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湯山玲子書き下ろしのテキスト『井出靖の音楽の旅2012 ~南へ』全文

湯山玲子 『井出靖の音楽の旅2012 ~南へ』


    みなさん、ご存じのエピソードだが、天才詩人アルチュール・ランボーは、21歳で筆を折って、以降、翻訳家、商人と様々な職業につき、結局商人として成功して37歳の人生を閉じた。この話を始めて知った10 代の頃は、「才能の枯渇ゆえの悲劇」だよね、と世間の通り相場のような感想を抱いたのだが、大人になった今はちょっと違う。彼は創作のファンタジーよりも、現実の方がずっと面白く感じたから、そっちに行ったのではないか?  という確信が今はあるのだ。ランボーは貿易商になって各地を転々とし、きっと個人的にはモノを書き続けたと思うが、それが発表され、流通することはなかった。彼が筆を折った理由はいろいろとロマンチックな推量がされているが、もし、ランボーが現代に生まれていたら、その両方を追求する人生を選んだ可能性は高い。何せ現在は、コンピューターワールド。ひとつの確実な表現の才能と意欲があれば、どちらかの二者択一ではなく、両方を人生に求めることができるのだから。
 人間は生まれ変わったときに、前世で出来なかったことを行うことになっている、というが、どうもいちいちランボーと井出のイメージは私の中で勝手に重なっている。作風にしても、井出靖の創る音楽は、何かの高みや境地に捧げられた供物のような純粋さがあって、いわゆる大衆の俗情と響き合うことが必須のポップセンスとは違う響がある、という点で、ランボー的だし、そのアウトサイダーぶりと早熟っぷりは、井出靖がスタイルとして支持するロック、そのもの、でもあるし。
  というわけで、井出靖は現代に生まれて本当に良かった。 ランボーは貿易商として世界を飛び回ったが、今生の井出靖は異国に出向いて、その土地の“音”を持ち帰り、自分の場所でそれを創って発信するのだから。そして何より、ランボーは人殺しの武器を売らなければならなかったが、井出靖は自身のセンスが投影された、他のアーティストの音楽や世界中の面白いモノたちを売って、その” 表現”を通して皆に愛され、尊敬されるという幸福な現実を生きているからだ。


 井出靖の活動は勢力かつ多面的だ。80 年代の日本のインディーズ勃興期にキャリアスタートした彼は、音楽とファッションとデザイン、アンダーグラウンドカルチャーがお互いに関わり合って成長してきた時代の申し子のようなところがある。今年52歳になる彼の仕事を振り返ってみると、渋谷系のファウンダー、オリジナル・ラヴ、小沢健二、クレモンティーヌ、ボニー・ピンクなどを手がけたという功績。その一方でレーベル〈Grand Gallery〉を2005年にスタートさせ、その名を冠したコンセプチュアルなコンピレーション・シリーズを中心に月平均2タイトルという驚異的なリリースを出し続けてもいる。一方で、レーベルと同じ名前のショップも展開し、そこにはこのセレクトショップ全盛の世の中で、その手の品物に精通している通人たちをも唸らせる(印象としては80年代当時の「エミスフィール」のよう)プロダクツを発信し、それはもう、「音楽の趣味のいい人がやってみるTシャツと雑貨の店」というラインを大きく超え、ファッション関係者からも注目されているという実力ぶりなのだ。
 そんな質量共に重量級の仕事をこなしながらも、井出靖はソロでの自分の作品を作り続けていて、本作は前作の『PURPLE NOON』以来、14年ぶりのソロ新作なのだ。参加ミュージシャンは、James Chance、Tom Verlaine、The Funky Meters、Ernest Ranglin、Style Scott(Roots Radics)、元晴(SOIL&"PIMP"SESSIONS)、堀江博久、中島ノブユキ、Kenji Jammer、屋敷豪太、石井マサユキ、高木完など、これまでにも井出プロデュース作品で関わりの深い国内外のジャンルレスなアーティストたちが勢揃いした豪華な布陣。人様に対してプロデュースするのも音作りではあるが、しかし、彼の中にはそれでは収まることの無い強い欲求、というものがあったわけで、それを彼自身は狂気、という言葉で表現してくれた。
 「人の作品をプロデュースしたりするのと、全く違う状態で、自分が狂っていくのを許す、というか、そういうふうになっていかないと自分の音楽に関しては駄目なんですよ、いつ、インスピレーションが起こるかわからないじゃないですか。寝てて、あっ!と思ったらすぐ録音してパッと聴いて、メモって、具体的な音にしていく。もう日常的に狂っているような感じに行かないと。そうはいっても、他の仕事をしているので、隙間時間でそれをやる」
 彼も売り場に立つショップの近くには、彼の音楽とレーベルのサウンドを支える名エンジニアである、太田桜子が常駐するスタジオがあり、井出は仕事の寸暇を見つけてそこに入って、音楽を作り続けたのだという。それまでにいろんな事があったに違いないが、いろいろな経験を積み、したたかで強い大人になった彼にとって、もはやその“狂気”のスイッチは自在に扱えるものとなっていた。かつて、アーティストにはその狂気のお守り役がいて、それが大手レコードメーカーの担当だったり、マネージャーだったり、糟糠の妻だったりしたわけだが、DIYの時代のプロのクリエイターは、すべてを自分でやる、というのが決まり事。そこのところが、さすが、ニューウェーブ、インディーズ時代を走り抜けた基礎体力の底力。いや、そこで折れるような“狂気”では、生き残ってはいけないのだ。
 「レーベルとセレクトショップの仕事は似ているところがあるんだけど、いろんな人の考え方があって、それを話し合って合議していく作業が当然必要。でも、自分の音楽作りは自分自身としゃべり合っているんですよ。自分のことはこうじゃないと絶対駄目だっていうのがあるんですよね。プロデュースの方は、その人の作品として綺麗にまとまればよしとするんだけどね。太田とはあれだけ長い付き合いなので、プロデュースの方ではあんまりサウンドに関して口を出すことがないんですけれど、自分のソロのミックスは、「全然駄目!」とか言って、「考え方が違うじゃん」とか、ええっ??……ってなことを言ってるんだよね」。


 DJでもある井出の音楽作りは、その「欲しい音」の最終に地の果てまで、出かけて行くという旅出からの収集が基本だ(そのイメージも、やっぱりランボーと重なる)。誰もがベッドルームのパソコンで音楽を簡単につくれるようになった時代、その大もとの素材こそは逆に、「ソースの音源はニュアンスと情報に溢れた本物」でなければならない、という別種の手間のかかり方が立ち現れるというパラドックスだ。
 「『PURPLE NOON』の時に、全部その土地ごとにレコーディングしに行ってたんですよ。今回のアルバムだと、James Chanceとか、Tom VerlaineやThe Funky Metersはもう1998年くらいに全部録り終わっていて。例えば、Metersで『VOODOO CHILE』をブードゥー教の呪術的な感じでやったら、どうなるのか試してみたい、というためだけにニューオーリンズに行ったりしてた。当時はプロデュース仕事をいっぱいしていて、ある意味で余裕もあったからね。僕の音楽はいつも作る時に決まったやり方があって。例えば、James Chanceの場合、いろんな楽器が入ってるトラックに吹いてもらうんですけど、実はあとで全部編集して、他の音を消してしまうんですね。次に例えばDJ Krushに録ってもらう時だったら、Jamesの音は全部は聴かせなかったり。『SHADOWS OF FIRE』というTom Verlaineが参加している曲があるんですけど、あれはニューヨークで5回だけ弾いてもらって、そのトラックを例えば、ギターフレーズ一個だけをずっとループしたりとか、後半でギターが、大きく鳴らせたかったら、4テイク目のこのフレーズを繋げてとか。実際は、彼は全然そんなふうに弾いてないんですよ。いつも頂いたものを全部編集しちゃうので」。


 3.11というエポック以降、多くの人が自分と向き合い、生き方を確認したが、彼が思ったのは、ソロアルバムの制作。「I STAND ALONE AGAIN( もう一度、ひとりで立ってみよう)」という彼の想いは、必然的に自分が蓄えてきた音の歴史を振り返ることだったという。スタジオの中には、彼がそれまで録りだめてきた音源のストックが膨大にあるというのだが、驚くべき事に彼は、その音源、ひとつひとつをすべて覚えているのだ。
 「憶えているんですよ。これが見事に! 弾いてもらった人たちからは、全然憶えてないって言われることも多いんですけどね(笑)。『MEXICAN BLUES FUNK』という曲の仮タイトルは『BLUES FUNK』っていう曲で、だからその名の付いたDATが絶対あるはずだから探してくれって言って、やっと見つけて、宝探しみたいですけど。同時にすべての音源をまっさらで聞き直して、グッとくるものだけをPro Toolsにぶち込んで、どこに行くかわからない旅のように、仕事系の予定調和なまとめ方のワザはあえて封印して、創っていったんです」
 結果、その音は、ロックギターのリフが、レゲエのナイヤビンギドラムやダブのリディムに絡み、シタールがサイケデリックを持ってくると同時に、ニューヨーク流派のチルなサックスが夜に咆吼し、ファズギターとカップリングするのは、高木完のシンセによる嵐の音、という、予測も付かない刺激的な音の混ざり合いになった。しかし、その個性的な“素材”の味は、タイトルに『LATE NIGHT BLUES』と掲げられたように、全体に色濃く漂う、ブルース、というイメージに統合され、もはやそこにはジャンルとしての音の意味合いが霧散してしまっている(まるで、旨い! という印象だけが残って、ネタの出所はどうでも良くなる、すきやばし次郎の寿司のようだ)。
 ブルースとは、もともと、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちが、辛い労働の合間の愉しみに、日常の悲しみや喜びを表現してきた歴史ある音楽である。井出が展開したスタイルは、その型にはとうていハマらないのに、そのブルースの本質的なものが、ぐいぐい迫ってくるこの驚きといったら! (井出自身も、タイトルに持っては来たけれど、ブルースのレコードをそのために聴いたということも無い、という)
 ちなみに、これと同じ感覚のものを、私はひとつ映画の世界で知っている。ウォン・カーウァイという井出靖と同世代の映画監督が、ノラ・ジョーンズというR&Bの歌姫を軸に創った映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』という作品で、そこに描かれた男女の恋の本質のような悲しみ、移動の感覚はまさにブルースという音楽世界の置換だったのだ。
 ということで、現在、もし、ブルースを演る、のならば、それはブルーススケールのギターを弾き、しゃがれ声で歌えばいいというものではない。その答えのひとつが、今回の井出靖の『LATE NIGHTBLUES』。そこには、まさにブルースという音楽が持つ、人生の光と闇、すべての情感、感情、イメージがダイレクトに聞き手の心に響いてくる。
 「何を作りたいっていうことは無いんですよね。何が出てくるか分からないから作るっていうところがあるんです。そんな感じで、道無き道を行く音楽作りだったんですけれど、今回は、なぜか、アメリカ南部から、南アメリカに続くイメージが途中から浮かび始めたんですよね」
 ブルースが故郷の土地と切り離された、故郷無き黒人たちの哀歌ならば、それは、稲穂の実る豊かな島国で先祖代々土地とべったりつきあってきた私たち日本人とは対極である。言うならば文化としては絵空事のブルースが、意図せず井出靖の才能を通して放出されたのは、3.11以降、私たち日本人も「故郷の土地からきっと切り離されるだろう」という悲しい予感とその気分についての音楽、ということなのだろうか……。。


 「公園の近くの気持ちのいいところにお店を出したけど、本当に放射能がどれくらいか分からないから、どれくらい気持ちいいか分からないってなっちゃうわけでしょ? もう、自分たちは現実的にはそういう日常を生きなけりゃならない。そういうことも考えながら、自分が今作れるものを作ったんだよね。最後の『A PLACE IN THE SUN』って曲は、本当にそういう場所が現実にこの日本に出来ればいいし、なれたらいいなっていう想いはある」
 代々木公園駅近く、路地を一本入った静かな通りに面したセレクトショップ〈Grand Gallery〉で井出靖は、今日も売り場に立って、客が手に取ったバッグの由来と素晴らしさを力説して、現実としたたかに渡り合っている。そのエネルギッシュで明快なキャラが彼の人生の光ならば、その光の一方の影も色濃い、ということか。
 『LATE NIGHT BLUES』の茫漠と哀調、そして力強さは、それでもこの土地に、カラ元気を持ってしても生き続けなければいけない私たちの心にしっかりとより添っていく。

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井出靖『LATE NIGHT BLUES』特集ページはコチラ 

掲載: 2012年06月26日 19:17

更新: 2012年06月26日 19:18