毎回選ばれたインストの楽曲にあわせて、登場人物の誰かが突然唄いだすというSAKEROCK星野源によるコンセプチャルな読みきり小説。今回の〈唄いだすインスト曲〉は、SAKEROCKもリスペクトを惜しまない偉大なるコミック・バンド、クレイジーキャッツの映画音楽集『クレイジー・ムービーズ VOL.1 ALL ABOUT CRAZY MOVIES TRACKS』より、冒頭を飾るナンバー“Crazy Beats”。タイトル曲を聴きながら、歌詞を口ずさんでお楽しみください。
今月の唄いだすインスト曲：クレイジーキャッツ“Crazy Beats”
（アルバム『クレイジー・ムービーズ VOL.1 ALL ABOUT CRAZY MOVIES TRACKS』より）
あ、そうか。
ストレスとはこういうものか。
部長に怒鳴られながら、ふとそう思った。
「ヒアルロン酸の件は君に任せると言ったろう！」
そうだったっけ。
確かヒアルロン酸の件は部長の判断待ちで、その連絡をもらってから僕が動く予定だったはず。
あの、部長。ヒアルロン酸の件は部長の判断待ちで……。
そう言うと、部長の顔色が余計赤くなった。
「ごちゃごちゃ言うなごちゃごちゃ！ 話がごちゃごちゃになる！」
ごちゃごちゃ言ってるのは、部長だよなあ。
「ともかく、この件は君がなんとかしたまえ」
えー。
「今週中だぞ！」
今週中って、いま金曜日じゃないか。
わかりました……。
言いたいこと言ってスッキリしたのか、部長はずいぶん満足げだ。
「なら良し。持ち場に戻りたまえ」
なるほど。こうしてちゃんと意識するとストレスはとても嫌なものだ。
もしかしたら俺は人よりずいぶんと楽な人生を歩んできたのかなあ。
どうして今まで意識せずに生きてこれたんだろう。
ああ、元に戻りたいなあ。
「いらっしゃいやせー、なにしますか？」
えーと、みそラーメンと餃子と半ライス。
「あーい」
あ、あとビール。
「あいあーい」
初めて入った会社近くの中華屋には、客はわたし一人だった。
店の隅にあるテレビでは、ニュースで松本零士が猛烈に怒っている様子が流れていた。
面白いなあ。人が怒ってる姿って、なんでこんなに面白いんだろう。
そういえばストレスを意識していたせいで忘れていたけど、部長も少し面白い顔してたな。今度ちゃんと見てみよう。
「すいやせん、今みそラーメン切らしてるんす」
いつの間にか横にいた店員が、突然言った。
中華屋でみそラーメンがないというのは、一体どういうことだ。
麺がないの？ それともみそがないって事？
「麺ですね、あーい」
えー。ラーメンないのかよ。
「いや、ラーメンはできやす」
え？
「ラーメンはできやす」
だって今、麺がないって言ってたじゃん。
「……あ、違いやす。みそがないんですね」
なんだよ。じゃあ、ラーメンでいいよ。
「あいあーい」
なんだその返事。あいあーいってなんだ。やる気ないなあこの店員。
テレビに目をやると、松本零士の怒り映像は終わっていて、ずいぶん古い映像に切り替わっていた。
今日の朝方に有名人が亡くなったようで、流れている古い映像はその人の昔のバンド時代の演奏の映像だった。
年の瀬になると、なんだかこういうニュースが増えるよな。そう思っていると、隣のテーブルを拭いていたさっきの店員が突然、テレビから流れる演奏に合わせて唄いはじめた。
♪
あうあうあうあうあうあ
あうあうあうあうあうあ
あうあうあうあうあうあ
あうあうあうあうあうあみそとめんが
ごっちゃになったの
ラーメンはもうすぐくるよーだばかだばかだおればっかばかだ
いつもまちがっちゃうん
だあ 青 島 だあウェー ウァー ウャー
あうあうあうあうあうあ
あうあうあうあうあうあ
あうあうあうあうあうあ
あうあうあうあうあうあおれは青島だぁ文句あっか
♪
凄いなこの人は。
俺が近くに居るというのに、それを全く意識せずにこんな唄を歌うなんて。
この人は周りの事なんて、どうでもいいんだろうか。
しかしなんつうか、ここまで来るとまったく怒る気になれないな。人間の本来の姿を見ているようで面白い。
そんなことを思っていると、店主が調理場の中から笑いながら話かけてきた。
「あーお客さん、あんまり気にしないでね。コイツいつもこうだから」
いつもこうって……いつも唄とか歌ってるんですか?
「ここに来る前はサラリーマンやってたんだけどね、ノイローゼでちょっとおかしくなっちゃってね。ストレスだよ。まじめな奴だったみたいだから」
ストレス……。
「あーい、みそラーメンお待たせしやした」
……え、え、みそ？
「さっきダッシュで西友でみそ買って来やした」
いつの間に!?
顔を見ると、その店員は少し得意げな顔をしていた。
完全に醤油モードになっていた私は少しがっかりしたが、そんなことは別にもうどうでもよかった。
少しおかしかろうと、この人はいい人であるということがわかったので、それでよかった。
次の日、部長からの返事をすべて「あいあーい」にしてみたところ、別に怒られずに１日過ごせた。
意外とスイスイ行けるもんだ。そう思った。
今日もまた青島くんは、いいかげんな唄を歌っているのだろうか。
星野 源
トロンボーン・ギター・ベース・ドラムスという編成のインストゥルメンタルグループ、SAKEROCKのリーダー。音楽活動と並行して役者業も行い、役者として大人計画事務所に所属している。最近では執筆業も多くなりコラムや小説を連載中。役者として主な出演作品は映画『69 sixtynine』、ドラマ『タイガー＆ドラゴン』など。
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