BEHIND THE FREAKY STYLE OF A BAND――レッチリ作品から窺えるそれぞれの影響源
いまやアメリカを代表する王道ロック・バンドという風格を湛えているレッチリだが、彼らがデビューした頃の、積極的にさまざまな音楽要素を混在させるその果敢な姿勢はかなり挑戦的なものだった。ブラック・ミュージックに片足を置き、もう片方をハードコア・パンクやニューウェイヴに引っ掛け、あくまでメジャー・フィールドでエキサイティングに魅せようとするスタンスは、当時は圧倒的に先鋭的だったと言って良い。
なかでもファンクの要素はデビュー時から作品へ明確に落とされており、その粘っこいグルーヴはスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンやミーターズ、ファンカデリックなどの遺伝子たるもの。そのなかから時折泣きのメロディーやリフが飛び出してくるあたりはジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンからの影響も垣間見えるし、パッション溢れる挑発的で攻撃的なパフォーマンスはストゥージズやクラッシュ、ミニットメンやバッド・ブレインズなどのパンク〜ハードコア・バンド譲りだ。また、いちはやく同時代のヒップホップへのシンパシーを見せることで、煽動的なメッセージを投げかけていたパブリック・エナミーらと時代を牽引、共闘しているような印象を与えたりもした。結果、少し早く登場していたフィッシュボーンなどと共に〈ミクスチャー・ロック〉として人気を分かち合う。
また、『Mother's Milk』収録の“Punk Rock Classic”でガンズ&ローゼズ“Sweet Child Of Mine”の一節を引用するなど、その当時はスタジアム・ロック的な存在への真っ直ぐな憧れも覗かせていた彼ら。だが、ジョン・フルシアンテが加入してからはフランク・ザッパやキャプテン・ビーフハートのようなフリーキーで前衛的な切り口も見せるようになったり、ギャング・オブ・フォーやワイヤー、キュアー(“Californicaiton”はキュアー“Carnage Visors”に影響を受けたという)といったUKのポスト・パンク、ニューウェイヴ以降のバンドが持つ技巧やシニシズムを消化させることで芸風の幅をさらに広げていく。
オルタナティヴ・ロックの動きとシンクロしていく90年代中盤以降は、ボブ・ディランやハンク・ウィリアムズのようなフォーク/カントリー、ディオン&ザ・ベルモンツをはじめとするドゥーワップへのリスペクトも効果的に曲へ練り込み、アメリカ音楽の長い歴史の上に自分たちがいることをしっかり伝えるなど柔軟なところも見せていく。また、2000年代以降はジョンと交流のあるヴィンセント・ギャロのソロ作とも共振するようなアシッド・フォーク風味が、主にジョンのソロの曲で散見されるように。いまや何をやってもレッチリという胃袋の強さを示すことで、まさしく〈ミクスチャー・ロック〉の名に恥じない柔軟性をその作品のなかで常に見せてくれているのだ。
▼関連盤を紹介。
左から、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの73年作『Fresh』(Epic)、ミーターズの74年作『Rejuvenation』(Reprise)、ファンカデリックの78年作『One Nation Under A Groove』(Warner Bros.)、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの67年作『Are You Experienced』(Polydor)、クラッシュの80年作『Sandinista!』(Epic)、パブリック・エナミーの88年作『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』(Def Jam)、ガンズ&ローゼズの87年作『Appetite For Destruction』(Geffen)、フランク・ザッパの72年作『Ship Arriving Too Late To Save A Drowning Witch』(Barking Pumpkin)、キュアーの81年作『Faith』(A&M)、ボブ・ディランの65年作『Bringing It All Back Home』(Columbia)、ヴィンセント・ギャロの2001年作『When』(Warp)