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第72回 ─ 80年代で一番偉大なバンド、スミスが残してくれたもの

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2006/10/05   16:00
更新
2006/10/05   22:13
テキスト
文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、9月にカタログが一挙紙ジャケ再発(完全生産限定盤)された、スミスの作品をご紹介。

The Smiths 『The Queen Is Dead』

  15年くらい前からアメリカなんかでは、スミスを好きであることが、〈本当にダメな奴、ヤバい奴〉の代名詞としてギャグにされていた。イギリスでもストーン・ローゼス以降スミスというバンドはなかったことにされつつあった。イアン・ブラウンなんか初期のライヴではモリッシーと同じ髪型をしていたのに、スミスのスの字も言わなかった。イアン・ブラウンだけじゃない。イギリスで成功しようと思っていた人たちはスミスというバンドの偉大さに恐れおののいていたのだ。スミスを超えないかぎりイギリスのシーンのトップには立てない、しかし、何百と生まれ、忘れ去られていったスミスもどきのバンドたちの屍を目にし、スミスとは距離をおこうと思ったのは理解出来る。

 イギリス音楽シーンの頂点に立ったノエル・ギャラガーは別にして、今若手のバンドが素直にスミスの偉大さを口に出来るようになったのは、スミスが当時作用していた力がやっと薄れ、楽曲、歌詞の素晴らしさを冷静に語れるようになったということなのだとぼくは思う。

  ……と、これくらいスミスが凄いバンドだったのだとぼくが声を大にしていってもスミスの凄さはみなさんに伝わらないような気もする。当時最高のライヴ・バンドでもあったスミスのあの感じをどうもうまく現せなかったデビュー・アルバム『The Smiths』。でもぼくにとってのスミスとは、このどこか籠ったソウル・アルバムのような音のことなのだ。

 やっと完璧な音で完成された2枚目『Meat Is Murder』、今じゃベジタリアンなんてあたり前だけど、85年にミート・イズ・マーダーというメッセージ、それだけでこのアルバム、モリッシーの凄さに恐れいる。日本盤の帯に書かれていた〈肉喰うな!〉のギャグは同じレコード会社だったINUの『メシ食うな!』から(笑)。

  そして最高傑作『The Queen Is Dead』。〈私をここから連れて行って、もうここにはいたくないから。あなたの車で。私の家には送らないで、あそこはもう私の家じゃない、誰も私を歓迎してくれない。このまま2階建てのバスにぶつかればいいのに、そうすればあなたの側で死ねるから〉と歌われる“There Is A Light That Never Goes Out”。これだけ読むとアホらしいメロ・ドラマだが、モリッシーの歌に乗るといろんなことが想像される。この死にたいと思っている子は実はゲイで、それがバレて、もうパーティーにもいづらいし、家族にも自分がゲイだというのがバレてるみたいだ。送ってくれる男の子が、その子が思いを寄せている男の子でストレートだから、この恋は絶対うまくいかないのはわかっている。だからこのまま死ねたらいいなと。とっても暗い歌なんだけど、ぼくはこの曲を聴いていても全然暗い気持ちにならない。色々あるけど生きていこうという気になる。〈ミート・イズ・マーダー〉という言葉もそうだけれど、モリッシーはいつもマイノリティーの気持ちになって歌っているのだ。

  そして最後のアルバム『Strangeways, Here We Come』で、モリッシーとマーの世界は完成する。〈ある女の子はある女の子より大きいよね〉と歌われるだけでその歌は何億通りもの意味を持つように輝きだす。たった5年間だったけれど、これほどレコード発売日にレコード屋に駆け込んで興奮した日々があっただろうか。ぼくにとってスミスはビートルズだった、エルヴィス・プレスリーだった。

 始めてライヴを見たのは彼らの2回目のロンドンでの舞台。元マガジン、バズ・コックスのハワード・ディヴォード、SPKの前座だった。前座のくせにライヴ前に花がステージ上にばら撒かれ、モリッシーは花を振り回しながら歌った。それはパンクに支配されていたイギリスを蹴散らすかのようだった。あの頃のイギリスはパンクという思想だけが残っていて、変なインディー・バンドだけがはびこるしょうもないシーンになっていた。モリッシーは、その思想をパンクが毛嫌いしたヒッピーの象徴である花で蹴散らしているようだった。ぼくにはそれが衝撃だった。

  不思議かもしれないが、ぼくはスミスにパンクを感じていた。モリッシーの相反するファッションが奇妙に同居するスタイルはジョン・ライドンそのものだと思った。このバンドは一体どこから来て、どこに行こうとしているのか。全然わからない感じがした。でもぼくもモリッシーのように花で全てを蹴散らして行きたいと思った。

 スミスは残念ながらビートルズにはならずに突然終わってしまった。いや本当はもっと前に終わっていたのかもしれない。お茶を愛し、ジェームス・ディーンを愛し、みんなが知っているようなモリッシーにモリッシーがなった時、スミスは終わっていたのかもしれない。モリッシーが服を引きちぎる行為が儀式になる前、スミスのコンサートの最後はいつもお客さんがステージに上がって終わっていた。

  一緒に叫び、踊ったバンドだった。けっして暗くて弱いバンドじゃなかった。パンクがそうであったように、マイノリティの気持ちがわかる最後のイギリスのパンク・バンドだった。いやそうじゃない、オアシスのデビュー・アルバムにはジョニー・マーのギターが使われている、ジョニー・マーとオアシスのマネジャーが一緒だったからだ。ジョニーがいいギターを使えよと今では2千万、当時でも300万はしたギブソンのレスポールを貸した。そのギターが壊れたので楽器屋に持って行って、ノエルは初めてそのギターの価値の凄さにびっくりしたそうだ。そしてなんと、ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアのグレッチの音もあのアルバムには入っている。オアシスの共同プロデュサーでノエルの親友マーク・コイルは元ストーン・ローゼズのPA だったからだ。

  みんなは何とも思わないかもしれないけど、この小さい事実にぼくは胸が震えてしまう。イギリスの音楽シーンを変えた3つのバンドが1つになっていたなんて。次は誰がこの思いを引き継いでいくのだろう。もうその脈は完全に途切れてしまっているように感じるけれど、また裏で密かに繋がっていくのかもしれない。きっとその時はまたこのスミスのアルバムたちの印象も変わるのかもしれない。でもぼくが一緒に歌い、踊った日々は一生変わらない。