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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2014年03月13日 10:00

ソース: intoxicate vol.108(2014年2月20日発行号)



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「絶対に買います」と宣言していたら年明け、テスト盤のDVD-Rが「やって来た」。ボックスは4枚組。「第一楽章 山本直純編~ヒゲの超人、響いた、跳んだ!~」「第二楽章 小澤征爾編~音楽は神様の贈りもの~」「第三楽章 伝説の名演奏・名企画編~たっぷり10選~」「第四楽章 夢の共演オンパレード~泣いて笑って心に刻んだ~」のそれぞれに、約2時間の名場面を収めてある。ボックスには、全544回の放送タイトルと出演者名を網羅した保存版ブックレットがつく。

『オーケストラがやって来た』を生んだ背景は大きく分けて、三つある。先ず1972年の「日本フィル事件」。前年に旧日本フィルハーモニー交響楽団の楽員が待遇向上を求め、日本のオーケストラ史上初のストライキを打った。当時の首席指揮者、小澤が日本芸術院賞の授賞式で昭和天皇に「直訴」するハプニングもあって事件は社会の大きな関心を呼ぶ。だが事態は改善せず、スポンサーのフジ・サンケイ・グループは翌年6月、日本フィルの解散に踏み切った。1955年にフジテレビの水野成夫社長(当時)、指揮者の渡邉暁雄らによって創立された斬新なオーケストラは組合派(集団プレーの弦が中心)の現日本フィルと、非組合派(個人プレーの管が中心)の新日本フィルハーモニー交響楽団に分裂した。番組は発足後間もない新日フィルの存在を全国に伝え、活動を支援することを目的に誕生した。

「日本経済新聞」朝刊文化面に2014年1月の1ヶ月間連載された小澤の「私の履歴書」。24日付けに、こう記してあった。

「(新日フィル)設立後すぐ、直純さんはテレビマンユニオンのプロデューサー、萩元晴彦さんと音楽番組『オーケストラがやって来た』を始める。番組内での演奏はもちろん新日フィル。僕は120%協力するつもりで、可能な限り出演し、親しい外国の演奏家にも積極的に出てもらった。(中略)クラシック音楽を分かりやすい言葉で裾野まで広めようとしたのがこの番組だと思う。番組は11年にわたって続いた。直純さんの素晴らしい功績だ。」

二つ目の背景は新日フィルの少し前、1970年に産声を上げたばかりの番組制作会社のテレビマンユニオン自体にあった。68年にTBS系列のニュース番組「JNNニュースコープ」のベトナム戦争報道をめぐり、担当スタッフが外された。労組(ユニオン)加盟のTBS局員は抗議のストライキを打ち、萩元や村木良彦ら報道部門だけでなく、今野勉らドラマ部門のディレクターも69年に局を去った。翌年には独立系制作プロダクションとしてテレビマンユニオンを旗揚げ、テレビ局の下請けに甘んじず独自の番組を企画、スポンサーへ直に持ち込む手法の草分けとなった。萩元は小澤の自伝エッセー、「ボクの音楽武者修行」(1962年、新潮社)の出版にも深くかかわっていた。新日フィルをテレビで支援する番組を創るに当たり、萩元は小澤の師の1人であるレナード・バーンスタインが企画、若い世代に語りかけたテレビの音楽啓蒙番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」を手本とした。

東京・御茶ノ水にあった室内楽演奏会場、「カザルスホール」プロデューサーとしても名を残す萩元は、音楽を深く愛していた。「この番組は真摯に生きている人たちへ私たちが心からお贈りするテレビ番組です」。萩元の思いは小澤の国際ネットワークを通じ多くの音楽家を動かし、ヴァイオリンのアイザック・スターンやイツァーク・パールマン、ジョセフ・シルヴァースタイン、ピアノと指揮のクリストフ・エッシェンバッハ、フルートのオーレル・ニコレ、セヴェリーノ・ガッゼローニらが次々とゲスト出演した。彼らが日本の、たった30分枠のテレビ番組に残した偉大な足跡は、DVDでしかと楽しめる。



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