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第2回 ─ LOVE PSYCHEDELICO、モーニング娘。、氣志團の3枚を分析!

連載
CDは 株券 ではない ― 菊地成孔の今月のCDレビュー&売上予想
公開
2003/10/30   20:00
テキスト
文/菊地 成孔

DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN、SPANK HAPPY、Tokyo Zawinul Bachで活動、また文筆家としても知られる菊地成孔が、毎月3枚のCDを聴いてレビュー&売上枚数を予想。

 どうもどうも。携帯着メロ産業の勢いに乗って、株券が音楽付きのCD-Rに成ったら末期資本主義もヒットチャートももっと面白く成るかも知れないなあ。などと、一体何を言っているのか自分でも良く解らないまま、やる気だけは億点満点のこの連載ですが(笑)、「前回の答え合わせ」は「初動(発売第一週)」ではなく「二ヶ月分の累計」にしてくれ。とさっき突然編集部が決定しましたので(何でだろう。えー。考えないことにしようっと)、今回からそのつもりで、早速いってみましょう!

LOVE PSYCHEDELICO “MY LAST FIGHT”

  僕は、そもそも「90年代の音楽(特に邦楽。の中でも特に〈洋楽みたいな邦楽〉の中でも特にロック寄りのもの)」をほとんど知らないんです(それで良くこんな連載してるよな・笑)。ですから、この人達のことは「すげえカッチョイイ、スタジオ録音技術と、周到なソングライトと、存在感のある歌声によって、ものすごくロックファンに支持されている、売れまくりのユニット」という風な、まるでサラリーマンしかも50代ぐらいの感じ。の把握(笑・すいません本当に)で、ちゃんと自宅で(コンビニとかじゃなく)オーディオで(テレビとかじゃなくて)聴いたのは実は初めてなんです。

 聴く前に僕が言いたかった感想はこうです「おお。やっぱ90年代は終わったとはいえ、流石LOVE PSYCHEDELICOは堅実に良い曲クリエイトしてるよなあ。地味だけど良い仕事してるわ。うんうん。余裕って奴だな」という、実に横柄なのか何なのか自分でもよく分からないものでした。そして、聴き終えた瞬間(というか、ちゃんと批評しようと5回聴いたんですが)に感じた感想は、それを3分の1ぐらいに希釈した感じでした。

 イントロが短く(3小節だけ)、エンディングが実にあっさりしている。というタイトさにセンスの良さを感じるものの、曲自体は、ごめんなさい、どーうしてもアルバム収録曲に聴こえてしまったし(もっとグッと来るのが他にあるんだよね? そうだよね? という気持ちを持ってしまいました)英語と日本語が混ざった歌詞は、どうやら別れを表現しているらしいな。という以外、何度読み返しても、とうとう意味がよく分からないままでした。

 しかし、これは、僕の「90年代の洋楽みたいな(特にロックみたいな)邦楽」音痴。のせいでしょう。これは、彼等の余裕の一枚、もしくは新機軸なのかも知れませんね。僕にグッと来なくても、これを支持する人々の存在は、まだまだ強く感じます。二ヶ月だったらそうだなあ、20万枚

モーニング娘。 “Go Girl ~恋のヴィクトリー~”

  うわあ。連載二回目にしてとうとうこの日が来たか。というのは、彼女達についてお金を頂いて何かを書く時が。という事です。現在この国でもっともヲタクという消費メジャー(ということは批評メジャーでもあり、分析メジャーである。ということですが)を抱えている筈の彼女達について何かを書く事に関する慎重さは、ある種の人々がゴダールの新作について成らざるを得ないそれを、僕にとっては遙かに越えています。なのでもう、余計なことを考えずに。目をつぶって一気に聴いたままを書くことにします。

 この曲は、後一押しで「パラパラ」になります(BPM的にも、構造的にも)。そして、各人のソロ。というのが一切ありません。ユニゾンによるヴォーカル。というのは、人数が増えれば増えるほどトーン・グレイして行くのは物理的に不可避的。プロトゥールスを使って機械的に修正された15人ものユニゾンは、最早、モーニング娘。なのかどうか、僕には解りませんでした。そういう人工性の強さも「パラパラ感」を強調しています。彼女達はとうとう(誰もが思っていたように)もうすぐ軍になるであろう、あの隊のポスターに登場しました。ハロー!プロジェクトのドーム公演のサブタイトル(というか、実質的にはこっちがタイトル)には「日本の女の子は、音楽と体育です。」とあります。

 僕はこれに、ナチス・ドイツの社会体育推奨を連想(勿論、その事に一切文句はありませんが)してしまうような奴です。ですから僕が反射的に思い出したのは〈真珠湾攻撃から三日後に演奏された、ベニー・グッドマン楽団(スイング・ジャズ。という、とてもノリの良いダンスミュージックで、第二次世界大戦での、アメリカの国威掲揚音楽になりました)の凄まじいまでのスイング感と一体感〉でした。恋が勝負であり闘いであり(その点では前述のLOVE PSYCHEDELICOだって同じですね)、勝利を目指すもの。であるというアナロジーは目新しくも何ともない。しかし、ここでの「ヴィクトリー」は、もう、どうしてもそのアナロジーを少々越えている様にしか思えませんでした。何も考えずにとにかく100万枚(おっぱじまったりしたら500万枚・笑)。

氣志團 “SECRET LOVE STORY”

  彼等のことは僕は個人的に大好きですから、客観的な批評や、ましてや枚数予想なんて出来ればしたくないのですが、当然の〈全員サンタ・ガクラン〉で決めたジャケ写と共に届けられたこのクリスマス・ソングはわくわくせざるを得ません。しかし「21世紀のクリスマス・ソングは、ジョージ・マイケルのラスト・クリスマスと達郎のクリスマス・イヴをいつ越えるのか?」という、神学の難問にも似た高いハードルには、どうやら彼等でさえ苦戦しそうな模様です。

 故・ナンシー関の「日本人の血中には銀蠅とファンシーは絶対に滅びることなく流れている」という有名なテーゼを、天使的とか運命的とか言ってもかまわない強度でがっちり受け止め続けている綾小路翔の歌詞は、余裕で書き飛ばした感と、周到に練られた感が同居する、つまりは堂々たる完成度で、そこから完全に無関係でいる日本人は(10代を除けば)ほとんどいないんじゃないか? とすら僕は思います。今回、LOVE PSYCHEDELICOが恋の終わりを、モーニング娘。が恋の勝利を、共にファイトとかヴィクトリーとかいった言葉で歌っているのに対し、彼等が切ない切ない、切なすぎるまでのクリスマスの一夜を歌っている事が、僕にはとても印象的でした(因みに選曲は編集部によるものです)。

 しかし、曲の要素が多すぎ、これを豊穣と見るか? 残念ながら僕は散漫と見ます(各パートは素晴らしいのですが)。曲は綾小路翔と星グランマニエとの共作で、恐らくそこら辺の事情を表しているのでしょうが、やはりクリスマス・ソングというものは、加算よりも減算で、絞り込む方がよろしいようです。阿部義晴のサウンド・プロデュースが凡庸なのか、メジャー感がある安定したものなのかコインの裏表に貼って宙に放り投げ「安定感」の方が表に出たので30万枚

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