注目アイテム詳細

「狐信仰は定義が難しい」「日本人は死者との距離が近い」小泉八雲が“異邦人”だからこそ気付いた日本の民俗

BookTopicks

現在放送中の連続テレビ小説「ばけばけ」。明治時代に来日し、日本に伝わる数々の“怪談”を翻案し広めた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とその妻・セツがモデルとなっている。今回ご紹介する『小泉八雲「見えない日本」を見た人』は、ギリシャで生まれ紆余曲折を経て日本へ来た八雲の旅を追体験すると共に、日本の“民俗”を見つめ直す一冊である。

●八雲も驚いた日本人の健脚ぶり

民俗といえば、祭りや儀式、伝説、昔話、歌謡、生活様式、道具、家屋など、太古から引き継がれてきた伝承文化のイメージが強いかもしれない。しかし、本書の著者・畑中章宏は民俗をこう定義する。

ある地域に暮らしてきた人々が送ってきた伝承文化と、その伝承文化の上に現在送りつつある生活文化のことだ (※注)

まさしく八雲は日本の古さを懐かしむだけでなく、大きく文化が変容していく過渡期にあった文明開化の日本にも心を動かされたという。そんな八雲は、来日して横浜に到着するとすぐに人力車に乗り、横浜市中を巡った。人力車は明治2年に考案され、当時東京府下だけでなく地方にもかなり普及したそうだ。

八雲はこうした“新しい移動手段”を利用しながら、日本人の健脚ぶりにも驚きを表している。日本では昔から“お伊勢参り”や“お遍路”といった巡礼があるが、八雲はそれらを神仏のための巡礼というよりも、自らの楽しみのための旅ではないかと指摘した。なぜならどの寺院も美しく、国中の山や谷には必ず人目を引き付けるような寺院があるからだ。

人力車で人の脚による移動の速さを実感しながらも、日本人の健脚は“速さを得るため”ではなく“宗教的な娯楽や民間信仰の楽しみを得るため”と考えたのは、人の営みを見つめた八雲ならではかも知れない。

●盆踊りと“死者”

八雲は、日本人が普段の生活から“死者”との距離が近い点に強い関心を抱いたという。とくに“何時間見ても見飽きない”と興味を示したのが、「盆踊り」だ。八雲は上市(現・鳥取県西伯郡大山町)という村の盆踊りを見た際に、まるで歴史以前の神代の時代から存在したものを目にしたような気分になった。

この盆踊りは、数えきれない長い歳月の間に、その意味が忘れ去られてしまった動きを、象徴しているのはないだろうか。(中略)いつしか八雲は、「もしここで、そっとささやき声でも発したら、すべてが永遠に消えてしまうのではないだろうか」と思いはじめていた。 (※注)

今でも盆踊りは日本各地でおこなわれているが、そのほとんどが娯楽や交流が主になっている。しかし本来の盆踊りとは、先祖を供養するための意味合いが強いものだ。八雲は“本来の”エッセンスを残した盆踊りを見て、その神秘性にあの世とこの世の境界が曖昧になるような感覚になったのだろうか。

●狐信仰はなぜ雑多になったのか

日本の新道は、“八百万の神”というように古代以来の多神教だ。ものすごい数の神がいるため、さまざまなものに“信仰”があるのはご存知だろう。本書でも樹木信仰や疫神・疫病神信仰、信仰をお札に託す習慣などに触れているが、その中でも「狐」に関する信仰を定義することは難しいと八雲は述べている。

狐を「悪い神」として祈るのか、「善い神」として祈るのかと聞かれたら、八雲は、「稲荷は善く」、「稲荷の狐も善い」と答えるだろうという。また白狐と黒狐については、白狐は敬われ、黒狐は殺され、「こんこん」と鳴く狐は善い狐、「くわい、くわい」と鳴く狐は悪いと答える。 (※注)

五穀豊穣を司る「稲荷神」や人を化かす「化け狐」、人の気が狂ったようになる「狐憑き」など、確かに狐に関しての信仰は多様だ。

そもそも狐信仰は中国からもたらされた。それが日本に伝わった際に神道の信仰と混ざったという。そして仏教の呪法などの観念なども加わり、信仰の幅も広がっていった。本書によると、稲荷神の姿のひとつである茶吉尼天はインドの“吸血”の女神だ。他国からやってきて、日本でさまざまな信仰と混ざり広がった狐信仰。一言で定義できないのは当然だろう。

本書には他にも八雲以外の異邦人から見た日本など、日本の民俗学を深く理解する上で重要なトピックスが記されている。日本に生まれて住んでいる我々も知らない“日本”を、深く知ることができる一冊ではないだろうか。

(※注)畑中章宏「小泉八雲 「見えない日本」を見た人」より引用

●連続テレビ小説「ばけばけ」主題歌

●小泉八雲 著書

towerbooks

セブン-イレブン受け取りサービス

タグ : レビュー・コラム

掲載: 2025年11月22日 18:00