1931年10月24日、タタール共和国(旧ソ連)のチストポリ生まれ。モンゴル系タタール人の父、ユダヤ系ロシア人の母の家庭の中で、幼少から聖像画に憧れをもつ。5歳でピアノの音を聴いて「音楽は世界の共通言語」と感じて以来、音楽の道を歩み、カザン音楽院を経て、モスクワ音楽院で作曲を学んだ。ショスタコーヴィチが彼女の自由な表現に対し「あなたが(当局のいう)間違った道を進むことを望む」と励ましたエピソードは有名。80年代初頭からからクレーメルやロストロポーヴィチらが彼女の作品を積極的に演奏し、西側で高い評価を得た。92年、ドイツのハンブルグに移住。98年に第10回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞。ロシアのバヤンやコーカサスの民族楽器、日本の箏などを用いたユニークな楽器編成により、古今東西の様式を融合させた音楽は"響の雲"と呼ばれ、深い精神性をもつ内容とともに賞賛された。 2025年3月13日、ドイツ、アッペンの自宅で死去。93歳没。
2025/03/14 (2025/03/14更新) (タワーレコード)