「ばけばけ」のモデルとなった小泉セツと夫・八雲――没落・困窮・結婚の失敗、異なる国で生まれた似た境遇を持つ2人の歩みとは

今回ご紹介する書籍は、「小泉セツと夫・八雲」。2025年9月29日より放送が開始された連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルである、小泉セツと小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの生涯に迫る1冊だ。異なる国で生まれた2人はいかにして出会い、結ばれたのか――。本書を通して夫婦の歩みを紐解いていこう。
●養子に出されたセツ、その苦難に満ちた人生とは
「ばけばけ」の主人公・松野トキのモデルであるセツは、松江藩の上級士族の家系である小泉家に生まれた。しかしセツは、生後間もなく並士の家柄である稲垣家の養女となる。子宝に恵まれた小泉家と恵まれぬ稲垣家の間で、次に小泉家に子どもが生まれた時は男女問わず稲垣家の養子とすると取り決められていたためだ。
セツは養父母に大切に育てられたが、明治という新しい時代が士族たちの生活を根底から変える。武士が藩主から自動的に手当が支給される時代は幕を下ろし、政府は士族たちに就業を奨励。多くの士族が、家禄を奉還する代わりに政府から事実上の退職金を貰い受け、その金を使って事業に乗り出した。
セツの養父も事業に乗り出したが、商売の知識も経験もないため失敗。困窮した稲垣家を支えるため、セツは進学を諦めて働きに出る。18歳の年には、稲垣家の立て直しを図って、同じく困窮した士族の男性と結婚。しかしこの結婚は上手くいかなかった。
セツが十九歳の年、セツの夫・為二が出奔した。貧窮する稲垣家に耐えきれなかったのだろう。 (※注)
●ハーンの心を掴んだ「古事記」
後にセツの夫となるラフカディオ・ハーンは、アイルランド出身の父とギリシャ人の母との間に生まれた。ハーンもセツ同様、波乱万丈の人生を送っている。幼くして父母と離れ離れになり、面倒を見てくれていた大叔母は破産。学費も払えなくなったため、ハーンは通っていた神学校を中退した。
その後も、祝福されぬ結婚や事業の失敗など、苦労が耐えなかったハーン。そんな彼が日本文化と出会ったのは、アメリカで新聞記者として働いていた頃のことだ。ハーンはニューオーリンズ万国産業綿花百年記念博覧会で、東洋から唯一参加していた日本の展示品に触れたことをきっかけに、日本文化に惹かれていく。日本に関係するものの中で特にハーンが気に入ったのは「古事記」だった。
ギリシャ神話と同じように多神教である『英訳古事記』の世界に、ハーンは感銘を覚えた。よほど気に入ったらしく、ハーンは後に来日すると、横浜で『古事記』を、改めて購入している。 (※注)
日本文化への強い思いから、日本に関する著述をおこないたいと考えていたハーンは、寄稿していたハーパー社の雑誌特派員として念願の初来日を果たす。このとき、ハーンは40歳だった。
●セツとハーン、運命の出会い
ハーパー社は「ハーンの日本行きに関して、社は責任を持たない」とし、「原稿料と書籍化した場合の印税は払うが、日本での滞在費と取材費は払わない」という、けっして良いとはいえない条件をつけていた。 (※注)
来日できたものの、ハーンに日本で過ごすための金はない。そこで彼は、師範学校の英語教師として働くことになった。赴任地の松江で過ごしていたハーンは、あるとき身の回りの世話をする住み込みの女中を雇うと決める。その女中こそ、セツだった。
当時、日本にはテンポラリーワイフ(かりそめの妻)を持つ西洋人がいて、セツも自身が「西洋人の妾」と見られることを覚悟していた。全ては稲垣家と、不幸が続いて没落した生家・小泉家を支えるためだ。
家の没落と困窮、そして結婚の失敗――。ハーンはセツが自身と同じような苦労をしてきたことを知り、セツへ好意を抱くように。セツが女中ではなく「妻」として扱われるようになるのに、そう時間はかからなかった。
こうして、言葉の壁がありながらも結ばれた2人。怪談など昔話を語るのが上手かったセツは、ハーンが亡くなるまで彼の「語り部」として、「助手」としてハーンを支え続けた。セツがいなければ、「雪女」や「耳なし芳一」といった怪談を、ハーンが小泉八雲として世に広めることはできなかっただろう。
「ばけばけ」でも、ヒロイン・トキとその夫となる外国人英語教師・ヘブンが、怪談話を通して絆を深めていく様子が描かれている。本書を読んでモデルとなった夫婦の歩みを知れば、「ばけばけ」への理解度もより深まり、さらに楽しくドラマを鑑賞できるはずだ。
注)鷹橋忍「小泉セツと夫・八雲」より
ハンバートハンバート『ばけばけ』主題歌収録
タグ : レビュー・コラム
掲載: 2025年09月30日 19:36

