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特集

ジャズ/黒船〜ヒップホップ - column

掲載: 2013年11月19日 10:00

ソース: intoxicate vol.106(2013年10月10日発行号)

text:松村正人



たとえば、ロバート・グラスパーにとってのR&B、ヒップホップは隣の家の芝生ではあったが青くはなかった。お隣とくらべるまでもなくジャズの庭は伝統的にブルーだったのである。ところがその芝生は長く重たい停滞のせいで褪せかけていたので手入れは必要であった。グラスパーは隣家から借りた肥料を散布し水を撒いた。少しばかりの養生だったけれども、ビートとグルーヴ、音楽の土壌となるリズムの質が変わることでジャズは80年代以降、隣近所の意匠を借りて目先を変えてきたやり方をようやく抜けようとしているのかどうか。結論を急ぐことはないし、結論の出る類の話ではない。これでようやく未来派のジャズは過去になり、ジャズとヒップホップの貸し借りはチャラになった? いまではラップがジャズのネタにこだわらなくなったほどにはジャズもまた表面的な折衷主義に資する外部を求めない。それはこれまでの方法論が頭打ちになったせいとも、大局的な主流を見出せないからだともいえなくはないが、ジャズの、ヒップホップの――そこにR&Bとかロックとかを加えるのは乱暴かもしれないが、あえて加えてもいい――「型」へのこだわりは、実家にひきこもって勝手知った窓前の風景に胸をなでおろすというより、ご近所とつながった地面の広がりに思いをいたすようである。

菊地成孔と大谷能生によるジャズドミュニスターズが宇川直宏のライヴ・ストリーミング・チャンネルである〈DOMMUNE〉の番組のひとつとしてはじまった「ジャズ・ドミューン」をきっかけに生まれたのは3年前だが、ジャズを解体するジャズ語りの場はユーストからラジオ(『粋な夜電波』)に移ったようだ。もちろん菊地・大谷のコンビが文筆批評からトークから音楽まで八面六臂なのは変わらない。変わるのは局面のほうだ。とはいえ、いかにヒップホップがテーマだったDCPRGの『Second Report From Iron Mountain USA』でジャズドミュニスターズはお披露目済みだったとはいえ、ドンズバのラップに手を出すとは驚いた、というか、以前のインタヴューの菊地の言葉を借りれば、ジャズからヒップホップにすり寄ったものがすべてジャズであるなら、ジャズドミュニスターズの新作はラップ・アルバムとしかいいようがない。スムースに跛行するポリリズミックなトラックにジャズの残像は見え隠れするが、それさえ、発声と抑揚と脚韻による言葉、批評としての歌詞に主役の場を譲っている。ときに英語なまりのフローは『Second Report~』から引き続きの登場となるOMSB、MARIA、Dyy-PRIDE、シミ・ラボの3人の身体性とのシンクロであり、5月にライヴで共演したモエ&ゴースツのMOEの存在はラップ/ヒップホップを旧来の文脈から自由にするとっかかりとなった。一派にはポッセと呼べるほど緊密な集団性はないにしても、このコンビネーションのかもしだす外来者の視点は自覚しているといないとに関わらずラップの「型」を照り返し、「型」の影を投影する。影は実体の次元を落とした抽象だが、原理を点検するには概念を操作しなければならず、そのためには抽象化の過程を経なければならない。ジャズドミュニスターズの狙いはいってみれば、ロバート・グラスパー――というか、クリス・デイヴ――がサンプラーのループ~ストレッチ~スリップを擬態することに煽られ、R&Bの調性を蒸発させたのにも似て、ラップを再考するとともにデフォルメし、ヒップホップの庭を模様替えすることにあるのではないか。



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