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第6回 ─ 敬老の日におじいちゃんと聴きたい盤×3

連載
向 井 秀 徳 の 妄 想 処 方 盤
公開
2005/09/01   17:00
更新
2006/03/02   19:19
テキスト
文/bounce.com編集部

向井秀徳(ZAZEN BOYS)の語り下ろし連載がコチラ。毎回編集部が設定したシチュエーションにもっとも適する(と思われる)ディスクを向井氏に勝手に処方いただく、実用性に溢れたコーナーです。アナタの生活の一場面を、向井秀徳のフェイヴァリット・アルバムとともに過ごしてみるのはいかがでしょう? 第六回目のシチュエーションは、敬老の日におじいちゃんが振り返る青春時代。妄想の舞台は銭湯です。では向井秀徳、かく語りき。

(妄想世界へのプレリュード)
  風呂から上がり、脱衣所の隅でスポーツ新聞を読みながらビックルを飲んでいると、肩から尻、つまりは全身に彫り物を入れた80歳過ぎのおじいちゃんが話しかけてきた。銭湯では大抵、彫り物を入れている人の入浴は堅くお断りされてたりするのだが、そのおじいちゃんはこの町に住むどこかの御隠居さんらしく、入浴を許されているらしい。そんなおじいちゃんが「にいちゃん、よく来るなあ」と話しかけてきた。そして……。
BGM:ジョニー・キャッシュ“I Walk The Line”(ベスト盤『The Essential』収録)

 アメリカのサブちゃん──ジョニー・キャッシュの歌のように、じいさんは俺に語り始めた。

(妄想世界へ突入~シーン1)
  おじいちゃんは名前を鮫川さんといって、ブロンクスで生まれた。下町も下町、あまり裕福ではない人たちが多く住んでる場所で。時代はまだ戦前の1920年代。そこに住む男の子たちは、物心つくと同時にかっぱらいを覚え、不良グループに入っていく。鮫川さんも例に漏れず不良グループに属していた。8歳くらいのときには7UPのビンを10ダース盗むのも朝メシ前だった。鮫川さんはやがて下町の多くの子供たちと同じように拳闘を始めた。ブロンクスには黒人、白人、イタリア系、アイルランド系などさまざまな肌や瞳の色を持った人種が集まっていたのだが、そんななかでも日本人の子供は珍しく、鮫川さんはよくイジメられていた。イジメられてはいたけれど、すごく気の強かった鮫川さんは絶対にやり返していた。日露戦争時に戦艦の機関長だった父親と白虎隊だった祖父に厳しく育てられ、幼少期から〈負けるな!〉ということを叩き込まれていたからだ。11歳の頃にはそこいらの子供たちを仕切るガキ大将になり、アップタウンに住んでいる日系のお嬢さんと恋仲になった。恋人の名前はクニコ・ローズ、15歳。

その後、鮫川さんはハイドロ・ヨハンセンていうアイルランド系のプロ・ボクサーから目をかけられた。ハイドロは、そこいら一帯で大きな勢力をもっていたマフィアの構成員兼ボクサー。その当時のプロ・ボクシングは八百長試合も当たり前で、勝負に賭けられた金のほとんどはマフィアの財源になっていた。ハイドロの誘いでボクシング・ジムに通うようになった鮫川さんは、15歳のときに初めてプロのリングに上がった。リングネームはシャーク鮫川。
BGM:ステファン・グロスマン“Candyman”(『Stefan Grossman's Shake That Thing』に収録)

 シャーク鮫川はものすごく打たれ強い。わざと打たれて相手の体力を消耗させ、それから反撃するというスタイルで戦績を上げていった。ボクサーとして名を上げていった鮫川さんは、裏社会とも密接な関係を持つようになり、やがて八百長ボクサー兼マフィアの若頭になった。

  ある日、NYでいちばん古いアイリッシュ・パブで仲間とたむろしてたときだった。店のラジオから、日本軍による真珠湾攻撃のニュースが耳に飛び込んできた。その放送を聴くなり、アイリッシュ・パブにいた白人たちは「Oh My God!」と嘆きの声をあげ、一斉にシャークのほうに視線を集めた。酔っ払った白人のひとりは、泣き叫びながら「ジャップめ!」と罵り始める。SAMURAIの血を受け継ぐ日本人でありながらもNYで生まれ育ち、アイリッシュ系のマフィア組織の一員でもある鮫川さん。よくイジメられはしたが、それを力で吹き飛ばして街の英雄になり、みんなから慕われるほどの男になった鮫川さんは、いま自分の目の前で起きていることに動揺し、どうしていいかわからなくなった。自分のアイデンティティーを完全に見失ってしまったのだ。あくる日、マフィア組織からも「お前のようなイエローはウチの組織にはいらない」と言われてしまった鮫川さんを取り巻く環境は、戦争が始まったことで一変した。ボクシングの試合にも出られなくなり、うちひしがれた鮫川さんはすべてが投げやりになっていった。「俺は日本人でもない、ニューヨーカーでもない。なんなんだ?」と。そして、酒に溺れ、自堕落な生活を送るようになっていった。
BGM:ドック・ワトソン『Trouble In Mind(The Doc Watson Country Blues Collection 1964-1998)』

(シーン2)
  1953年、赤坂。戦後すぐにドヤ街が出来始め、繁華街が生まれた。東京のなかでいちばん華やかな繁華街が赤坂だった。その赤坂にひとりの男がいた。それはまさに鮫川さんだった。自暴自棄になり、アメリカを追われるようにして日本にやって来た鮫川さんは、赤坂界隈を牛耳っている幻銅組の若頭になっていた。組の親分は幻銅〈隼〉五郎。極道一辺倒になった鮫川さんは、ブロンクス仕込みの武闘派として幅を利かせ、戦後まもない混沌とした東京の街で暴れ回っていた。


日清カップヌードルカレー味

  1960年、日米安保条約に反対する運動が巻き起こる。街中で巻き起こっていた学生デモは警察の力だけでは制圧できなくなり、暴力団組織にも要請がかかるようになった。その制圧を請け負ったのが幻銅組だった。その長であった鮫川さんは「甘っちょろいガキがっ! 母ちゃんのおっぱいでも啜ってな!」「ここはクリケットのコートじゃねーんだぜっ!」と、アメリカ育ちならではの殺し文句を垂れながら、「反対!反対!」とわめく学生の集団に向かい、蹴散らしていく。ある日、制圧した学生デモの集団のなかに、気絶して置き去りにされた若い男子学生を見つけた。鮫川はその学生の身体を揺すりながら「お前はどこの一派なんだ?」と詰め寄る。が、その学生は強情で何も言わない。そういうやり取りを繰り返しているうちに、鮫川さんはその学生になにか他人じゃないような感情を抱いた。鮫川さんはふと思いついて「お前、生まれはどこだ?」と訊く。「ニューヨーク、だ」と。「母親の名は?」と訊くと「ローズ、クニコ・ローズ」と。「!?」と鮫川さんは心のなかで驚嘆する。日本人であることもアメリカ人であることも捨てたと思っていた鮫川さんは、忘れたはずのあのNYの摩天楼を思い出し、愛したクニコ・ローズのことを思い浮かべる。そして学生はしゃべり始める。「俺の父親はNYでもっとも強かったボクサーだ。シャークのように強かったんだ。お前みたいな極道モンなんかじゃなく、立派な人なんだ!」と。学生は自分の父親について、亡くなった母のクニコ・ローズから「日本人でありながらアメリカ人となって闘い、硫黄島で死んだんだ」と聞かされていた。捨てたはずのNYへの想いや知らなかった息子の存在、そういったものがないまぜになった鮫川さんは、涙をポロポロ流しながら「My Son」と小さく言葉をもらした。アメリカで生まれ、アメリカを追われ、自暴自棄になって自分自身のアイデンティティーを探しながら生きてきた鮫川さんは、自分の残していたものがまだ存在していることを初めて知った。そしてようやく、自分が何物なのか気付いた──自分は父親だ。自分にも子孫を残すことができるんだと。そして学生から「Are You My Daddy?」と問われた鮫川さんは、自分の息子を見つめてハッキリと「My Son」と言った。

  その後、鮫川さんはきっぱりと極道から足を洗い、一人息子といっしょに生きていった。

(シーン3)
  「それからずっとどうしてたんですか?」と訊ねると、鮫川さんとその息子は英会話教室を開き、息子さんは現在、NOVA級規模の学校の会長さんになっている……という話を英語で語ってくれた。

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