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キセル

キセルの兄弟船がどんぶらこどんぶらこと流れた12年を語る――(1)

連載
360°
公開
2011/06/01   00:00
ソース
bounce 332号 (2011年5月25日発行)
テキスト
インタヴュー・文/岡村詩野


デビュー前〜1999



キセル_A

友晴「高校の文化祭でのライヴはひとりで歌ったんですけど、そこで兄さんに手伝ってもらって作ったカセットを配ったんです。その時の〈曲を作るって楽しいなあ〉と思ったのが、音楽をやっていこうと思ったきっかけでした。その楽しさはいまと変わらないかもしれないです」

豪文「昔から録音するのがわりと好きだったんです。子供の頃にはラジカセでいろんな音を録っていました。まだビデオが家になかったんで、映画の音声だけを録音して聴いたりしてたんです。で、ある日ラジオ番組を録音するつもりがチューニングを間違えて、ヘンなノイズみたいなものしか入ってなかったことがあって。氷がゴォーッて音を出してぶつかっているような。子供心に怖かったんですけど、それはそれでおもしろくて夜ずっと聴いたりしてました」

友晴「僕ら宇治の実家にいる時はずっと二段ベッドで寝てたんですけど(笑)、兄さんがそういうのをやってるのを間近で見ていたから、自分も曲を作ろうって思ったんです」

豪文「で、98年の冬、弟がまだ高3の頃に、知り合いの誕生日イヴェントに呼ばれて初めて2人で簡単なライヴをしました。まだキセルって名前もない頃で、その時は僕ひとりの名前で出たのでほんまは僕が歌うはずが、気がついたら弟が歌って僕はギターで伴奏してました(笑)」



2000〜2005



キセル_A



豪文「とにかく、音作りに対しては慣れてなかったというのもあって、いまよりずっと頑なでしたね。例えば、今回の3枚組に入っている“サイレン”(『スペースシャワー列伝〜宴〜』に収録)とかは、冨田恵一さんにプロデュースをしてもらって、たぶんいちばんお金もかかっているんですよ。アレンジもすごく丁寧で音楽的で。でも冨田さんにお願いして、後から音を無理矢理ローファイにしてもらったりもしました。いまから思えばいらんことしたなあって(笑)。ただ、僕らは人脈には本当に恵まれていて、スピードスター時代の最初のディレクターさんとかは最初から僕らの音楽をすごく理解してくれて、いろんな音楽を教えてくれて。感謝しています」

友晴「高田渡さんに自分たちのイヴェントに出演してもらった時、ライヴ後に〈根っこがない〉って怒られたのを、いまもすごく思い出します」

豪文「渡さんの“鮪に鰯”は小学校でライヴをやった時に演奏したら、子供たちがすごく喜んでくれて。キセルのオリジナル曲より評判が良かった(笑)」



▼関連盤を紹介。
左から、2002年のコンピ『スペースシャワー列伝〜宴〜』(スピードスター)、冨田恵一のお仕事集『冨田恵一 WORKS BEST〜beautiful songs to remember〜』(rhythm zone)、高田渡の71年作『ごあいさつ』(ベルウッド/SUPER FUJI)

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