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第27回 ─ 藍縞の服

連載
Mood Indigo──青柳拓次が紡ぐ言葉、そして……
公開
2008/01/31   21:00
ソース
『bounce』 295号(2008/1/25)
テキスト
文/青柳 拓次


 尾道のベッチャー祭り。 

 江戸時代にはじまり、昨年に二百周年を迎えた。   

 ベタ、ソバ、ショーキーという名の面をかぶった鬼神と獅子が、こどもたちを追いかけ、ササラや祝棒で叩いたり突いてまわる。頭がよくなったり、病気にかからなくなったり、子宝に恵まれることも。 

 尾道の商店街をあるいていた。地元に関する雑誌や本がならぶ書店に入る。そのなかで、尾道大学創作民謡の会が発行した「尾道ベッチャー祭り」という小冊子があかるくみえた。 

 古い銭湯を改装した喫茶店に寄り、店主とはなしをしながらページをめくってみる。 

 昭和三十年ごろの写真がならぶなか、目にとまったのは一人のおとこ。かつてのアメリカで、囚人たちが着ていたようなボーダー柄のきものを羽織っている。

「あ、めずらしい、これいいな」 

 おとこは粋に鳥打ち帽をかぶり、町を鬼神たちと練り歩いている。その出で立ちは、国籍を超越しながらも、湿気たアジア臭がする。 

 ボーダー柄よ、どこからやってきた? 

 ハワイに、パラカというとても好きなシャツの種類がある。 

 基本は藍色一色のチェック柄で、いまは赤や緑にピンクなんていうヴァリエーションもある。移民としてハワイにやってきた日本人が、農場で働くための仕事着として、きものをバラして作ったのがそのはじまりといわれている。 

 雑誌「銀花」が沖縄の藍特集を組んでいた。 藍の故郷ともよばれる小浜島が、12ページにもわたって写真と文章で紹介されている。旧盆行事の模様をパラリと追っていると、若者が身につけているきものが気になる。 

 藍色で太い縦横縞の模様……これはハワイのパラカそっくりだ。 

 そういえば、かつてたくさんの沖縄のひとびとが移民としてハワイに渡った歴史がある。もしかして、パラカのチェック柄は小浜島から? 

 船や馬の速度でゆっくり移動して伝わってきたものは、道すがらの物語をまとってやってくる。 

 聞いていこう、その物語を。 

 この光速の時に。

PROFILE

青柳拓次
サウンド、ヴィジュアル、テキストを使い、世界中で制作を行うアート・アクティヴィスト。LITTLE CREATURESやDouble Famo-usに参加する他、KAMA AINAとしても活動。本名名義での初のアルバム『たであい』も好評リリース中。1月26日に東京・神楽坂theatre iwatoでそのリリース・ライヴを行う。