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RED HOT CHILI PEPPERS

 

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「オレたちはこの世に、神からギフトをもらって生まれてくる。神を宇宙と呼んでも、愛と呼んでもいい。君が信じるものでいいんだ。まず、君が君であるというギフト。そして、君のお母さんやお父さん。そのギフトは誰にも奪うことはできない。たとえ彼らが死んでも、みんな君だけのものなんだ。もちろん、君の子供だってそうだよ。そして時折、君の人生に友が訪れる。それもまたギフトさ。同じように、オレにとってバンドのメンバーは、オレの人生のギフトなんだ。だからこれだけ長い間、共に音楽をやっていられる。意味があっていっしょになっているんだよ」。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズへの対面取材は2006年に1度あるだけなのだが、アンソニー・キーディスが穏やかに語ったこの言葉が、いまでも胸に焼き付いていて離れない。たぶん一生、忘れることはないだろう。正直、取材現場では感極まって泣きそうになってしまった。

まさに、ロックの神が地球に与えたギフトと呼ぶべき不世出のバンド。さらに言えば、そのギフトは時に容赦なく奪い取られ、時に弄ぶように傷つけられもした。レッチリとはそうやって生き続けてきた、いや生かされ続けてきたバンドだと思う。破綻と再生、絶望と希望、闇と光。この2010年代のシーンのメインストリームにおいて、ここまで波乱に満ちたキャリアを持つバンドは他にないだろう。

 

悲劇と再生と成功の道程

そもそもこのバンドは、デビューからして不運だった。83年にLAにて、アンソニー・キーディス(ヴォーカル)、フリー(ベース)、ヒレル・スロヴァク(ギター)、ジャック・アイアンズ(ドラムス)というハイスクール時代の友人4人で結成され、新人では異例のスピードでメジャー契約を獲得したのだが、記念すべき84年のデビュー作『The Red Hot Chili Peppers』にはヒレルとジャックの名前がない。2人は他のバンドに参加するため、早々に脱退していたのだ。そして、肝心のサウンドである。レッチリのミクスチャー感覚とストリート感覚が炸裂した、本来であれば鮮烈なインパクトを与えるはずの作品なのに、勘違いとしか言いようのないプロダクションによって、ひんやりサラサラ、ペナペナな腑抜けアルバムになってしまっている。時代性を考えれば、ニューウェイヴィーでポスト・パンク的な音に向かうのもわからないではないが、いくらなんでもレッチリにそれはないだろう。頭にきたメンバーが、プロデューサーのアンディ・ギル(ギャング・オブ・フォー)にウンコを送りつけたというエピソードにも頷けてしまう。

 

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そういう意味では、ヒレルがバンドに復帰して翌85年に早くもリリースされたセカンド・アルバム『Freaky Styley』が、レッチリの真のデビュー作と言えるのではないか。この作品で彼らは、レッチリ・サウンドの最重要要素であるファンクに全面的に取り組んでいる。

そして、ヒレルに続いてジャックも復帰し、初めてオリジナル・メンバー4人で制作されたアルバムであり、同時にそのラインナップでの最後の作品ともなってしまうのが、87年発表の3作目『The Uplift Mofo Party Plan』。股間ソックス(ご存じなくて興味津々の方は、本作のアートワークをご覧ください)でもお馴染みの、いちばん幸福な時代の作品だ。ここではそのハイブリッドな音楽要素をポップに昇華させるのと同時に、当初から定評があったライヴのエネルギーを封じ込めることに成功している。

しかし、悲劇は突然やってくる。88年、ヒレルがオーヴァードーズで急逝。ファンは衆知の通り、初期のレッチリにはドラッグという黒い影が常につきまとっていた。しかし誰も死人が出ることなど想像すらしていない。メンバーはとてつもないショックに襲われ、ジャックはバンドを離脱してしまう。残ったアンソニーとフリーはレッチリの存続を決意し、翌年にジョン・フルシアンテ(ギター)とチャド・スミス(ドラムス)を迎えて再出発作『Mother's Milk』を完成。するとこれが、この時点でキャリア最高のヒットを記録する。親友を失った悲しみや痛みを引きずったアルバムが、世界的なブレイクのきっかけになるというのは、なんとも皮肉なものである。こうしてバンドの評価と人気を確かなものにした彼らは、続く91年の『Blood Sugar Sex Magik』で一気に90年代のUSロックを代表する存在へと飛躍を遂げるのだ。最高傑作との呼び声も高い本作の肝は、音のヘヴィーさやファンキーさを一段と増強させる一方で、バンドを初の全米チャート1位に導いた“Under The Bridge”を筆頭に、アンソニーの〈歌〉を前面に押し出したメロウな曲が収められている点で、そのメロディー志向が後の名作を生むことにもなる。ちなみに“Under The Bridge”は、かつてアンソニーがドラッグを手に入れるために通った橋のことを書いた曲だ。

 

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自分にいちばん正直でいられる場所

やはり悲劇は突然だ。キャリアの最高到達点に立っていた92年、なんとツアー中(しかも日本)に、ジョンが脱退。後にフリーとアンソニーは精神崩壊状態となり、相前後してフリーの親友だった俳優のリヴァー・フェニックスがオーヴァードーズで他界。この経緯を考えれば、元ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロを迎えて95年にリリースされた『One Hot Minute』がシリアスな空気感と緊張感と癒されたい願望がいっしょくたになったような、歪んだ作風になったのも当然かもしれない。

しかし、とにかくレッチリはボロボロになりながらも、また立ち上がった——20世紀末に、彼らは奇跡を巻き起こす。ジョン・フルシアンテが、まさかの帰還。復活アルバム『Californication』も、奇跡のように美しい。本作には〈敗北〉というテーマが貫かれており、成功と引き換えに大切なものを失ってきたみずからの半生を、彼らは爆音で蹴散らすのではなくビター・スウィートなメロディーで包み込むように鳴らした。初期レッチリからは想像もつかない変貌でありながら、これこそ最高傑作とする向きも多いのは、バンドの内幕と、負けからふたたび始めようとする生き様が、あまりにも見事にサウンドと歌へ刻み込まれていたからだろう。裏ジャケットの4人の写真もまた、奇跡的な美しさ。アルバムは全世界で1300万枚というメガヒットを記録し、〈世界最強〉の称号を欲しいままにする。

レッチリがようやく、心の平安というものを手にするのは、続く2002年の『By The Way』においてかもしれない。このアルバムからは自由や開放感、希望、信頼、融和といったポジティヴでハートフルな要素が随所に感じられる。作風としては前作を踏襲したメロディック路線で、ジョンの多彩なギター・プレイが際立っている。結局、ジョンは次作でさらにギターを弾きまくって脱退するのだが、つまり彼は、レッチリでやれることをすべてやり尽くしたということなのだろう。そんな、ジョンのラスト・アルバムとなってしまった2006年の2枚組大作『Stadium Arcadium』は、まさしく彼らの集大成だ。前作で後退していたファンク・サウンドも戻り、メロウで美しいメロディーもたっぷりと聴かせる。20年以上かけて進化と深化、熟成を重ねてきたレッチリ・サウンドの魅力という魅力が、すべて味わえると言っても過言ではない。

そして、いよいよ通算10枚目のニュー・アルバム『I'm With You』がリリースされる。前作を引っ提げたツアーにも帯同していたりなど、かねてより親交のあったジョシュ・クリングホッファーがジョンの後釜として加入するという一大変化を経て行き着いたのは、これまで以上にアンソニーの歌声に寄り添った、軽やかで優美なポップ・ワールドだった。血気盛んなロック・キッズには喰い足りないかもしれないが、バンドのさらなる可能性を感じさせる一枚であり、同じところに留まらず、過去に縛られず、みずからの進む道を果敢に切り拓いてきたレッチリの、揺るぎない意志と美学を伝えるアルバムだと思う。

波瀾万丈——天国と地獄を見た男たち。唯一確かなのは、彼らにはどんな運命にも立ち向かう覚悟ができているということ。そして、そうしたすべてをひっくるめて、アンソニーが、フリーが、またいまではバンドの要となっているチャドが、神からのギフト=レッド・ホット・チリ・ペッパーズをこよなく愛しているということだ。その無償にして無上の愛に心揺さぶられるからこそ、僕たちもレッチリを深く愛してしまうのだと思う。最後は、アンソニーの親友にして戦友、フリーが噛み締めるように語った言葉で締めさせていただきたい。

「チリ・ペッパーズがどんな存在かって? オレの人生、オレのハートさ。そこで生きることができて、自分が自分でいられて、自分自身を表現することができる場所だよ。なぜオレがこの地球にいるのかという理由が、このバンドなんだ。唯一、人に何かを与えることができる場所でもあるし、自分にいちばん正直でいられる場所なんだよ」。

 

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▼関連作品を紹介。

左から、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベスト盤『Greatest Hits』(Warner Bros.)
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの本「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ オフィシャル・バイオグラフィ」(シンコー・ミュージック)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2011年08月24日 17:59

更新: 2011年08月24日 18:22

ソース: bounce 335号 (2011年8月25日発行)

文/鈴木宏和

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