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特集

K-POPの遠近法/ グローバル・ポップの新しい地平(3)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年05月23日 13:15

更新: 2011年05月23日 18:36

ソース: intoxicate vol.91 (2011年4月20日発行)

なんにせよ見誤ってはいけないのは、K-POPの商品は、たまたま日本と韓国の二国間でやりとりされることになった「ドメスティック・プロダクト」ではないという点だ。それは戦略的に一貫して「グローバル・プロダクト」なのだ。日本は、中国、タイ、シンガポールといったアジア諸国や欧米諸国、さらには中東からメキシコ、ブラジルにまで広がる数多い営業先のひとつにすぎない。そうした認識のもと、ぼくらはそろそろ、世界ときちんと向き合うための新たなパースペクティブを用意すべきではないのだろうか。

願わくば、まずは、この日本で今何が一番聴かれているのかがフラットにわかる、インターナショナルなチャートをどこか用意してくれないだろうか。国内のレコード会社が関与していないとその数字が反映されないようなものでも、レコード会社のプロモーションツールでしかないようなものではなく、輸入盤も国内盤も、J-POPも、K-POPも、欧米の音楽も、純然たる売り上げによって等価に評価されるような「グローバル・ポップチャート」。アジア、欧米の動向と連動しながら、AKBや嵐、ガガやBEPに並んで、少女時代やBIG BANGが肩を並べて登場するようなチャートがあるだけで、なんだか風通しがいい感じがするじゃないか。

すでに日本のティーンエイジャーたちの間では、K-POPは、ひとつの「実体」として根付きつつあるという。知人の高校1年の娘さんに聞いてみたところ、クラスの女子の「97%」がK-POPを聴いているというし、カラオケにハングルが混じりさえするそうだ。彼女自身目下ハングルを猛勉強中というが、それはそのまま「歌詞から英語を学んだ」というビートルズ世代お得意の「美談」の最新型なのだ。ぼくらが長いことそのなかで生きてきた「洋楽」「邦楽」といった区分や、音楽業界の意向などはお構いなしに、K-POPの浸透は世界に対する新しい距離感をもたらし、日本人の「現実」を確実に変えている。その新しい現実を音楽に即して言うならば、「グローバル・ポップの新しい地平が見えてきた」、と、ぼくは希望的に解釈してみたい。

K-POPを通してぼくらは、西洋だけが「世界」ではないという環境にいまさらながらリアルに直面している。そして、傍観するばかりでなく「世界」の一部としてそこに参加することが求められているのは、何も音楽産業にかぎった話ではないはずだ。その意味でK-POPは、日本全体にとってひとつの試金石といえるのかもしれない。それを産業として健全に根付かせ、消費者と作り手とが健全に交流できるような空間をつくれないのであれば、日本に真の意味での「グローバル化」は訪れないのではないか。おおげさかもしれないが、ぼくにはそう思えてならない。「グローバル化」の掛け声とは裏腹に、欧米の動向からもすでに大きく遅れをとっている日本が、アジアにおいても孤立するのだとしたら、最悪のシナリオは、「ガラパゴス」でさえなく、「無縁死」なのではないだろうか。

寄稿者プロフィール
若林恵(わかばやし・けい)
:フリーエディター。アイドルなら少女時代のYuri。愛聴盤なら「GD&TOP」「Ra.D/Real Collabo」。Youtubeなら「少女時代+2PM/Cabi Song」でカラオケなら「2NE1/アッパ」というのがここ最近のK的日常。グローバルってことなら南アの天才Black Coffeeとアルメニアの天才Tigran Hamasyanがおもろくてよく聴いてます。世界は広くて楽しいっす。

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