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アーバン・シーン騒然のナイスな3人組=“ThE iZ”が日本デビュー

ケイマン諸島から日本全域にIZ警報発令中!

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マイアミから更に南へ776km、ケイマン諸島ジョージタウンから、アーバンR&B/POP史を変えるとんでもないヴォーカル・グループ、ThE iZ(ザ・イズ)のデビュー・アルバムが到着!

ThE iZ Music Groupは、ケイマンとマイアミを拠点に活動するアーバン・ネクストなアーティスト集団。全員が自らのアイデンティティを持ちながらも現在進行形のアーバン・シーンに精通し、シンガー、ミュ-ジシャンであり、プロデュース、そしてソングライティングまでこなす、まさに時代が生んだハイパー・マルチ・クリエイターの集まり。2009年にリリースされたMary J. Blidgeの傑作『Stronger With Each Tear』のタイトル曲ともいえる「Each Tear」、そしてEminemの大ヒット作『Recovery』に収録された「W.T.P.」は、Supa Dupsと彼らによって制作されたもの。

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このデビュー・アルバムは、甘酸っぱくて、どキャッチーな必殺ソング「Mind Trip」&「Tonight」をはじめ、全編に漂うゆる~くて爽やかなアイランド・フレイヴァーが全開で、アコースティックとエレクトロ・テイストを絶妙にブレンド!正統派ルーツ/ソウル・マナーに則ったスウィートなハーモニーもたまらない、POPセンスみなぎる病みつき度マックスのアーバンR&B最終兵器!!

ThE iZ スペシャル・インタビュー!

リード・ヴォーカル担当のLonney Love、グループの最若手選手であり、甘いテナー&ファルセットを担当するCotterell、そして、リーダー的存在であるラッパー兼シンガーのJGからなる、ThE iZの魅力を解剖!

 【Lonney Love 編】

◆ジャマイカ出身、ケイマン諸島育ちということですが、どのような音楽を聴いて育ったのですか?

ジャマイカで生まれて10歳の時にケイマンに越して来たんだ。母親はR&Bをたくさん聴いてたよ。ホイットニー・ヒューストン、マライヤ・キャリー、112、SHAIなんかをよく聴いてた。あと、伯父さんがDJで、オールドスクール・レゲエをはじめとして、いろんなタイプのレゲエをプレイしてたんだ。

◆楽器と歌、どちらを先に始めたのですか?

楽器を演奏することから音楽の道をスタートした。面白い話なんだけど、最初に演奏しようと思ったのは、実はフルートなんだ。なぜなら、バンドのフルートのセクションにたくさん女の子がいたからさ(笑)。だけど、女の子っぽすぎたから、ドラムに変えたんだ。13、14歳くらいの頃かな。

◆では、歌はいつ頃始めて、きっかけは何だったのですか?

高校1年生の真ん中くらいかな。シスコってシンガーがいただろう。当時、彼のアルバムの曲を全部覚えてたんだ。で、ランチの時に誰も回りにいなかったから、シスコの歌を歌ってたのさ。そしたら、後ろに女の子が2人いて、彼女たちに上手いって褒められて、タレントショーに出ることを薦められたんだ。その時、初めて大勢の人の前で歌ったんだ。彼女たち2人の後押しのせいで、そうやってみんなの前で歌うことになったってわけ。

◆プロデュースはどのようにして学んだの? 影響を受けたプロデューサーはいますか?

プロデュースを始めたのは2年前だよ。ボクの好きなプロデューサーはジェイソン(JG)。彼がケイマンの音楽のクオリティをあげたんだ。一番最初にレコーディングしたのは15歳の時だったんだけど、ボクがビートを作ったんだ。で、ピアノも弾いてる彼にビートを作ってみろって言われたんだよね。だから、JGのおかげで自分はプロデュースを始めたんだ。彼が上手くなるように指導してくれたおかげで、今の自分がいると思ってるよ。

◆JG、Cotterellとはどのようにして出会ったのですか?

ケイマン諸島はとても小さいんだ。音楽業界の人は誰もが知り合いなんだよね。ボクはたくさんのタレントショーに出て、いろんな所で歌ってたし、自分の曲がラジオでも流れてた。だから、みんなボクのことは知ってたんだ。ジェイソン(JG)はプロデューサー、そしてラッパーとして知られてた。それで、自然にグループになって、そこに、Cotterellが入って来たんだ。彼もプロデュースでちょっとづつ知られるようになってきたとこだったんだ。彼はエンジニアの学校に通ってたんだよね。

◆ケイマン諸島で一番聴かれている音楽は何ですか? ジャマイカに近いということで、やはりレゲエ?

いろいろなジャンルだよ。ケイマンにはいろんな人たちがいるんだ。カナダ人、フィリピン人、日本人… いろんな国から人が集まっている。だから、レゲエもダンスもTOP 40もなんでもあるんだよ。

◆アルバムについて聞きます。どんなアルバムを作ろうと思いましたか?

アルバムを作り始めた時は、まだグループとしての方向性を模索してたんだ。それで、ポップなR&Bで行こうってことになった。なぜなら、ボクのスタイルはR&Bだし、JGはラップするし、ステファンの歌のスタイルはポップだしねだから、この3人が集まるとTOP 40のサウンドのポップなアルバムになるってわけさ。

◆アルバムのコンセプトがあれば教えて下さい。また、『Izland Music』というタイトルに込めた思いは?

もともとは『Beach Club』っていうタイトルだったんだ。でも、タケとトモが『Izland Music』に変えたんだ。ボクたち3人はアイランド出身だからね。このアルバムは、楽しいアルバムだよ。聴きやすいから、プレイボタンを押してそのままずっと聴いてられるんだ。リラックスしながらね。最初、『Beach Club』ってタイトルにしたわけは、ビーチで聴く曲もあるし、クラブで聴く曲もあるからだったんだ。

◆では、今お気に入りのプロデューサーやアーティストはいますか?

ポロウ・ダ・ドンが好きだね。あと、ティンバランドはいつでも好きだよ。アーティストでは、アッシャーとマリオ。まだまだいっぱい好きなアーティストはいるよ。ソングライターではリコ・ラヴだよ。彼は今のR&Bマーケットでとても重要だよ。

◆日本のみんなにメッセージをお願いします。

ボクたちは日本でアルバムをリリースできることを光栄に思ってるし、興奮しているよ。ボクたちのメロディと言葉を聞いてもらえると嬉しいよ。日本に行ってみんなをエンターテインできるのを楽しみにしているよ。

【Cotterell 編】

◆どんな音楽を聴いて育ちましたか? 両親はどんな音楽を聴いてたのですか?

レゲエ、R&B、ラップを聴いてたよ。マイケル・ジャクソンやボブ・マーリー、ジニュワイン、アッシャー、キース・スウェット、2PAC、ビギー、ジェイ・Z、50 CENTとかがお気に入りだった。両親はそんなによく音楽を聴いてなかったと思うけど、父親がボブ・マーリーのCDを持ってたのを覚えてるよ。

◆歌を歌い始めたのはいつですか? 始めたきっかけは?

子供の頃、自分の伯父さん2人がビートボックスをやってるのをよく聴いてて、なぜかそれにすごく感動してたんだよね。それで、自分でも練習しだしたら、数年後にすごく上手くなったんだ。中学や高校ではそのおかげで人気ものだったよ。みんがボクにビートボックスしてくれって言ってくるのが普通のことだった。で、15歳の時にラップグープを作って、その時、ピアノとプロデュースを覚えた。それで、若いシンガーたちがボクにプロデュースとソングライティングを頼んで来るようになって、裏方の作業をするようになった。自分がやりたいことだったし、そのおかげですごく勉強になったよ。

◆アルバムの方向性を決定づけた曲があれば教えて下さい。

「Tonight(Geoge Town)」が方向性を決定づけたと思うね。あの曲は他とは違うし、曲の中にいろんなサウンドがブレンドされていてユニークだと思うんだ。

◆曲作りのプロセスについて教えて下さい。それぞれのメンバーの役割は?

ボクたち全員プロデューサーであり、ソングライターでもある。だから、曲のアイディアはあらゆるところから来るんだ。リリックが先の時もあれば、メロディーが先の時もあるし、ビートがあって、そのビートのフィーリングに合わせたものを作ることもあるし。曲を書くフォーミュラっていうものはあるよ。でも、ほとんどの場合はヴァイブスを頼りにしてる。

◆ThE iZの音楽はPOPやR&B/HIP HOP、SOCA等々、いろんな要素が入ったエクレクティックなサウンドですが、自身の音楽をどのように形容しますか?

ボクたちの音楽はエクレクティックだと思うよ。ケイマン諸島出身っていうのがすごく関係していると思うんだ。ボクたちは自分たちの文化があるけど、他のいろんな文化も受け入れている。だから、いろんな音楽が好きで、自分たちの音楽にもそれを取り入れることになってると思うんだ。

◆日本のみんなにメッセージをお願いします。

日本のみんながアルバムを楽しんで聴いてくれることを願ってるよ。日本に行って、日本の文化に触れるのを待ちきれないよ。早く日本に行ってパフォームしたいね。

【JG 編】

◆ラップを始めたのはいつ頃ですか?

ラップを始めたのは12歳くらいの時かな。よく、兄貴が仕事に出かけた後、に兄貴のスヌープのカセットを聴いてたよ。それから、兄貴の友達のラジオ番組で遊びでフリースタイルをするようになったんだ。ラップで自分を表現できるのが嬉しかったから、真剣にやるようになったのさ。

◆プロデュースを始めたのはいつですか? どのように学んで行ったのですか?

Supa Dupsの元でプロデュースを始めたのは、大学に行くためにマイアミに引っ越した2002年。彼については知ってたし、彼と一緒に働きたいと思ってた。だから、彼がDJしているクラブの外で待って、自分のビートが入ったCDを渡したんだ。それを彼が気に入ってくれて、次の週に電話をくれたんだ。それからずっと一緒にやってるよ。さっきも言ったように、13歳の時に真剣にラップをするようになったんだけど、トラックがなかったから、自分で作るようになったのさ。それに、自分のオリジナルのトラックでラップする方がリスペクトされるって分かったからね。頭の中で聴こえたものを自分の耳を使って再構築して学んでいったよ。

◆Supa Dupsと仕事をしてみてどうですか? 彼から学んだことは?

Supa Dupsとの仕事は素晴らしいよ。彼はボクの今日のサウンドに多大な影響を与えた人物の1人だよ。同時にボクも彼のサウンドに貢献している。特にヒップホップとR&B、ポップのビートはね。Supa Dupsからはドラムのシークエンスの仕方や曲のアレンジの仕方を教わった。それらが彼の得意分野なんだ。

◆他にお気に入りのプロデューサーは誰ですか?

ザ・ネプチューンズ、ティンバランド、Dr.ドレーをずっと尊敬してるよ。ファレルとは会ったとこあるけど、他のプロデューサーとも将来会えたら嬉しいね。

◆あなたのオールタイム・フェイヴァリット・ソングを教えて下さい。

ジョン・メイヤー Ver.の「Free Falling」(by Tom Petty)、ビギーの「Juicy」、マルーン5「Most Get Out」、ネリー・ファータド「Turn of The Lights (remix)」。

◆日本のみんなにメッセージをお願いします。

日本でアルバムをリリースすることがずっと夢だった。なぜなら、日本人は音楽、特にエキセントリックな音楽を評価してくれると思うからさ。だから、とてもハッピーであると同時にナーバスでもあるよ。日本で自分たちのアルバムがどのように受け入れられるかってのは、ボクたちにとってとても大事なことなんだ。

 

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2010年09月09日 11:00