THE YOUNG AND THE USELESS――ビースティ登場の背景にあった音楽たちと、リック・ルービンの功績
よくロック的と称されるBBだが果たしてそうだろうか? 結成された当時の彼らは、CBGBといったライヴハウスで、バッド・ブレインズやレーガン・ユースのようなハードコア~パンク・シーンで動いていた。同じように、アドロックことアダム・ホロヴィッツが高校の親友デイヴ・スキルケン(後にATCQの初作のヴィジュアルを担当)と結成したヤング・アンド・ザ・ユースレスはBB以上にアートコア界隈で人気を博し、PILの前座を務めたこともあったそうだ。
そんな面々があっさりと楽器を脇に置いたのは、よく説明される言葉をそのまま使えば〈新しいパンク〉としてのエナジーに溢れたヒップホップに魅了されたのだろう。それは〈新しいロック〉としてのヒップホップに心惹かれたリック・ルービンと重なる部分でもあった。リックが自分でラップ・レコードをプロデュースすべく、ジャジー・ジェイとT・ラ・ロックを引き合わせてデフ・ジャム(この時点ではまだリックが勝手に名乗った架空のレーベルだった)最初の12インチ“It's Yours”(84年)を録音した際には、アドロックも居合わせていた。その後“It's Yours”を聴いたラッセル・シモンズがリックと手を組んで、デフ・ジャムを会社化するわけだから、BBはデフ・ジャム誕生以前からのデフ・ジャム・ファミリーだったとも言える。
が、リックがランDMCなどを手掛けて志向を固めていくなかで、その大衆的なロック観とBBのパンク気質がズレていったのは明白だ。HR/HM系のネタも、モーターヘッドのライヴ盤から表題を引用した“No Sleep Till Brooklyn”も、スクール・ロック風の“Fight For Your Right”(ギターはスレイヤーのケリー・キング)も根本的にはリックのアイデアだったのだろう。確かに以降のビースティは(ラウドではあっても)ハード&ヘヴィー方面への目配せを行っていない。センス勝負なパンクスの彼らを仕切れる真の意味でのプロデューサーは、これまでに一人しかいなかったということだ。
▼関連盤を一部作品。
左から、レーガン・ユースの編集盤『Punk Rock New York』(Lovecat)、パブリック・イメージ・リミテッドの78年作『Public Image Limited』(Virgin)、ランDMCのベスト盤『Ultimate Run–D.M.C.』(Arista)、モーターヘッドのライヴ盤『No Sleep 'Til Hammersmith』(Bronze)、スレイヤーの86年作『Reign In Blood』(Def Jam)
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