
その伝説は70年代末、NYサウス・ブロンクスに住んでいたトリニダード系移民の一家で、娘たちがグレないようにと母親が楽器を買い与えたところから始まる。そのうち姉妹は自分たちが好きな宝石から取った、エメラルド・サファイア&ゴールド(ESG)という女の子らしい名前のバンドを結成したが、たまたま持っていた楽器が限られていたため、そのサウンドは非常にミニマルで独特なものとなった。
次第にESGの音楽は黒人向けのディスコよりも、ニューウェイヴ系のクラブで注目されるようになり、ニュー・オーダーらが所属するマンチェスターのレーベル、ファクトリーから81年に最初のEP盤がリリースされるや、そのトラックはクラブDJの御用達となってハウス・ミュージックのクラシックとされた。また、グランドマスター・フラッシュやパブリック・エナミーをはじめとするヒップホップの歴史を作ったアーティストたちがこぞってESGをサンプリングしたことで、現在のようにジャンルが細分化する以前に、それらの新しい音楽を育んだ存在として、ESGは最大級のリスペクトを捧げられるようになる。パラダイス・ガラージの閉店パーティーではDJのラリー・レヴァンに招かれてライヴを披露するなど、数々の伝説を持つESGではあったが、80年代末以降は所属していたレーベルの倒産などもあって低迷期が続く。
それから約20年。近年のニューウェイヴ再評価の流れからヨーロッパを中心に活動を活発化させているESGは、代官山UNITの招きによって奇跡の初来日を果たした。バンドの全盛時に生まれた娘2人をメンバーに従えてステージに現れた3姉妹は、ほとんどドラムとチャントのみによる、ぎりぎりまで削ぎ落とされたドープなサウンドを繰り出し、当時を知らない若いオーディエンスを熱狂させ、いまだ究極のパーティー・バンドであることを証明した。そんなESGだが、ひとたびステージを降りると、「いまはいっしょにバンドなんかやってるけど、この子を生む3日前までPILとツアーしてたのよ!」なんて具合の、ニューウェイヴと一家の歴史がごちゃ混ぜになったありえない爆笑親戚トークを連発。その素顔はエッジの効いた音楽性とは無関係に、ニューヨリカンらしく底抜けに陽気な(元)女の子たちなのであった。
▼ESGの作品を紹介。