ある時はサイト・リニューアルの裏側で活躍するスーパー・プログラマー、ある時ははてなダイアリーに〈男のひとり飯〉生活を記録する独身貴族、そしてある時はヒップホップ/R&Bのプロモクリップ映像の世界(肉体)にトコトン魅せられる一男子……一瀬大志がレペゼンする筋肉映像コラム。その名も〈ブラックミュージック★肉体白書〉。UK出身の若きR&Bホープ=クレイグ・デヴィッド、US出身の黒いヴェテラン・ロッカー=レニー・クラヴィッツの〈アレ〉について。
女子に比べて男子がめったに語らないもの。それは〈下着〉だ。一般に、男子はそんなに頻繁に下着を買い替えたりはしない。また、女子と比べて〈攻め〉のアイテムとして意識することもほとんどないため、下着を購入するシーンにおいても、大抵いつも履いているものと同じような無難な一着を選んでしまう。そもそも、こういうことを書きながらも「はたして他の男子もそうなのだろうか?」と不安になってしまうほど、互いの下着事情について情報交換することを、男子はしないのだ。そんなわけで、中高生のころにマガジンハウスあたりの雑誌で見たトランクス圧勝の円グラフ(女子が支持する男子の下着)で、すっかり安心したまま30代を迎えたトランクス派の私。21世紀に入って、なにげにボクサータイプの勢力が延びているのを背後に感じてはいたものの、トランクスのフリー&イージーな風通しのよさにすっかり慣れきっていた私は、重要な生活インフラである下着の改革に着手することなく、これまで過ごして来た。
しかし、世は〈ちょいモテオヤジ〉ブーム。ちょいムチでちょいワルな彼等は、そのオヤジの肉っぽさを余すことなくアピールすべく、下着はもちろんボクサータイプ。さらには、いつの間にか雑誌の円グラフもボクサー支持が過半数を占めるようになり、トランクス仲間だと思っていた10年来の男子仲間も気付けばみなボクサーという始末……。クールビズでネクタイを取った彼等。実はその裏で、下半身のしめつけを強化していたのであった。
■ Craig David
クレイグ・デヴィッドを見るたびに思い出すのが、〈2ステップ・ブーム〉というものがあったという事実。そういえばあの頃はネットバブルだったり、それが弾けたりといろいろあったなー、と当時を思い出し、なんだか微妙な懐かしさに遠い目をしてみたりするのだけれど、それから5年後、すっかりオヤジ化しつつある自分をよそに、彼はまだ24歳。若い! ファースト・アルバム『Born To Do It』のジャケットで見せた端正なイキ顏と、世界中の女子の理想形の最大公約数をとったようなほどよい鍛えっぷりを見せつけたセカンド・アルバム『Slicker Than Your Average』。そして、立てた襟元からその隠しきれないスタイリッシュさが伝わってくるサード・アルバム『The Story Goes...』 …… もう、これだけで確信できる。そう、彼は〈ボクサー派〉だ。
ビジュアルだけではない。ジャストフィット感あふれる彼の音楽から漂うものもまた〈ボクサー・ブリーフ〉なのである。恐らく男性ファンの多くもボクサー派であろう。そのいかにも部屋が片付いていそうな腰まわりがキュッと締まったスマートさはまさに、ボクサー・ブリーフ・ユーザーによるボクサー派のためのボクサーパンツな音楽といったところだ。そんな彼に激似なだけでなく、ゲイ・ポルノに出演していた男優とも激似だったということで必要以上にクリソツ文脈で話題になった男といえば、ロイド・バンクス(23歳、Gユニット所属)である。そのいかにも部屋が散らかっていそうなストレートなワルさから察するに、ずばりトランクス派のような気もするのだが、時折見せるスウィートな一面に一瞬ボクサーっぽさを垣間見ることもあり、なかなか判断が難しい。ただ、もしGユニットのメンバー全員がボクサーブリーフだとしたら、それはちょっとイメージと違うような気がするので、50セントくらいはバシっと黒ビキニあたりでキメておいてもらいたいところだ。
まあ、それはともかく、新宿伊勢丹メンズ館地下の男子下着売り場で、カルバン・クラインのボクサーパンツの箱を手にしたときに喚起される、お腹が6つに割れた理想の自分や、お洒落なインテリアに囲まれたセンス溢れる俺の部屋(そして休日は彼女とお気に入りのソファに座って映画観賞@ホームシアター)といったナルシスティックなイメージのBGMとして、20代中盤のシレっと勝ち組を目指していそうな男子の脳内で奏でられている音楽。それがボクサー派、クレイグ・デヴィッドだ。
■ Lenny Kravitz
一方、〈トランクス〉だ〈ボクサー〉だ、〈勝ち組〉だ〈負け組〉だといった議論を超越したところにいるのが、ノーパン派代表、レニー・クラヴィッツである。透明下敷きの表にジェームス・ブラウン、裏にレニクラの切抜きを挟んでいた高校時代の私。〈ドレッドにノーパン〉といった彼のスタイルに、当時からオスとして到底勝てないであろうことを直感し、そこに男塾的な〈超えられない壁〉の存在を感じていたのは確かだ。〈ノーパン〉というと、下着派諸君がまずひるむのが、それにともなうシミその他の諸問題だ。しかし、オスの頂点に立つ彼らのこと、おそらく人一倍、尿のキレもよいのだろう。ついでに胃腸も強かったりして、お腹をこわして肛門あたりに緊張感がほとばしるということも少ないハズだ。
また常にそのヒリヒリとしたずるむけ感から、行き当たりばったりの体当り人生を送ってしまう彼ら。携帯を持っていないのがデフォルトのくせに、女子の部屋を転々とするものだから、なかなか連絡が取れず、きっちりとマネジメントするためには、取り巻きの女子も込みで管理する必要があったりと周りは大変である。そんな周囲の振り回されっぷりをよそに、本人的にはお泊まりの際に替えの下着すら気にする必要もなく、コンビニで調達するのはもっぱら酒やタバコのみ。そのあまりに悠々自適なスタイルに、サバンナを徘徊するライオンの姿を見る者も少なくはないだろう。さらには独身男子が、ひとり身であるがゆえに感じるわびしい瞬間第1位であるところの〈自分の下着を自分でたたむ〉という行為に接することなく過ごすことができるのもまたデカい。夜中にひとり、乾燥機から下着を取りだしては1枚ずつたたむといったシーンがない人生。むしろ、そんなことやってるようじゃ、ロックなんて一生かかってもムリ! とすら思えたりして、もはや〈ロック〉とはノーパン派男子からありがたく頂戴するもののような卑屈な気分になったりするから不思議である。
昨年発表された8枚目のアルバム『Baptism』。ファースト・シングル“Where Are We Runnin?”のプロモ・クリップには、私の妄想するこれらノーパン派男子の人生の断片といったものが非常によく描かれていて、たいへん素晴らしかった。そのストレート・パーマの変な髪型も、ノーパンというだけでものの見事に〈ロック〉として全肯定される様子に、すっかりゾクゾクさせていただいたものである。ちなみに、同クリップの冒頭には本人の着替えシーンが登場するのだが、ギリギリのところでカットされているとはいえ、何度スローで見ても下着らしきものが一切確認できなかったことに、〈レニクラ・ノーパン説〉信者としてホッとしていることを付け加えておきたい。
「CDは株券ではない」でおなじみの菊地成孔氏もノーパン派であることが判明し(情熱大陸)、あーなるほどと納得したことも記憶に新しいこの21世紀。なにかと安定を求める現代社会において、常にひとところにとどまらず、疾走感あふれた人生を送りつづける、究極にクールでオルタナティヴな存在。それが彼ら〈ノーパン男〉なのだ。もし、キミの人生になにかが足りないと感じたら、一度脱いでみるのもいいかもしれない。