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第3回 ─ 曽我部恵一にとっての〈PUNK ROCK STANDARDS〉

連載
TALKIN ABOUT MY STANDARDS!!
公開
2005/12/19   15:00
更新
2005/12/29   19:28
テキスト
文/曽我部 恵一

パンク生誕30周年ともいわれる2006年を前にその歴史を振り返る動きが盛り上がるなか、タワレコでは12月8日にパンク音楽を普遍的に奥深く紹介するガイドブック「bounce book PUNK ROCK STANDARDS」を発売しました(詳細はコチラ!!)。本コーナーではこのパンク歴史30周年&書籍出版を記念した短期連載企画として、今回より三週連続でパンクを愛してやまない(かつ意外な!?)ミュージシャン、タレントの方からのパンクロックへあてたメッセージ〈私にとってのパンク〉をご紹介します。最後に登場するのは…。

曽我部恵一


中学生の頃になぜ自分がパンクに夢中になったかを考えてみる。

はっきり覚えているのだが、それはいとこの部屋で起こった。夏休みに親戚の家へ旅行がてら遊びに来ていた中学生(多分1年)のぼくは、何本かのカセットテープを持っていた。ほとんどはそのころ夢中になっていた〈ベストヒットUSA〉で流れてるような曲たち。マドンナ、プリンス、カルチャー・クラブ…。そして先輩からダビングしてもらった内容不明の一本。

ある朝目覚めたぼくは、気持ちよくカルチャー・クラブのテープをラジカセにつっこんだ……つもりだった。

果たして流れてきたサウンドはあのカルチャー・クラブのキラキラしたサウンドとはまったく違うザラザラでぶっといロックンロール。意地悪そうな男がシャウトした。ぼくはそのとき、頭の回路やこれまで知ってきた事柄のすべてが砕け散り逆転する瞬間を知った。

それがぼくのパンクとの出逢いで、先輩がぼくにダビングしたのはセックス・ピストルズのアルバムだった。セックス・ピストルズがどんな格好をしてるかも〈パンク〉という言葉も知らなかった。

はっきり覚えている、ぼくをそこまで動転させた理由は〈他者との差異〉だった。それからもパンクはずっとぼくにその差異を教えてくれた。今でもパンクはそのことをぼくに教え続ける。パンクとはそのシステムのことだと思っている。

なので、今いるバンドで〈パンク〉というジャンルでくくられていたり、自ら〈パンク〉と名乗るものは、ぼくにとってはいちばんパンクじゃない。

しかし、〈パンク〉という言葉で音楽をジャンル分けするのって、馬鹿馬鹿しくない?

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