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第4回:コロラドさん編

連載
アイドルのいる暮らし
公開
2012/08/30   14:30
更新
2012/08/30   14:30
テキスト
文/岡田康宏(サポティスタ)


平日のライブ会場やショッピングモールで行われるイベントで、いつも見かける大人の姿がある。けっこういい歳してるけど、この人たちはいったいどんな生活をしているのだろう?

大人のアイドルファンは、アイドルファンであるだけではなく日常を生きる社会人でもある。お金も暇もある大人のオタクには、元気なだけの若者にはない深みと趣きがある。ライフスタイルとしての現場系アイドルファン、大人のオタクの遊び方とは?



今回お話を伺ったのは、コロラドさんだ。50代前半の元会社員。80年代アイドルブームのころに青春を過ごし、ミニコミ誌「よい子の歌謡曲」のスタッフ兼ライターとしても活躍。00年代に入り、爆音娘。を入り口としてハロプロ現場系に。現在は真野恵里菜、私立恵比寿中学、東京女子流、みにちあ☆べアーズなどが主な現場。昨年4月に会社の早期退職制度を利用して会社を辞職した彼は、30年遅れのモラトリアムを満喫しながらオタ活動を送っている。



アイドルは嗜好品なので合う合わないがある



会社を辞めてから一番変わったことは、平日のイベントに行きたいときに行けるということです。ただ思ったほど、自分のやりたいことはできていないですね。もっとやれるかと思っていた。会社辞めたらこうなるだろうという理想像を描いていたのですが、その半分くらいですね。

こんなに早く辞めるとは思っていなかったですけど、定年になったあとの生活を思い描いていた部分はあって、オタ活動だけじゃなくて、ちゃんと読んでいなかった本をもう一度じっくり読み直したいだとか、昼間から映画を見に行きたいだとか、寄席に行ってみたいだとか、プラモデルを作ってみたいとか、平日の昼間に学生野球や2軍の試合を見に行きたいとか、思っていたことが半分もできていないですね。

今、アイドルは平日の現場がすごく多いんですよ。セーブしてはいるつもりなんですけど、無銭カレンダー(※1)だとかピストルさんの「なれのはて」(※2)とか見ると、ここにも何かあるんだなと思ってついつい予定を入れてしまったりして。体は一つですし、財布も一つですからね。主に行くのは真野ちゃん、女子流、みにちあ、エビ中が多いですね。真野ちゃんは現場数が少ないので優先度は高くしてあって、地方とかはあまり遠征はしないんですけど、首都圏でやっていればだいたい行くように。エビ中はこの半年で環境がガラっと変わってしまって、40代くらいまではまだ全通とかコンプとか考えていましたが、最近はそういうことは考えずに腹八分目な感じで。女子流は節目節目はだいたい行って物販もそこそこ。みにちあは月一くらいで現場があるので行っています。
*注*1 無銭カレンダー・・関東の主要な無銭現場(無料で観覧や入場可能な現場)を開催日毎に取りまとめたサイト。 https://www.google.com/calendar/embed?src=jetlyzer%40yahoo.co.jp
*注*2 ピストルさんの「なれのはて」・・有名ヲタ・ピストル氏のサイト「なれのはて番外地Z」。有銭無銭有名無名を問わず主なアイドル現場の予定が掲載されれている。 http://ameblo.jp/dijnopistol/

僕は浮気とかなんとかはあまり考えないので、おもしろそうなのがあれば行ってみようかなと。ただいかんせん、お金と時間と体力という限界があるので、一時期よりはぱすぽ☆現場は減ってしまったし、スパガも見にいけていないし、ハロも、他のコストパフォーマンスを知ってしまうとどうしても高いので。Berryz(工房)と℃-uteに関してはツアーに1度は行くようにしていますが、娘。単独は久しく見ていないですし、最近は握手会もゆっくりゆっくりと言っていますが、握手会だけやられてもね。地下アイドルくらいゆっくり話せるならいいですけど、外の世界のゆっくりとハロの世界のゆっくりは随分違うので。

AKBはアンチではないです。AKBINGO!、週刊AKB、有吉(AKB共和国)など、テレビでは一通り見ています。主要メンバーはだいたいわかりますし。自分のタイムラインだとハロヲタの人がなにかに付けてdisってるんですけど、そんなに目の敵にしなくてもいいのになと。ただCDはもらうことが多いし、現場も一番最初の頃、チームAとも言っていない時期、開演20分前に行っても普通に入れた時代に行ったことがあるんですけど、そんなにハマりませんでしたね。

よく言うクソDDではあると思うんですけど、かといってピストルさんほど手広くやっているわけでもないので。ある意味中途半端ですね。良いも悪いも一回見てみたいなと。アイドルは嗜好品なので、酒とかタバコとかと一緒で、合う合わないがあるんですよ。ぼくは合わないものを良くなかったとかつまらなかったとかはつぶやかないようにしていて。でも合う合わないはあるんですよね。いま話題になっているグループでも、一度見て、あんまりピンと来ないなというグループもあるし。



中二病にかかっていて「歌謡曲なんて女子供の聴くもんだよ」と



高2くらいまではガチの洋楽ヲタでした。当時、全米トップ40という番組がラジオ関東(今のラジオ日本)であって、土曜の夜にビルボードの40位から1位までをただただ延々とかけるというシンプルな番組だったんですけど。それを毎週聞いて、毎週ノートにつけていましたね。中1から高3までほぼ毎週。その時代の洋楽は身に染み付いています。僕が中学の頃だったら山口百恵とか桜田淳子とか、高校の頃ならキャンディーズとかピンクレディーとかいたんですけど、その辺にはまったくはまらなかったですね。その頃は今で言う中二病みたいなのにかかっていて、アイドルの歌う歌謡曲なんて女子供の聴くもんだよ、やっぱり洋楽だよね、と。自分で作詞作曲して自分のメッセージを伝えるのが真の音楽だって。中学生のことはそういうふうに思うわけですよ。嫌なガキだったと思うけれど(笑)。

高校生くらいになると考え方が変わってきて。70年代のアーティストが50年代、60年代のポップスをカバーするのってざらにあることなんですけど、遡ってその年代の音楽を聞いてみると、とくにビートルズが出てくる前の時代なんかは、職業作曲家、作詞家が作詞作曲をしてシンガーが歌うという形でやっていて、あれ、歌謡曲と何が違うんだ、何も変わらないじゃんって。ビートルズだって「プリーズ・ミスター・ポストマン」とかカバーしているわけですけど、あれもモータウンで職業作家が書いて、黒人の女の子のグループが歌っているわけですから。それって作家が書いた曲をキャンディーズが歌って、それをサザンがカバーしているのと構図的には変わらないんじゃないかって。そういうことを知ると、歌謡曲のシステムはなんら下に見るものではないなっていうのがわかってきて。

70年代後半くらいから、ニューミュージック、ロック系のミュージシャンが歌謡曲の方に交わりだしたんですね。山下達郎や浜田省吾が女性アイドルの曲を書いたり、80年代に入ると、YMOやはっぴいえんど系の人がアイドルの曲を書いたりだとか、アルバムを買ってクレジットを見るとバックのミュージシャンが、すごいメンバーばかりだったり。洋楽的なアプローチで歌謡曲を聴くのがおもしろくなってきて。その辺を教えてくれたのが近田春夫さんなんですよ。当時ポパイに連載を持っていて、ちょうど今で言う「考えるヒット」(※3)みたいなものですね。それからオールナイトニッポンの2部をやっていたので、そこで音源をいろいろと流してくれて、郷ひろみってこんなにかっこいいんだよとか、フォーリーブスのブルドッグってこんなにいい曲なんだよとか。男のアイドルも女のアイドルもかけてくれて、歌謡曲っておもしろいなって思うようになって。
*注*3 「考えるヒット」・・週刊文春で連載されているコラム。著者はミュージシャンの近田春夫氏。毎週J-popの楽曲を2曲取り上げ近田氏独自の視点で評論、分析がされている。

80年代に入ったあたりに「よい子の歌謡曲」(※4)という雑誌があって。たまたまバイト先にそのスタッフがいたんですね。スタッフと言っても立場は同じ学生で。あれは素人があれこれ原稿を書いて、あちこちの本屋さんに置いてもらっていたものですから。今で言うと同人誌に近いものだと思うんですけど、同人誌ってコミケとか文学フリマとか限られたところでしか売っていないですよね。当時の「よい子の歌謡曲」はレコード屋さんとか一般の本屋さんとかで売っていたんですよ。自主流通で紀伊國屋だとか書泉だとか、三省堂だとか。地方にも取扱店もあって、途中から流通のルートに乗せましたけど、最初の頃は本が出るたびにスタッフが自分たちで配本をしていました。ピーク時は5千部くらい出てましたね。そこで自分とおなじような洋楽好きで歌謡曲好きな連中と知り合って、いまだにそのメンバーとは年に一度くらい集まって飲むことがあるんですけど。そこでズブズブっとはまっていった感じです。
*注*4 「よい子の歌謡曲」・・1970年代末から1990年代初頭まで発行されていたアイドル評論を中心とするミニコミ雑誌。

結構、業界の人が読んでくれたんですよ。こういう雑誌を作ろうとしたら、レコードのレビューを書くと、そのページにジャケットの写真がいりますよね。今だったらネット上でいくらでも取ってこれますけど、当時はこういう雑誌を作っているのでジャケット写真をくださいって、レコード会社を回って。できあがったものを向こうの担当者にも届けますし、逆におもしろそうだからって呼ばれたりもしたんですよ。

あまりメジャーなアイドルではないんですけど、川島恵という東芝EMIのアイドルがいて。そのディレクターの人が、おもしろいから原稿書いたやつに会いたいと言われて、いきなりレコーディングしているところに呼ばれたこともあります。本人とも普通に話せて、今で言う「半ヲタ関係者」(※5)の走りですね(笑)。僕は彼女の宿題を手伝ったことがあるんですよ(笑)。ちょうど夏休み、お盆の時期で、宿題終わらないんですよって言うから、数学のドリルやってあげて、次のNHKのレッツゴーヤングの収録の時に届けたりしましたけどね。
*注*5 「半ヲタ関係者」・・ヲタでありながら業界人的な存在。その立場を利用ししばしば役得がある為、バッシングの対象となる事が多い。



アイドル現場にいると若くなります



80年代のアイドルブームを経験したファンは今はもうあまりいないでしょうね。わたしが大学生のときだから、今50代か、若くても40代後半くらいのアイドルファン。当時、現場はあるのはあったんですけど、基本的にはメディアの中の話です。毎日のようにゴールデンに歌番組があって、それ以外にバラエティーにゲストで出てきたりというのがあって。TBSには「ザ・ベストテン」があり、日テレには「紅白歌のベストテン」があって、各局にちゃんとした歌番組があったんですよ。そのほかに全員集合とかに歌のゲストが3組くらいあって。よく若い人に話すんですけど、今のHEY!HEY!HEY!やうたばんは、歌とそれ以外の比率で言えば、昔の全員集合並だって。歌番組というのはミュージックステーションかMJ(MUSIC JAPAN)くらいで、それ以外の今の歌番組というのはバラエティーですから。そういうのが一日何本もあって、それを見たり録画したりしていました。

編集長兼編集部の部屋があって、現場に行って集まるというよりも、日曜はいつもそこに集まって情報交換と今で言うヲタトークをしていた感じです。一番上の人で僕より6つ、7つ上、サラリーマンは2人くらいであとは学生がメインでした。当時、7つくらい上ってものすごい上に感じましたけど、今、自分の息子くらいの年のヲタと現場でよく話しますからね。お父さんと同い年です、とかって言われますよ。エビ中だと20歳前後のヲタが結構多いので。

アイドル現場にいると若くなりますよね。若い子を見ているし、若い子と接するし、若い子と話すことが多いし。そもそも使う言葉が若くなりますよね。会社にいた頃もそれはよく言われました。ぼくは今、一人住まいなんですけど、住民票は実家にあってハロの青封筒は実家の方に届くんですよ。おかげで、親が「クソ席」って言葉を覚えて(笑)。80代半ばの後期高齢者なんですけど。最近はテレビでももクロを見ていて、赤の子がリーダーなのよね、とか言いだして、どこで覚えたんだと(笑)。まあ老化防止にはいいと思いますけど。

「よい子の歌謡曲」の後は普通にCDは買いつつ、テレビは見つつ、コンサートは年に3回か4回は行くというのをずっと続けて。大学を卒業して就職して、ハロプロにハマるまではずっとそんな感じですね。つねに誰か気になるアイドルはいる感じで。おニャン子のときはもう働いていましたけど、コンサートにも行ったし、そのあとは乙女塾だとか。冬の時代ってよく言われるんですけど、寒くても凍えた記憶というのはなくて、常にアイドルはいたんだけどね、みたいな思いはあります。

再び、アイドル熱が加熱したのは爆音娘。というクラブイベントに行くようになってからです。スタッフの一人が「よい子」の仲間で誘われたんですけど、行ってみたらおもしろくて、そこですごく知り合いが増えたんですよ。爆音娘。系のイベントは名古屋でも関西でもあって。知り合いがいるとあちこち行ってみようかなって気になるし、そこから遠征とか行くようになりました。

遠征に行くと今度はその人達が地元のヲタの人を紹介してくれて、当時はまだmixiが流行っていた時期だったので、ハンドルを名乗ると、じゃあマイミク申請しますって。そうやってどんどん人のつながりが増えていっておもしろくなっていったんですよね。ちょうど娘。さくら組・おとめ組とふたつに分かれてやっていた頃。初遠征はおとめ組の京都ですね。そのあとベリヲタになったころはあちこち行くのが当たり前になっていて、ベリに関しては5ツアー連続でコンプして、49公演連続で見ていたりしてました。ただ、知っている人に今までのベリの単独コン全部見ているという人がいるので、僕なんかは足元にも及ばないです。その人はこの前のニュージャージーも行っているし、Buono!のパリも見に行ってる。ハロヲタはお金がかかります。


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