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三輪眞弘

公開
2011/10/13   15:07
ソース
intoxicate vol.93
テキスト
text:畠中実
わたしたちを照らす永遠の光


「作曲家の個展」とは、「わが国の優れた作曲家に焦点をあて、その代表作をまとめて紹介するコンサート」である。作曲家が個展を行なうと言っても、楽譜やCDを展示したり、インスタレーションを制作したりするわけではない(はず)。ただ、31回を数える今回の「個展」に選ばれたのが、「すぐれた批評精神に基づき独自の方法論を探求しつづける」作曲家でありながら、権威あるアルス・エレクトロニカにおいて、栄誉あるゴールデン・ニカを受賞したメディア・アーティストでもある三輪眞弘であるとなれば、なにかコンサートという形式にとらわれないプレゼンテーションが行なわれるのではないかとつい期待をしてしまう(もしかしたら・・・)。かつてダンスのシリーズ企画において、音楽家として監修を行なった「演算するからだ展」(2004年、神奈川県民ホール)や、佐近田展康とのフォルマント兄弟として参加し《フォルマント兄弟の”お化け屋敷”》を展示した「みえないちから」展(2010〜11年、ICC)などの活動が思い出される。

三輪は、「人間によって演奏され、その場で聴かれる音楽」という本来の音楽の姿と、人間の手を介さず、複製技術によって聴かれる音楽というふたつのとりあえずおなじく音楽と呼ばれているものを対比し、後者を「音楽」から区別するために「録楽」と呼んでいる。人間によって演奏される、生きられた「音楽」と、現代のテクノロジーが生み出した、その亡霊としての、演奏者という実体を持たない「録楽」。三輪はこれまでもずっとコンピュータを積極的に使用してきた作曲家であるが、そのリアライゼーションは人力で行なわれなければならない、というこだわりを持っている。それは、自身の作品を「音楽」として存在させるべく、作曲された作品を「音楽」化する作業ともいえる。

しかし三輪は、現代という時代が極度にテクノロジーによって支えられたものである、ということも了解している。そして、「中部電力芸術宣言」(2009年8月に書かれ、2011年3月に公開された)はまさしく、そうした現代の作曲家が直面せざるを得ない問題、電気が自明であり、自身の音楽作品が電気なくしては実現されないような状況への認識として宣言されたものだろう。すなわち、テクノロジーによって引き起こされた世界的危機を、テクノロジーの進歩によって乗り越えようとするような、三輪が「電気文明」と呼ぶような状況をわたしたちは生きている、ということをあらためて考えさせるものである。その「電気文明」においてしか成立しえない音楽(と呼ばれるのか、あるいは別の命名が必要なのか)と、それが生み出す文化があり得るのではないか。そして、それは「装置を伴う/による表現」として、「音楽」から逸脱し、もはやメディア・アートの範疇で扱うことによってしか、この現代における音楽のあらわれを理解することができないというものでもある。「人類が死者を手厚く埋葬するようになった太古から地球上の様々な文化に受け継がれてきた宗教、芸術のまったく新しいあり方を、我々の手によってこの電気文明のただ中で模索し、創造活動を通して実践していくことを目指す」この宣言はこう結ばれる。「確認しよう。なぜ電気なのか?・・それは、電気エネルギーがすでに我々の社会の、思考の、そして身体の一部であるからに他ならない。」

そして、今回委嘱作品として世界初演されるのが「永遠の光・・」”Lux aeterna luceat eis, Machina” オーケストラとCDプレーヤーのための(2011)である。もちろん、新作について、それを聴く前に書くということは、単なるつまらない予想にすぎないということは明らかなのを承知で書くとすれば、このタイトルが仄めかすものは、まさに先の「中部電力芸術宣言」以降の作品というにふさわしいものである。タイトルは「主よ、永遠の光を彼らの上に照らし給え」と歌われるミサの聖体拝領唱の一節からとられている。しかし、この作品では、永遠の光を照らすのは、主としての神ではなく、機械=テクノロジーである。かつてSFが描いてきたような、人類がいなくなった後にも、機械だけが働き続ける世界といった終末論的なヴィジョンだろうか。機械が照らし続ける「永遠の光」とは一体何なのか。まさに「機械仕掛けの神」が、あらわれようとしているのかもしれない。たしかに、わたしたちは電力(会社)がわたしたちの生活や、その生までをも支配していたということを、ようやく理解し始めたところだ。

アンソニー・バージェスが『時計仕掛けのオレンジ』について、「この作品には教訓はない」と言っていたように、三輪の作品にも、先の宣言にも、教訓はない。あるのは現状を映す鏡のように、「夢」がもはや現実になってしまったような、わたしたちが直面している状況において、それをどう考えるのかという問いである。

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