IT'S A WONDERFUL WORLD――耳で聴いたピープル・トゥリー~オリジナル・ラブをめぐる音楽の果実たち(Part 1)
70年代後半に起こったパンク革命は80年代にニューウェイヴへと形を変え、さまざまなイノヴェーションが行われていた。その中には〈60年代〉に金脈を発見した若者たちがいて、世界同時多発的にその音楽性を追究していった。グリーン・オン・レッド、レイン・パレード、スリー・オクロックといったUSのバンドによるムーヴメント、ペイズリー・アンダーグラウンド。リヴァプールの〈エリックの店〉に集っていたエコー&ザ・バニーメン、ティアドロップ・エクスプローズといった面々。そしてここ日本でも、若き田島をはじめ、後に名オムニバス『Attack Of The Mushroom People!』へと集結する若者たちがその活動を開始していた。ネオGSという文脈で語られがちな彼らは、正しくはガレージ・コンピ・シリーズの草分け〈Nuggets〉と〈Pebbles〉の息子たちであった。そこから学んだ〈過去から現代の自分たちにフィットする音源を発掘する〉スキルを磨くのにとどまらず、自身たちの演奏で理想を追求するロックンロール・エリートだったのである。小西康陽に〈東京にこんなスゴい人たちがいるのか……〉と言わしめるだけの才能が瞬間的に集っていたというわけだ。THE STRIKES、THE COLLECTORS、後にロッテン・ハッツ~ヒックスヴィル/Great 3と発展していくメンバーたち──。
87年にサイケデリック色の強いTHE RED CURTAINの名を捨てた田島の興味は60sガレージにとどまることなく、どんどんとその領域を広げていった。その未開拓のジャンルのひとつにソウル・ミュージックがあった。88年リリースの、田島加入後初作となるピチカート・ファイヴのセカンド『Bellissima!』は、数々のソウル・セインツへのリスペクトにあふれたアルバムとなった。そのアティテュードが一部ソウル・ファンを異常にいらつかせたものの、その一方で、この新しい東京のソウル・ミュージックに熱狂した耳の早い若者たちが、田島とピチカートの名を深く胸に刻んだのであった。
▼関連盤を紹介。
左から、オムニバス『Nuggets(Original Artyfacts From The First Psychedelic Era 1965-1968)』(Rhino)、THE STRIKESの87年作『THE MAN WITH THE GOLDEN RAMROD』(ヴィヴィド)、THE COLLECTORSの2011年作『地球の歩き方』(コロムビア)、ピチカート・ファイヴの88年作『Bellissima!』、89年作『女王陛下のピチカート・ファイヴ』(共にソニー)