが執拗に繰り返されています。彼の存在に、運命が刻印しているようです。チャイコフスキーの死因は明らかにされていません。ただ一つ確かな事は、何か芸術的な要因が彼の死には付きまとっているということです。彼の作品世界には、それぞれのメロディーが到達不能な天国と地獄のシンボルになっていて、自ら進んで選んだ死のイメージが、そこここに見られます。チャイコフスキーの生涯を描いたロシアの映画の中で、彼は音楽にまさに押しつぶされそうになり、耳栓をしているほどです。映画の冒頭はこんな具合です。<一人の子供が、追いかけてくる音楽から逃れるために、ものすごい勢いで走っている。>しかし、この音楽は、チャイコフスキーから離れることはありません。音楽は彼の喉を締め付けます。抵抗できないまま、チャイコフスキーは音楽により、死に至らされるのです。音楽が彼の人生を決定します。チャイコフスキーの作曲した最後の交響曲を聞くと、彼の運命の全ての構成要素を見出すことができます。<悲痛な嘆き声、至福のメロディー、勝ち誇ったような行進曲、葬送行進曲>などです。デュルケームは、こんな風に述べています。<線路が視界を覆うにつれて、列車に押しつぶされて死んでしまいたいという気持ちが強く沸き起こってくる> チャイコフスキーとてアンナ・カレーニナの最期については良く知っていたでしょうが、彼にとって線路よりも音楽の方が身近だったのです。彼は音楽については、知り尽くしていた、と言ってもいいくらいです。まるで、拳銃や砒素のひともりのように。チャイコフスキーがなぜ死を選んだのかについては、諸説あり、まだ決定的なものは見出されていないようです。そして、彼がどのようにして死に至ったのかについても、確定的な結論は出ていません。もしかしたら、水道水が原因だったかも知れません。確かに彼が亡くなった頃、ペテルブルグをコレラが席捲していました。でも、拳銃自殺だったかも知れません。しかし、私はなんと言っても彼の最後の交響曲、ロ短調の交響曲が彼を死に導いたのだと思っています。

 音楽はリズムや、明確な形をもたず、最終楽章に向かって突き進む抗いがたいうねりを通して、聴く者に死を想起させます。登場人物の死後の気紛れも、行方の知れないオープニングも、聴く者は思い浮かべる事はありません。チャイコフスキーは自ら『悲愴』と名付けた交響曲の向こう側に何の意味も見出していませんでした。音楽的な音のない人生に、彼が何らかの意義を感じ取ることができたでしょうか? 

 それでは、カタルシスとは何でしょうか?  ポール・リクールは『時間と物語』という著作において <厄介なカタルシスという問題については、後ほど考えるようにしよう> と述べています。まさに厄介な問題だ、と私も思います。とりわけ音楽を、カタルシスという定義しがたい領域に括ろうと試みるなら、より手に負えないものとなります。更にリクールは続けます。<カタルシスのポイントは観客であり、彼らを浄めるものである。カタルシスは、悲劇の「快楽そのもの」は同情と恐怖から生まれてくるという事にこそ由来するのである。同情や恐怖に固有の苦しみが快楽に変容することこそ、カタルシスなのだ。しかし、こうした主体的錬金術は模倣的な作用によっても、作品の内部に構築される。カタルシスとは、先ほども述べたように、哀れで恐ろしい出来事が上演されるのに相応しいことから起こるのである。>

 ある楽曲を聴いて、哀れみを感じる人がいるでしょうか?  不吉な感じのする和音を聴いたところで、私たちの身体や頭脳に恐怖が走る訳ではありません。私は9才の時に初めてチャイコフスキーの『第六交響曲』を聴きました。その時、恐れは感じませんでした。そのような感情が沸き起こる事はないでしょう。しかし、第一楽章を聴いて、何ともいえないショックを受けました。曲が進むに連れ、震えを感じました。恐ろしそうな犬に出会ったとしても、このように震えることはありません。『悲愴交響曲』は私に噛み付いたりはしません。でも、そのショックで死んでしまう人もいるかも知れません。

 楽曲を聴いて受ける感銘は、ギリシャ悲劇やシェイクスピア劇の上演を見て受ける感動とは全く異なります。それでは、シェイクスピアの戯曲、たとえば『ハムレット』の上演に際して、どんなことが起こるのでしょうか?  この芝居の中では、本当に多くの人が死に至ります。あるロシア人の作家は <まるで屠殺場のようだ> と語っています。この物語のエンディングはこんな具合です。ハムレットは死に、フォーティンブラスは、その殺戮の場面に登場し、ホレーショと言葉を交わし、四人の指揮官にハムレットの遺体を墓地に運ぶよう命じます。ホレーショは自身の存在と言動とによってその場を作り上げ、観客である私たちに提示します。ホレーショはこれからの演劇空間をも創り出し、観客に見せるのです。観客は芝居を見て、結局のところ、この物語は自分たちの人生とは何ら関わりがないのだと悟ります。ホレーショは死にません。彼は生き延び、ハムレットよりもフォーティンブラスよりも長生きします。人は死に行く運命にありますが、デンマーク王国は健在です。何も変わらず、歴史は脈々と続いていきます。ハムレットの死など、この国の歴史にとっては、ほんの些細なことに過ぎません。そしてハムレットは本当のところ、デンマーク人なのでしょうか? 

 『オセロ』のエンディングは、カタルシスと呼ばれている調和のとれた感情の開花に更にピッタリと当てはまるようです。ロドヴィーコーはこのように彼の企みを語ります。
 <私は、すぐに船に乗ろう。そして元老院に行って、この恐ろしい、目を覆いたくなるような事件について話すのだ>

 ロドヴィーコーはヴェネチアの総督のもとに行き、自らの目で見た出来事について語ろうとします。いえ、語らなくてはならなかったのです。私の見るところでは、ロドヴィーコーが話さなくてはならなかったことは、他にもあったようですが。それは、もう一つの殺人、もう一つの戦争への恐怖です。それでも、人生は続いて行きます。他にもデスデモーナのように夫に不貞を疑われる人妻たちがいますし、疑念にさいなまれ、遂には妻を危めてしまう夫たちも、いくらもいることでしょう。そうした血なま臭く、嫉妬の渦巻く騒動の一切を固唾を呑んで見守る観客にも事欠きません。しかし、ヴェルディのオペラ『オセロ』の幕切れで、主人公のオセロが、死んでしまったデスデモーナに口づけする場面は圧巻です。ロドヴィーコーも沈黙を守っています。誰もが口を閉ざしています。この場面はホ長調の音楽が流れるところなのですが、カタルシスという、心を解放する感情に浸ることは困難です。男性ならだれでも、死の床に横たわる恋人に口づけすることができるでしょう。さらに言うなら、舞台上でオセロがデスデモーナに口づけするのは、それほど芝居がかったことではないのです。ロドヴィーコーが私たちの目の前にいて、舞台で繰り広げられているのは、演劇に過ぎないのだと告げている訳ではないのですから。如何に美しい音楽であっても、未来において私たちを待ち受けている不幸の重々しさを減ずることはできません。ここで、チャイコフスキーの『ハムレット』とシェイクスピアの同名の戯曲を較べてみるとしても、同じ結論に至ることでしょう。音楽が物語を、未来の世代について、他の夫たちについて、人生の瑣末な出来事について語ることはないのです。音楽とは、もっと容赦ないものです。チャイコフスキーの交響詩においては、主人公は墓地へと運ばれます。いえ、ただ死んで、それだけだったのかも知れません。この墓地の向こう、死の向こうには何もないのです。物語は、作品が終わる時一緒に幕を閉じるのですから、私たちも存在しません。でも、それでは一体どうして、私たちは生き延びるのでしょう? 

ヴァレリー・アファナシエフ
1947年、モスクワ生まれ。モスクワ音楽院でヤーコブ・ザークとエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際音楽コンクール(ライプツィヒ)、1972年のエリザベート王妃国際コンクール(ブリュッセル)で優勝を飾っている。1973年にモスクワ音楽院を卒業、1974年にベルギーへ亡命した。以後、ヨーロッパ、アメリカ各地でリサイタルを行うほか、著名なオーケストラと共演を重ねてきた。日本へは、1983年にヴァイオリニストのギドン・クレーメルの共演者として初来日。1987年の《東京の夏音楽祭》のソロ・リサイタルで熱狂的な反応を呼び起こした。
レコーディングは、DENONを中心に20枚以上のアルバムをリリースしており、1992年には「ブラームス:後期ピアノ作品集」がレコード・アカデミー賞器楽部門を受賞。来日のたび、新録音リリースのたびに、独自の音楽性が論議を呼び、音楽界に大きな刺激をもたらしている。
ピアノ演奏にとどまらず、《失踪》、《バビロンの陥落》、《ルードヴィヒ二世》などの小説を発表する文学者の顔も持っている。フランス、ドイツ、ロシアでの出版に加えて、日本でも2001年にエッセイ集《音楽と文学の間》が出版され話題となった。また、ナボコフ、ボルヘス、ベケット、カフカ、ジョイスなどを愛読し、ヴィトゲンシュタイン、道教思想、インド哲学に傾倒していることでも知られる。
 現在はパリを拠点に活動。現代におけるカリスマ的ピアニスト、指揮者として注目を集め続けている。

田村恵子

上智大学大学院博士後期課程修了。
専門は20世紀フランス文学。
フランス語、フランス文学を大学で講じる傍ら、
音楽、映画を中心に翻訳、通訳で活躍。
アファナシエフ氏のレクチャー通訳を
2001年より担当。

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