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特集

BUCK-TICK

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2012年09月19日 18:01

更新: 2012年09月19日 18:01

ソース: bounce 348号(2012年9月25日発行)

文/増田勇一

 

 

2012年はBUCK-TICKにとって、メジャー・デビュー25周年の記念すべき年ということになる。しかし、その四半世紀の歴史についてドラマティックに綴っていくことには、若干の無理がある。なにしろその長い時間経過のなかで、5人のメンバーたちの顔ぶれはずっと不動であり続けている。もちろんその音楽は常に進化と深化を重ねてきたが、彼らのバイオグラフィーには脱退劇も解散も、運命的再会も復活も登場しないのだ。

櫻井敦司(ヴォーカル)、今井寿(ギター)、星野英彦(ギター)、樋口豊(ベース)、そしてヤガミトール(ドラムス)──この5人がBUCK-TICKとして始動したのは85年のこと。前年に結成した非難GO-GOが前身にあたるが、当時の同バンドには別のフロントマンがおり、櫻井はドラマーとして籍を置いていた。その櫻井がヴォーカルへの転向を志願し、空席となったドラマーの座に、それまで他のバンドでプレイしていたヤガミを招き入れることで新たな布陣が完成。その時点から、5人はBUCK-TICKとしての歴史を歩みはじめることになる。

そうした流れはごく自然なものだった。なにしろメンバー全員が群馬県出身であり、ヤガミは樋口の実兄にあたる。行動範囲の近い身近な者同士がバンドを組んでライヴハウスに出演するようになり、いわゆるインディーズの世界で活動するようになる。そこまでは、ごく平凡なストーリーでしかない。このバンドの歴史が他に類を見ない稀有なものとなったのは、常に〈いま〉という瞬間を生き続けてきたからではないかという気がする。

結成翌年の86年にインディーズ・レーベルより初音源をリリースし、87年の春には『HURRY UP MODE』と題されたアルバムを発表。東京・豊島公会堂で〈バクチク現象〉と銘打って行なわれたライヴでは800人を動員。彼らを巡る環境はめまぐるしいスピードで急転を重ね、同年11月にはメジャー第1弾アルバム『SEXUAL×××××!』をビクターからリリースしている。翌月には東京・日本青年館でのデビュー・ライヴも実現。しかし正確を期すならば、彼らのメジャー・デビュー作は同年9月、前述のアルバムに先駆けて同社より発表されたライヴ・ビデオ「バクチク現象at THE LIVE INN」である。地表の世界での最初のリリース・アイテムが映像作品だったという事実は、このバンドが音楽性のみならず、そのヴィジュアル・インパクトをもって世の注目を集めていたことを裏付けている。

 

 

イメージを決定付けた『悪の華』

以降もめまぐるしい展開は続いた。なにしろ世の中はいわゆる〈バンド・ブーム〉に浮かれはじめていたし、人気バンドにとっていちばん怖いのは、必要以上に長い不在によってファンに忘れられてしまうこと。誰かが失速すれば、すぐに他の誰かが取って代わる。そんなレースが繰り広げられていくなかで、例えば半年に1枚のペースでアルバムを制作するのもあたりまえのことだった。実際に88年の彼らの動きを見てみると、3月にミニ・アルバム『ROMANESQUE』を、6月には2作目『SEVENTH HEAVEN』を発表。さらに、10月にはメジャーでの初シングルとなる“JUST ONE MORE KISS”をリリース。しかも89年1月には、ロンドン・レコーディングによる次作『TABOO』が市場に並んでいたりもするのだ。

後にメンバーたちも認めていることだが、当時の彼らは、〈自分たちがいま、何をしているのか〉を正確に把握できていない状況にあった。『TABOO』の制作のために渡英した時点では、ほとんど楽曲が揃っていなかったとの逸話もある。しかし彼らは確実に全国区の人気バンドへと成長していたし、BUCK-TICKの名前は熱心な音楽ファン以外にも浸透していった。例えばそれは、前述の“JUST ONE MORE KISS”の大ヒット(本人たちの出演によるラジカセのCMにも使用され、それも話題を集めた)によって、88年末に日本レコード大賞・新人賞を獲得していること、さらに年明け早々『TABOO』がオリコンのアルバム・チャートで自己初となる初登場首位となり、日本武道館での二夜公演を成功させた事実などでも裏付けられている。

とはいえ、そうした全力疾走の綱渡りのような活動というのは、さほど長く持続できるものではないし、歩調を変えるべき時機が必ず訪れることになる。物語を意図的に美化するつもりは毛頭ないが、そうした意味においては、89年に訪れた半年間の活動休止期間にも、ある種の必然性があらかじめ伴っていたと考えられなくもない。

『TABOO』に伴うツアーのさなかにバンドが苦渋の選択に至った経緯などについては割愛させてもらうが、そうした時間的な空白が、めまぐるしさのなかで自身を見失い兼ねない状況にあった彼ら自身にとって、ある種の冷却期間となったことは想像に難くないし、しかもそれはファンの側の飢餓感を高めていくことになった。89年末に用意された復活の場が、自己初となる東京ドーム公演だったこともそれを証明している。しかも90年2月、同名のシングルを序章に据えながらリリースされた『悪の華』は、前作に続いてアルバム・チャートの首位を獲得するのみならず、その表題が象徴するかのような〈毒と華を併せ持ち、ダークかつポップでグラマラス〉といったBUCK-TICKの音楽的特性を改めて印象付ける決定的な作品となった。

メジャー・デビューから『悪の華』発表に至るまでの紆余曲折が、わずか2年と少々にしか過ぎないという事実に気付くと、眩暈を覚えそうになる。それ以降のBUCK-TICKを巡る物語について時間軸に沿いながらこの場で詳しく綴っていくことが、スペース的にも不可能であることはお察しいただけることだろう。もちろん以降の20余年がずっと変化に乏しいものだったわけではなく、彼らの音楽は常に変わり続けてきたし、BUCK-TICKという場を離れたところでのサイド・プロジェクトや個人活動などについても特筆すべきものはある。が、そうした事実関係以上に筆者が強調しておきたいのは、やはりこのバンドが常に〈いま〉という瞬間に忠実に生きてきたということ。そうした〈いま〉の連続が結果としてこれほどの長い歴史に繋がっているはずなのだ。

 

 

〈いま〉という瞬間に忠実な表現者

BUCK-TICKを愛する人たちに〈いちばん好きなアルバムはどれか?〉と訊けば、おそらく十人十色の答えが返ってくることだろう。それが当然だと言えるほどに、彼らがこれまで発表してきた作品たちには、各々に固有の色調や匂いがある。いわゆるジャパニーズ・パンクやビート・ロック、ゴシックやポスト・パンク、ハード・ロックやインダストリアルからエレクトロニカに至るまで、彼らの音楽には、実にさまざまな要素がごく自然に混在している。そして、時流に乗ろうとするのではなく、常に時代に目を配りながら、そこで自分たちが本能的にやりたいことを徹底的に追求してきた。そうして常に全力で取り組んできたからこそ思い残すところがなく、だからこそ同じような作品ばかりを続けざまに発表することがなかった。むしろ自分たちが産み落としたものに対する反動に近いものが、その次作にとっての動機になり得ることすらあった。表現者としてのBUCK-TICKの歴史は、まさにそうした繰り返しによって成立しているとも言えるはずなのだ。

しかも、そうして世に提示された作品が、いずれもロック然とした切れ味、いびつなポップセンスやキャッチーさを持ち合わせている事実もまた興味深い。そして当然ながら、到着したばかりのニュー・アルバム『夢見る宇宙』が、まさにそうしたこのバンドの特性を端的に物語るものであることも。冒頭にも記したが、2012年は彼らにとって忘れ難いアニヴァーサリー・イヤーではある。しかし僕はそれ以上に、この年が『夢見る宇宙』という名盤の誕生年として記憶されるべきものだと考えている。そして当然ながら、クライマックスをいっしょに迎えるのは、まだまだ先のことであるはずなのだ。

 

▼関連作品を紹介。

BUCK-TICKの2012年のライヴDVD「THE DAY IN QUESTION 2011」(Lingua Saunda)

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