フュージョンが夢見たもの(3)
日本を振り返ると、先述のようにT-SQUAREやカシオペアが、ジャズという枠、あるいはさらにフュージョンという枠をも超えてインストゥルメンタルの人気バンドとして君臨したが、むろん、それだけではない。渡辺貞夫、日野皓正たちも海外の優れたスタジオ・ミュージシャンとの共同作業で、かつてない広範なファンを獲得し、その頂点に立った。そして、ここで忘れてはならないのが、菊地雅章の存在で、マイルス・デイヴィスやギル・エヴァンスの近くにいた菊地は、もっとも斬新で先端を行くこの時代の音楽を実現した日本のジャズのベテランであった。
しかし、フュージョンというこの時代の空気をもっとも体現したのは、渡辺香津美とその周辺の仲間、清水靖晃、あるいは橋本一子らの新しい才能であったと思う。彼らは音楽を収斂させるのではなく、居場所を変え、未体験の枠の中に自分を放り出す。けれど何処に向かおうとも、彼らの前には音楽の謎のようなものが横たわっている。また彼らは職人的でもあり、技術への妥協はない。両面で彼らは表現に貪欲な世代だった。
当然彼らの後継者と呼びたい世代も育っている。ただ、その関心の広がりが時代とともに変化していて、単に後継者と呼ぶのは相応しくないかもしれない。今、前線にいる彼らは、ジャズと直接的な接点をもっていた渡辺香津美らとは違って、すでに距離を置いて見れる世代ということも重要だ。それが逆に即興音楽への関心やジャズのフォーマットへの新しい視点も生んでいる。新しいリズミックな多様性も包含しながら、むしろ、形式的なアプローチを拠りどころとしているという意味では、ジャズの本来の姿なのかもしれない。
それをジャズと呼ぶかどうかは別の問題として、こうした新しい時代の新しい音楽が次々と出現したのは、おそらくジャズには様々なものをつなぐ道具があったからだと思う。また、そうした経験もジャズの歴史にはたくさん刻まれている。この無謀さを支えたジャズの道具は、単に音楽的な汎用性に飛んだ理論ではなく、むしろ、感覚的な想像力の種のようなものと言いたくなる。フュージョンと呼ばれる時代が始まった1970年代は、世界の多元性が一元性に向かう大きな津波にさらされた時代で、そこに広がった荒地、そして、これからも広がり続けるであろうその新しい土地を耕すために、まだまだその道具は有効であり続けるだろう。
寄稿者プロフィール
青木和富(あおき・かずとみ)
最近、AKB48にはまっていると公言し周囲を心配、いや、あわてさせている。きっかけは中島哲也監督の《Beginner》のPV(とくに公開がとりやめになった正規版)で、観ることを薦めるが、その後の反応はない。専門家はつまらないとあらためて思う。
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カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2011年05月17日 21:47
更新: 2011年05月17日 22:12
ソース: intoxicate vol.91 (2011年4月20日発行)