世界のどこか。
誰かが部屋の片隅で、ギターを振動させる。その無名の歌い手は、誰に聴かせるのでもなく、自分の心を慰める為に歌をうたう。ひとつの孤独に暖かな光が灯る。
ウディ・ガスリーのギターには〈このマシーンはファシストを殺す〉と書いてある。その写真を見て、わたしのギターは言う。〈皆の孤独の光を織りあげるキカイだ〉。
小学生の頃、わたしはエレキ・ギターに取り憑かれていた。しかし、とても買うお金は無かった。毎晩ベッドでは、カタログを眺めながら眠った。ある日、子供用スパニッシュ・ギターのサウンドホールにマイクを突っ込んで、ステレオ・アンプに繋いでみる。その音は歪んでいて、それは、それは、ロックしていた。
眠れない夜には、よくギターを弾いた。しばらく戯れると、ゆき場の無い心がゆっくり沈下して、眠気がやってくる。母がギター弾きだったので、胎内に居た時からその響きを聴いてきた事もあるのだろう。いずれにせよ、自分にとってギターは、触れると熱を帯びる恋人の様な存在とは程遠いようだ。
子守唄ほど愛に溢れた音楽は無いだろう。アタウルパ・ユパンキの弾く"Duermete Chanquito"は、自分の知る限り、最も美しい子守唄。この曲はKAMA AINAのライヴでも、締めくくりの曲として何十回も演奏している。どんな年代の人々へ向けて演奏しても、一日の終わりを静かに感じさせてくれる〈帳〉としての音楽。
一昨日、ギター弾きであった祖父の自伝をふたたび読んだ。ニューヨークのカーネーギー・ホールで行ったリサイタルが、ニューヨーク・タイムズの批評で賞賛された事を知り〈この為に生きてきたのでは?と思わせた〉と書かれてある。
〈カーネーギー・ホール〉。
母も祖父も立ったその舞台。自分も昔から目標の一つに掲げていた場所。
今春のUKツアーで、スコットランドのカーネギー・ホールという同じ名の古い会場で演奏する事になった。なんとそのホールは、ニューヨークのカーネギー氏と同一人物が建てたと聞く。カーネギー氏はスコットランド出身で、後にアメリカに移り住み、偉大なコンサートホールを建造した。それを知ったわたしは、記念写真を仲間と撮りあった。しかし、出来上がった写真はひどくボケていたり、光量不足で見れたものではなかった。擬似的夢の実現らしい、結末。
PROFILE
青柳拓次
サウンド、ヴィジュアル、テキストを使い、世界中で制作を行うアート・アクティヴィスト。LITTLE CREATURESやDouble Famousに参加する他、KAMA AINAとしても活動している。先頃、イギリスのTVCMでWORLD STANDARDとの共演曲が使用されるなど、国外での評価も非常に高い。