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祝10周年(ウソ)!! あの伝説のイヴェント〈RAINBOW 2000〉を振り返る!

連載
Y・ISHIDAのテクノ警察
公開
2010/08/20   18:01
テキスト
文/石田靖博

 

長年バイイングに携わってきたタワースタッフが、テクノについて書き尽くす連載!!

 

夏といえばフェス! テクノ紳士&淑女にとってフェスは何と言っても〈WIRE〉か〈METAMORPHOSE(以下:メタモ)〉になるのだろう。しかし貴方は、メタモの前身であり、日本における巨大レイヴの元祖とも言える〈RAINBOW 2000(以下:レインボー)〉を知っているだろうか。現在ではネット上にもキチンとした情報が少ないこのイヴェント、テクノ警察は1~2回目に参戦した数少ない生き証人なのである(自分で言うか)。ということで、今回はレインボー回想録(a.k.a. テクノ中年の戯れ言)です。

〈レインボー〉の1回目は96年8月10日、場所は日本ランドHOWゆうえんち(現:フジヤマリゾートぐりんぱ)で開催された。なぜ開催されたかはいまとなっては不明だが、多分、前年の95年に当時日本テクノ思想の中核であった雑誌=ele-king(現在ウェブにて復活)主催で日本初の巨大イヴェント=〈NATURAL HIGH〉(@ 富士急ハイランド)が開催されたので、それの後追い+オールナイト(NATURAL HIGHはデイタイムでの開催だった)+レイヴ的要素を追加したらイケんじゃね? 的なモノだったような気がする。出演者はアンダーワールド、CJボーランドの外タレ枠、石野卓球、ケンイシイ、AUDIO ACTIVEなどの日本クラブ系の大物枠、MAYURI、DJ WADA、YAMA、DJ SHUFFLEMASTER(!!)といった東京テクノ(というかMANIAC LOVE)枠、DJ FORCE(当時Moochy=a.k.a. JUZU、KAJIらとリズム・フリークスとしてシーンを牽引)のドラムンベース枠、細野晴臣(!!!)、ミックスマスター・モリスなどの巨匠チルアウト枠、YO-C、DJ SHINKAWAなどアッパー系テクノ(当時ワープ・テクノなる名称もあったなあ)枠、TTT(TOKYO TENKO TRIBE)などのサイケ・トランス枠という、いまでは実現困難であろうゴッタ煮すぎる顔ぶれであった。

メイン・ステージにおけるDJ FORCEから卓球という並び、そしてFORCEのラスト曲であったロッキーのテーマネタのドラムンベース(ルード・ボーイ・モンティ“Warp Ten”)が卓球の1曲目と勘違いされる奇跡(当時の先輩が〈ヤバいよ! 卓球の1曲目!〉と大炎上していた記憶が)。さらにはTTTのライヴで野外で聴くサイケの快楽を知ったり、ラストのYO-Cのプレイが非常に素晴らしく大団円を迎えたり……と美しい記憶も去ることながら、まだ野外イヴェント(しかもオールナイト)に運営側も観客側も不慣れだったためか、深夜前には早々とフードも底を尽き(ちなみに筆者はこの夜に唯一口にできたカロリーメイトの美味さを忘れられず、現在も好物である)、夏ということで防寒対策もまったくないなか迎える朝の厳しさなど、いまだに印象深い(というか、トラウマ寸前な)イヴェントだったのである。

しかもこのイヴェントの模様は、かのNHKにおいて特番(たぶん「ソリトン SIDE-B」だった)が放映され、そのなかでのさまざまなエピソード(ジェフ・ミルズ“Changes Of Life”を世界一カッコ良くプレイした卓球、どっかの高校のテクノ部、岡山在住のテクノ好きお嬢さまがアンダーワールドのカール・ハイドに邂逅して歓喜……)など、日本中のテクノ好きに多大なインパクトと幻想を与えた点込みで〈伝説〉扱いされているのだ、と思う。とはいえ、筆者のテクノ史のなかでもベストに入るイヴェントだったし、あの夜の記憶がさらなるテクノ(というよりクラブ・カルチャー全般)熱を掻き立て、いま現在までの人生を大きく狂わせた分岐点だったように思う。

この大成功を踏まえ、翌97年には日本ランドHOWゆうえんちと石川県の白山で2週連続という、いま考えると無謀に近いスケジュールで〈レインボー〉を開催。流石に筆者も白山は行けず、去年の夢よふたたび! と日本ランドに参戦したのですが、この夜は風雨が厳しく、正直言ってそれぞれのアクトやプレイ(オーブやハードフロアなど出演)の印象よりも、悪夢に近いヴィジョン(雨のなか、メイン・ステージ前にポツンと残った筆者一行の荷物とか、野戦病院状態の遊園地食堂とか)のほうが印象に残り、朝を迎えた時は正直〈やっと帰れる!〉という気持ちのほうが強かったのだ(それでもラストのYO-Cのプレイは最高だった。あの笑顔最高)。その2週前には、あの第1回〈フジロック〉の惨劇(台風直撃で2日目が中止。フジ~レインボーと参加した好き者の友人いわく〈初めて生命の危機を感じた〉というほどだったらしい)もあり、この年を境に野外イヴェントのホスピタリティーへの関心が生まれ、現在のスマートな運営&観客の意識の高さが融合したイヴェント/フェスへの成長に続いたのだ。

結局、白山をメイン会場にするロケーションの変化や、トランス方面にシフトしたブッキングの影響もあってか、〈レインボー〉は99年を最後に消滅した。しかし翌2000年からMAYURI姐さんがオーガナイズする〈メタモ〉がスタートし、〈レインボー〉魂はそちらに継承されている。それは、2001年から2003年まで開催場所が日本ランドHOWゆうえんちであったり、あえて異種混同なブッキングだったりというところであきらかだ。

で、長くオチなしな今回の結論は、昔話している暇があったらいま楽しむべきレイヴやパーティーを楽しめ、ということだったりして。ということで、今年も〈WIRE〉や〈メタモ〉に行くのがテクノ紳士&淑女の夏の過ごし方なのである。

 

 

PROFILE/石田靖博

クラブにめざめたきっかけは、プライマル・スクリームの91年作『Screamadelica』。その後タワーレコードへ入社し、12年ほどクラ ブ・ミュージックのバイイングを担当。少々偉くなった現在は、ある店舗で裏番長的に暗躍中。カレー好き。今月のひと言→最近のフェスって、ごはんも美味しくなりましたねー。〈WIRE〉ですら、初期は早々とフードもドリンクも売り切れ、会場備え付けの自販機に長蛇の列ができたのもいい思い出。テクノ警察は今年も〈WIRE〉にガサ入れに行きます! 震えて待て(何を?)!!