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第12回 ─ ミッドナイト・ブルーの舞台

連載
Mood Indigo──青柳拓次が紡ぐ言葉、そして……
公開
2006/10/19   19:00
ソース
『bounce』 280号(2006/9/25)
テキスト
文/青柳 拓次

 身内の集まるパーティーで「なにかやってもらえる?」と突然言われると、ひどく困惑してしまう。ゆっくり考えれば適当に何か1曲くらい出来る筈なのに、その場から逃げ出したくなって〈ああ、いまの自分は何も出来ない!〉と思ってしまう。

 わたしの母は、デビューして半世紀経った今もステージに立つギタリスト。ところが何百ステージも経験した彼女でも、いまだに本番前は緊張をするという。昔は気分が悪くなって吐いてしまうこともあったようだ。思うにパフォーマーは、必ずしも〈難なく人前に立てる人だから舞台に上る〉という訳ではないようだ。

 では、なにが舞台の抗うことのできない魅力なのか。
 
 それは舞台袖だ。

 公演前の舞台袖で、わたしたち出演者は大概何かおしゃべりしている。これから始まるライヴの事で〈頭がいっぱい〉という共通の心持ちを抱えながら。開演ブザーが鳴り、出演者は舞台の光の中へ歩いてゆく。そして暫く演奏すると、一度袖に戻ってきたりする。

 出番の無い時に、同じ境遇の出演者とステージ上のシンガーやメイン・アクターを眺める事が好きだ。小さな声で段取りの確認をしながら舞台の光を覗き見する。客席は日常空間、舞台上は想像の世界、そのどちらにも属さないのが舞台袖の我々。その数人だけが観る事を許される、知られざるステージの面と角度。ヴォーカリストが、振り向きざまに怒り顔で下す〈サウンド・エンジニアへの指令〉なんか見ていてとてもスリリングだ。

 ところで、袖の幕にはどんな魔法がかけられているのだろう? さっきまで隣にいて自分とコソコソ話をしていた人が、突然ステージに躍り出て、想像の世界の住人に変わり身をするのだから。
 
 さあ、再び出番です!

 我々は舞台の光のなかに次々と吸い込まれてゆく。そうして無事に演目を終え袖に帰還すると、たとえそれが寄せ集めの出演者達でも、共通の経験を通して、より親密な空気が流れ始めるのも舞台袖の素敵なところ。

 舞台袖の短く甘美な時間は、ここでおしまい。

PROFILE

青柳拓次
サウンド、ヴィジュアル、テキストを使い、世界中で制作を行うアート・アクティヴィスト。LITTLE CREATURES、そしてDouble Famousに参加するほか、ソロ・プロジェクトであるKAMA AINAとしても活動中。10月末にはKAMA AINAの最新アルバム『CLUB KAMA AINA』がヨーロッパでもリリースされる。