ジャン=リュック・ゴダール 、 フランソワ・トリュフォー、グラウベル・ローシャ(2)
カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2011年07月11日 12:33
更新: 2011年07月19日 17:48
ソース: intoxicate vol.92 (2011年6月20日発行)
text:Ayuo
ブラジルではヌーヴェル・ヴァーグと同時期にシネマ・ノーヴォと言われているムーヴメントがあった。その代表的な監督、グラウベル・ローシャの映画が5本上映される。今回日本初公開となる1962年の『バラベント』観ていてすごく楽しくなる映画だった。バイーア地方のカンドンブレの踊りと音楽が全面的流れているエネルギッシュな映画だ。映画の最初はずうっとカンドンブレの音楽と踊りを見せている。都会に出かけていた男が自分の故郷のバイーアに戻り、黒人達は古い宗教を捨てて、政治的に目覚めて解放に向かって立ち上がるべきだとアジテーションする。カンドンブレの儀式は人々をトランス状態に入れてしまう。繰り返されるドラム・パターンを叩きながら行っているために、人々は催眠にかかったようにハイになり、神々と話せたような気分になっている。そういうふうに彼は村の人々に話しかけるが無視される。映画そのものは、そのカンドンブレの音楽や踊り、そしてハイチのブードゥーに通じるような儀式を見事に見せている。今まで、いくつもブラジルのドキュメントを見てきたが、ここまできちんと取っているは珍しいと思う。その音楽も素晴らしいものだ。ブラジル音楽ファンにとってはこれを見逃すわけに行かないだろう。当時バイーアでのカンドンブレやリオデジャネイロでのマクンバは黒人達のコミュニティーをまとめていた。ハイチのブードゥーもプエルトリコのサンテリアもそうだが、アフリカから伝わって来た原始宗教の神々をキリスト教のイメージの後ろに影で祭っていた。そしていくつもの世代を渡り、それを伝えていた。カンドンブレやマクンバは黒人達にとって家族の延長の役割をしてきた。それが現在ブラジルの大きな都市では崩れてしまった。コミュニティーや家族が崩れてしまった後のブラジルの都会生活は『シティ・オブ・ゴッド』等の映画で見る事ができる。家族といったものが崩壊して、父親を知らないティーンエイジャーがピストルを持ってギャングに入る。ギャングに入る事が仲間になった意識を与える。僕のようにカンドンブレのような原始宗教や神話に興味を持っている人間にとっては、この都会から戻ってきた男の言っている事には疑問を持ってしまうが、時代の事を考えれば、理解できる。
グラウベル・ローシャ『バラベント』(1962)
1964年の『黒い神と白い悪魔』も僕の好きな映画だ。ホドロフスキーの『エル・トポ』にも通じる面白さがある。映画の撮り方はサイレント映画時代のエイゼンシュタインに大きな影響を受けている。顔の表情の撮り方が素晴らしい。16世紀のポルトガルから渡った貧しい農民が住む北東部舞台に、領主をはずみで殺してしまった貧しい牛飼いが妻と逃亡する。予言者として強烈な信者を集めている黒人の神父と出会い、彼らと共に渡り歩く。ブラジルの北東部の風景を歩くシーンの上にストーリーテラーのフィーリングの入ったナレーションが入る。やがて大地主や教会が殺し屋として名高いアントニオ・ダス・モルタスを雇う。とてもスムーズに作られた映画で気持ち良く観ることができる。音楽にはヴィラ=ロボスの曲も使っているが、この映画では監督ローシャの歌詞にボサノヴァ出身のセルジオ・ヒカルドが作曲して歌ったオリジナル曲が知られようになる。ナラ・レオンは自分のアルバムでその曲を録音して、最近でもカエターノ・ヴェローゾがその曲から一節引用している。
グラウベル・ローシャ『黒い神と白い悪魔』(1964)