NEWS & COLUMN ニュース/記事

第19回 ─ C-C-B、森山直太朗、松浦亜弥の3枚を分析!

連載
CDは 株券 ではない ― 菊地成孔の今月のCDレビュー&売上予想
公開
2005/02/28   14:00
更新
2005/03/01   03:44
テキスト
文/菊地 成孔

DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN、SPANK HAPPYなどの活動や、UAやカヒミ・カリィ他数多くのアーティストのサポート、また文筆家としても知られる邦楽界のキーパーソン、菊地成孔が、毎月3枚のCDを聴いてレビュー。そしてそのCDの4週間での売上枚数を徹底予想します!

  CDそして株券を愛する皆さんこんにちは。もしくはこんばんわ。恋人が言っていた「今夜会えない用事」が、ウソだったと解った瞬間の方は急いで自宅にさようなら。菊地です。まるで若い恋人同士のように、来るべき物が一週間遅れてしまいました。さりげないシモネタである事にお気づきでしょうか? ではもう一度。

 来るべき物が、一週間遅れてしまいました。まるで若い。恋人同士のように。

 申申しし訳訳在在りりまませせんん←掲載が遅れたこととシモネタとダブル謝り。どうですかこの手法。一挙に2つ謝りたい時。例えばお姉ちゃんのお煎餅を食べてしまい、お姉ちゃんがキレて、その最中に、自分が履いてるパンティがお姉ちゃんの物だと気が付いたとき。あなたはどうしてますか? だってお腹が減ってしょうがないときって誰だってあるじゃない? ちがう?! ねえっ!!
 
 …………

 駄目だ……ヤング係長H君。僕はもう駄目だ。ごめん仕事が忙しくてこの連載の原稿が遅れるなんて。こんな僕に、CDが株券になる日なんて、永久に来ないんだよ。

 菊地さま

 おおすごい。嘆いていたらちゃんと来た。キリストみたいじゃないか。

暦の上では立春とは申しながら、まだまだ寒い日が続いております。体調など崩されてはおりませぬでしょうか。

 もっといろんなもんが崩れてますよ。旧共産圏諸国の様に。

私は日々春の訪れとCDが株券になる日を楽しみに毎日を過ごしております。

 ああ。何か雅に有り難い感じ。うううう(とても爽やかな涙)。

と、挨拶もほどほどに前々回の答え合わせに入らせていただきます。

 うううううううううううううう(地上波放送のJ-ホラーをザッピング中につい見てしまった時のような、トラウマ性の恐怖による涙)。

■長渕剛 “金色のライオン”
予想枚数 75,000枚 → 売り上げ枚数 50,331枚(発売4週目)

■BoA “メリクリ”
予想枚数150,000枚 → 売り上げ枚数 113,692枚(発売4週目)

■サンボマスター “青春狂騒曲”
予想枚数 30,000枚 → 売り上げ枚数 30,463枚(発売4週目)
  ※オリコン調べ

 おおおおおお! 長渕、BoAはハズしましたが(でもそんなに遠くない)、サンボマスターはわずか463枚の差で当たりであります! 素晴らしい! 先月の鬼束ちひろに続き2ヶ月連続で大当たり。しかも両方3万枚(笑)。この調子で毎月当てていけば、CDが株券になるのはもちろん、年号が〈CD株券〉となることも夢ではないはずです。今月も当てていきましょう!

 うおおおおおおおおおおおおおおお!!(こう。〈勝利〉を観る者を感情移入させるため、、視聴者を強く意識した涙。「アメリカ横断ウルトラクイズのチャンプ」の作法による。若い読者の方すみません。急に予告無く終わったんですよあの番組)そんなもん、今までのハズレっぷりから見たら(aikoに10分の1付けたり、娘。に10倍付けたり・笑)、こんなのニアピン。いや全問正解だよっ!! どうするどうする? マジで当たる連載。になっちゃったら! オリコンからオファー来たりしてね! 相場師として! そしたらH君と僕で7:3で良いよ。全部3万枚に張れば良いんでしょ? もうコツ解ったもん。次のレースからは全部当ててゆくから! いけるいける! 年号はやっぱ〈株輝〉でしょ! CDのピカピカした側面を生かして!

 と、驚きのあまり、思わず競艇にハマる人の精神世界をシュミュレートしてしまいましたが。そうかあ、当たってしまうのか……うーむ。ちょっと勉強しすぎたかな。当たっちゃ詰まらないもんねえ……とはいえ、前回の〈トラジ・ハイジ〉は既に10倍付けで撲滅。なのは解ってるから良いか……って何が良いのか全然わかんないよ。という台詞はこんな時に使うのですねー!

それでは、今回のアーティスト紹介に入らせていただきます。

 うむ。

C-C-B
 80年代に数多くのヒット曲を飛ばしたアイドル・バンドであります。この“Romanticが止まらない”は85年に発売された彼らの代表曲で、ドラマ「毎度おさわがせします」の主題歌として記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。今回のリミックス・シングルは、コーヒー飲料のタイアップとなっており、山本リンダ、吉川晃司ときて第三弾がC-C-B。それぞれ本人出演のCMが話題を呼んでおります。〈松本隆&筒見京平コンビによる歌謡名曲の復刻〉というよりも、企画モノ色が強い作品と言えそうです。

森山直太朗
 03年に発売されたシングル“さくら(独唱)”が80万枚を超えるヒットを記録したシンガーであります。森山良子の息子としても知られ、多少ナルシスティックな感もありますが歌唱力には定評があり、若者のみではなく壮年層にも人気を得ているようです。本人主演のミュージカル・ライブ「森の人」では1万人以上の観客を集め話題となりました。

松浦亜弥
 あややであります。現存する最強のアイドルとの呼び声も高く、CMやドラマにひっぱりだこ。テレビを点けて彼女を見ない日はないのではないのでしょうか。多くのハロプロ好きから「大人っぽくなった」と評判の彼女ですが、本シングルはこれまでにないほど〈女性性〉を匂わせるジャケットで、彼女にとって一つの転機と言える内容になっているのではないかと思われます。その女性性が楽曲に、そして売り上げにどのように反映されるのか。が予想のしどころではないでしょうか。

以上であります。それでは、今月もよろしくおねがいいたします。

 よっしゃー。今回もなるべくハズれるように真剣に予想してみましょう!! 企画モノが多いな。企画モノは苦手だから大丈夫!!(自分の気持ちが分からなくなってきたな。若い恋人同士のように)今回は東大調で行ってみましょう!!(註:本人も信じがたいのですが、筆者は東京大学教養学部の非常勤講師であります)

C-C-B “Romanticが止まらない”

  この曲のオリジナル・ブレイク時に僕は22歳で、この曲が嫌いでした。僕だけではなく、当時僕が属していたセクトにとって、この曲は恰好の嘲笑の対象でした。そしてもう一方では、今やすっかり〈完全無欠の美女〉として最高値安定的な株価を誇る(例の文士の方との結婚によって株価がどう変動したか、テレビも女性誌もほとんど見ない僕には解りませんが)中山美穂さんが、今で言う〈グラヴィア・アイドル〉にほど近い扇情的なセクシュアリティーで登場した、当時のテレビドラマと癒着した甘い記憶として、この曲が青春の1曲。になっているセクトがあったわけです。「〈セクト〉って何?」とか「おまえがいたセクトってどんなイデオロギー?」とかいった事よりも、最重要なのは、当時セクトが二つしかなかった。ということ。そしてそれは、東西冷戦時代にも似て、逆説的な平和と安らかさがあった時代だったわけです。

 昨年の年末放談(そしてそれの補完テキスト)に……というより、この連載自体の通底テーマである「リヴァイバル周期。という時間感覚はどう変容/消失したか?」という物がありますが、この曲の制作サイドは、敢えて言葉にすれば「懐かしい名曲リヴァイバル商売なら、年代はこだわりなく、いつのでもやりまっせ~(流石に戦前とかはないけど……いや、場合によってはいつでもやるかな)」といったスタイルの商魂の持ち主でしょう。〈85年〉に特に意味はありません。このチームは山本リンダも扱い、手広くやっているからです。

 ただ「90年代だっていけるぞ。これからは」という、クールさやスマートさは感じられません。「懐かしいと言えば2~3~40年前の事でしょ。え?違うの?」という〈タカの括り方〉が、〈おっさんの仕掛け〉感を強く感じさせます。おっさんのチームです。とはいえ、アレンジの船山先生は御年に関わらず非常に若々しいトラックを作り、正直ま、あれ。すげえな。ぐらいに良いトラックです。若造り大成功。という感じでしょうか。

 とはいえ、これは余り売れないと思います。〈オッサン〉というのは、成功するときはエゲつないものですが、失敗するときは悲しい物です。予想屋の責任として、この企画は〈ハズレ〉に張ります。僕も42の立派なオッサンですから、オッサンがハズす悲しみを指摘するだけで断腸の思い。なのですが(ウソ・笑)

 理由は

 1)当時の懐かしい曲は、今やどこでもパック商品でオリジナルが手にはいるので(〈本人によるカヴァー〉と〈別人によるカヴァー〉の違いに、あんまり意識的じゃないんじゃないか感。つまりオッサン臭さ)

 2)あやかっている感(ピンクレディーが再結成していけたみたいじゃないか。だったら……という、実にオッサン臭い二番煎じ感。こういうのを〈柳の下の二匹目の泥鰌〉と言います。柳とか泥鰌とか、オッサン臭いでしょう?)

 という二つのオッサンの失策。に加えて

 3)C-C-Bというアイテムが、久しぶりに出てきたのではなく、実は地道に活動していた感。を漂わせているから。

 4)C-C-Bが、売れたピーク時から、軽いフリーク感を持っていて(ヴォーカル兼ドラムの人の高い声が、ぎりぎりのキモさでアピアーしていた)、〈年齢を重ねて渋くなった〉的な+αが望めないから

 という、C-C-B自体の質による物(まあ、それをラインナップしてしまうのも〈オッサン〉なのですが)、そして

 5)そもそも〈ワンダ〉陣営は〈ファイヤー〉陣営に常に企画センスで破れているので(〈ファイヤー〉という商品名を入れたバラードを、スティービー・ワンダーから八代亜紀にまで数人に歌わせた歴史に残る名企画があり、あれを越えるコーヒーのCM企画センスは未だ出ていないと思われます)

 という、コーヒー・ブランドとしての後追いイメージ。

 おっさんがんばれ。うそ。このままいけ。9千枚

森山直太朗 “時の行方~序・春の空~”

  ロココやマニエリスム。はたまたバロック。西洋美術史の用語を出すという当連載らしからぬ野暮はしませんが、とにかく凄すぎる物は変になります。ある一定を越えると、それがどんな物でも、奇形化するしか道はありません。皆さんもいろいろ記憶があるでしょう? 凄すぎる物が、どんどん変に成ってゆく。という現象を。

 歌の世界で、〈上手い〉が〈凄く上手い〉に、更に〈もう、上手すぎる〉まで至ったとして、それでもなおまだ歌唱力が上がった場合、結果は常に一つ。〈変な歌い方になり、しかも人を感動させる〉という事が起こります。玉置浩二然り、井上陽水然り、ミスターチルドレン然り。どれも〈もの凄く歌が上手く、もの凄く変な歌い方で、もの凄く感動させる〉という、もの凄い三連発です(三発目は裏目って〈気色悪い〉という事に成りかねませんが)。

 つまり、〈変な歌い方〉には「下手なので変にして誤魔化している内に様式化した」ような奇形性と「上手すぎるが故に、もう、崩れざるを得ない」という奇形性と、コースが二つあるのですね。大まかに。

 僕等はこの〈高い歌唱力(能力)=奇形〉という図式、もっとぶっちゃけて言えば〈凄い物は変な物〉という原理みたいな物を、実はとっくに知っていますから、そういった物がもたらす、ある種の〈疲れ〉を癒す方法として〈そんなに上手くないこと=自然=奇形的ではない〉に、あるいは能動的なアンチ(〈心地よい疲労〉によって、前段階の疲労を蹴散らす)として〈下手くその奇形〉の二派に、おのおのすがるわけです。

 森山直太朗のセンス、ビジュアル等に関して掘り下げるのは字数の関係上諦めますが、とにかくこの曲は「直太朗の歌が、とうとう変になってしまった(勿論、上手いコース)」最初の曲として記録されるでしょう。そして、音楽家の営為の中で、唯一歌唱法だけが奇形化(ある種の〈やりすぎ感〉)する。という事はほとんどありません。奇形化は営為全般、やがては存在全体に及び、とうとう奇形性を感じさせない堂々たる〈オリジナルの形式感〉の獲得にまで至るわけです。

 「森の人」というミュージカルに彼は主演し、観客動員実に1万人。だそうですが、〈森の人〉というのは〈オラン・ウータン〉という意味の日本語です(話法が転倒しているので解りずらいですけれども、意味解りますね?)。い、いいの? オラン・ウータンで? ……い、いいのか。そうだよな。そうだよ。いや素晴らしいよな。というこちらの心情の変化が、この曲を聴いている心情の変化そのものとシンクロします。

 歌い出しの「はあんあんあああ~ん」という部分で、僕は図らずも、飲みかけのダイエット・コークを盛大に噴き出し、黒い噴霧によって床をベタベタにしてしまいました。「ダウンタウンの松っちゃんだろこれー! すげえー! だははははははははは」しかし、その笑いは、わずか数秒後「ははははは……は……は……は…………」とフェードアウトして行きました。若くして森山直太朗は独自の世界を完成させたかのようです。渡辺善太郎の、あらゆるナチュラリズム~エコロジズム~アニミズム~ケルティズムを悠然と嫌みなく駆使した、素晴らしいトラックもあいまって、僕は直太朗が〈沖縄〉だの〈なんとか島〉だの〈どっか地方のなんとかの森〉だの言った、世界遺産を我が物にでもしたような、ナチュラル気取りでその癖かなり自己愛的/搾取的な世界観(お馴染みの奴ですよね)に拘泥せず〈独唱〉だの〈序〉だの〈春の空〉だの、和風に固めているところを評価します。「沖縄もう古いからよう」といった、腹黒い戦略が実は後ろにあった。といった事が万が一あったとしても(無いと思いますが)。というより、直太朗のセンスが、中島みゆきのそれとほとんど一緒。という事に、本人及びスタッフ及びファン。が、どれだけ意識的か? と言うことが今後重要になってくると思いますが。

 僕が殺意に近いほどの憎悪の反響を頂いた〈鬼束ちひろ〉さんのレビューに書いた〈危険〉、〈罰当たり〉感が、直太朗には全くありません。直太朗の奇形化は自意識という〈言語〉からではなく、歌が上手すぎる。という、肉体的な能力の過剰発達によってもたらされた、ある種の純粋さがあるからです。歌詞も、深淵(エンヤみたいな)そうに見えて、落ち着いて読み直せば何て事無い、柔らかい単なるラヴソングなのです。そこが素晴らしいです。

 “さくら(独唱)”が80万越えたとはいえ、この曲は完成と同時に試練の曲です。売り上げなど直太朗は気にしてないでしょう。それが15万だろうと。

松浦亜弥 “ずっと 好きでいいですか”

  「松浦亜弥が近頃妙に大人っぽい」という情報を流せば、そこには餌に群がるピラニアのようにして「大人っぽくなったんじゃねえ。歳を誤魔化せなくなっただけだ」とか「上半身肥満傾向がおばさんっぽいだけだろ」とか「もともと最初からあの人は、すっごく大人/女よ」といった心なき声が炸裂するでしょう。テレビも見ず、ハロプロ帝国の世界地図に関して古代版しか持ち得ない(僕は娘。の動く姿を3年以上見ていません)僕ですら、空想のあややスレッドをこうして立てることが出来るぐらいには、彼女はこの国の空気に、水道水に、ストリートのノイズに、その存在を浸透させています。

 僕は当連載で、ほんのいくつかの〈ハロプロ帝国/ゼティマ共和国/つんく♂王国〉の輸出品を吟味しましたが、そこで解ったことは〈彼女達に性欲さえ持たなければ、この諸国の産物からはつんく♂の姿しか見えてこない(見えすぎる)〉という、当たり前の、しかし強烈な事実です。総ての曲がつんく♂のソロ曲です。この事はハロプロ文化を考える上で最重要な事なのですが、当連載のワンコーナーには納まり切りません。

 彼等、そして今や彼女等も大量に含む、ハロプロ帝国の産物を食べて生きる人々。は、欲情という盲目性によって、つんく♂を抱き、つんく♂にぶっかけていることに気が付きません。そんなもん自盲でも何でもしてリアルに感じないようにしないとやってられないでしょう。近親相姦みたいなものだから。

 狸に化かされて、受け取った小判は翌朝見ると葉っぱだった。という日が、彼等、彼女等に訪れるのでしょうか? 不幸にして(これは皮肉ではありません。僕だって幸福の方が良いです)僕には訪れました。こういう〈自分で買ったわけではない、自分で選んだわけではないレビュー〉という、特殊な仕事をしていたが故です。後藤真希さんと藤本美貴さんに、僕はまだ辛うじて欲情しているので、つんく♂を抱いている感じは忘れさせてくれる筈です(ソロ曲とか聴いたことがないので解りませんが)。そしてすぐに考えつくことは〈違うソングライターの曲(つんく♂が選んだカヴァー。ではなく)が聴きたい〉ということですね。勿論これは、つんく♂の曲が嫌いだとか、飽きたとかいった話ではありません。ひとりのソングライターが、ある世界全体の楽曲を全て担当している。という事の異様さ/重要さを言っているのであります。

 何はともあれ、最も僕好みの水着でも着て、部屋のベッドで寝ころんでいたとしても頭の中に浮かぶことと言えば恐らく「早く原稿書きたいなあ。先に寝てくれないだろうか」という物であろう筈の松浦亜弥さん。のこの曲も、少なくとも、僕にはつんく♂の姿ばかりが鮮明にクッキリと、まるでつんく♂シュミュレーター、マルコビッチの穴。の様に機能してきます。

 つんく♂の曲は、よく〈パクり〉だと言われますが、厳密には少々違います。つんく♂は〈曲をパクる〉ほどのメロディー感がありません。元ネタ(旋律のストック)はかなり少ないか、極言すれば〈無い〉と思います。彼の作業は、完成したバックトラックを聴いて、その上で鼻歌を歌うことです。旋律に関する学問的(プロ作曲家的)経験的(DJ的)な蓄積が彼にはありませんので、古典的なポップス作曲法から見ると破格(値段の事じゃないですよ・笑・格式を外した。という意味です)が随所に見られます。破格だけで全体を構成し、数小節だけプロ的なフレーズを入れている。とさえ言って良い。批判的に聞こえるかも知れませんが、全く違います。この方法で作曲している人のもう一方の代表格が小西康陽さんです。

 この方法は、こうして完全な学閥外にありますから、革命的な現象を引き起こす力、そして独裁による帝国主義的な成功をおさめる力。を持っています。そして起こしたと言って良いでしょう。つんく♂と小西氏。というのは〈作詞作曲〉という接面によって、合わせ鏡のように似ているのですね。音楽的な分析が当連載では出来ないことが悔やまれますが、音楽用語で〈メロディック・ケーデンス〉という概念があるのですが、つんく♂と小西康陽はその感覚が完全に欠損していて、その上での独特な旋律水平進行の原動力を生んでいます。

 話が横道に逸れましたが、この曲は、(噴き出すのを堪えながら言えば)つんく♂の曲です(笑)。文字通り、そして、文字外でも。つんく♂の恋愛観。つんく♂の青春観。つんく♂の人生観。つんく♂の世界観。アフリカ民謡のようにして、ゲシュタルト崩壊するまで繰り返す、つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂つんく♂。

 この曲とて松浦が太ったの痩せたの、大人になっただの歳を誤魔化して居るだの、そんなこた一切どうっでも良いことです。僕はつんく♂がネタは完全に切れている。という状況の中で、自己様式美化することに、自己循環することにどんな思いで居るのだろう。乖離の程度はさぞかしすごいだろうな。そうでもないのかな。とかばかり考えてしまいます。10年、いや3年後も、つんく♂がハロプロ唯一のソングライターであることを維持した場合、それは世界に誇るコンセプチュアル・アートの形式として評価されるでしょう。え?枚数?全く予想も付きませんね(笑)。今まで彼女に合わせて(打ち出すために)ハロプロ帝国の中でも比較的特化性の高い曲を与えられていた彼女が〈つんく♂の、どっかで聴いたことがある(こういった既視感/既聴感を自己隠蔽するために、ハロプロ・マニアは自我の相当部分を費やしていると思いますが)マイナー調〉を歌わされている。というのが昇格よりも降格に聞こえます。そもそもロリコン天国のこの国で、アイドルが〈大人っぽくなった〉事の意義が如何ほどの物なのでしょうか? 僕は唯一安達祐実のみがそれを(強引に)成功させたのではないかと思っています。今、サイコロを転がしたら5がゾロ目で出たので、5万5千枚としましょう。

▼菊地成孔関連作品を紹介