こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

Brandon Ross

カテゴリ : intoxicate records

掲載: 2011年08月17日 15:46

更新: 2011年08月18日 16:51

ソース: intoxicate vol.93 (2011年8月20日発行)

text:伊藤ゴロー

intoxicate recordsより発売されたブランドン・ロスの2タイトルを各2,100円でリイッシュー!

美しい異形のモデル


©Yuichi Hibi

予感から偶然が、そして偶然はモチーフを生み、展開され、また偶然が新たな音を発見する。

空中に放たれた音は一瞬にして忘れ去られ、後に弾かれた音が前の音の残像と沈黙を伴って、フレーズが生み出される。和音、対位法、コラージュ、沈黙、ノイズ、沈黙、予感・・・・・・こんな所かな、音の瞬間を写真の様に切り取って実況するならば。

以前、ブランドンとセッションしたリトル・クリーチャーズの青柳拓次君からこんなエピソードを聞いたこと がある。セッションの合間にふと気がつくと彼は静かにピアノを弾き始めていたそうだ。それはとても美しいピアノで、音が空気を揺るがす様を確かめるように ゆっくり丁寧に・・・誰かと静かに会話してるかのように・・・。僕には凄く印象に残る話だった。きっとブランドンの話す声も耳に心地よいのだろうと思う。 まったくその人が持つ「音」が音楽なのだ、と思う。

彼のギターは無遠慮なまでに優しい音を放つ。自己愛に包まれたファンタジーの断片が飛び散り、彼の胸を突き刺す。胸もとから吹き出した音の飛沫はやがてまた連なり固まって分裂・・・乖離。

そして僕らには、美しい異形のモデルがひらひらと飛来してくる。

まったく美しい音楽だ。彼のギターは調律さえ美しいはず。

『コスチューム』は初めて聴いた時、その音の「間」に驚かされた。僕たち日本人が持っているであろう、伝統音楽、雅楽や民謡の、われわれにはおなじみの「間」ってやつだ!と僕は単純に驚いた。
やがて気づいた。それは日本人だけが持ってるものではなくて、世界各地の伝承音楽、いやすべての音楽には無くてはならないものだと。

村岡実という偉大な尺八奏者がいます。子供の頃、彼のレコードをよく聴いていたのですが、中でもお気に入 りの一枚は永六輔が司会のライヴ盤で、途中でちょっとした小話があったりと楽しいものでした。そのレコードで忘れられないのが村岡実とニューディメンショ ンによる《恐山》と永六輔さんが話してくれた「間」についての名言集です。音と音の間にあるのが「間」とかだったかな、さすがに細かいところは忘れました が、今でも覚えているのが「『間』とは偉大なる沈黙である」(ジャン・コクトー)という言葉です。コクトーもまだ知らなかった頃だけど、この言葉だけは覚 えていました。いつも頭から離れなかった「間」。偶然にもこのアルバムには尺八と琵琶の二重奏をギターとフルートで模した曲があったのですが・・・。

話をブランドンに戻す。静謐なまでの彼特有の「間(沈黙)音楽」に僕は再度圧倒された。
気高い和声の純粋さ、気まぐれに青く光を放つ非和声とブルース、ノイズは教会の残響のごとく立体的に響き、その立体故に、聴き手の風土や経験を連れ立って即興音楽の廃墟を彷徨う。
即興は刹那的な音楽形態なのでしょう。調性の軸から飛び出して、復讐にも似たすごみを持って僕らを挑発してくる。

しかし、ブランドンのギターからは陰鬱な音は一切響いてこない。代わりに僕らは覚醒をふりまく霧に包まれる。視覚的なグリッドは消えうせて、背筋のすっと伸びた高貴で品格のある音がそこにはあるのだ。
ブランドンの内包するイメージが音声を刻印してファンタジーとなり、そしてパペットとなり、音のレトリックではない純粋なものとして、空中で仲良く会話している。楽しめる。

僕の経験から言っても、ミニマムな音楽にはそんな楽しみがあるのです。

 

ブランドン・ロス
ギタリスト、シンガー、作曲家。カサンドラ・ ウィルソンのグラミー受賞アルバム『ニュー・ムーン・ドーター』をディレクションした音楽家として知られる。70年代のロフトジャズ・ムーブメントを経 由、ニューヨークとシカゴが混ざり合う熱いジャズのコアで育つ。ソプラノ・ギターと呼ばれるギターを使い、特殊な音響空間を造りだす。アーリー・ブルー ス、MPB、シカゴジャズの香りが混ざり合うエキセントリックなスタイルは、キップ・ハンランハン、ミシェロ・ンデゲオチェロといったアーティスト、 9.11以降のNYのインテリジェンスを刺激する注目のアーティスト。

インタビュー