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特集

BEASTIE BOYS

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2011年04月27日 17:59

ソース: bounce 331号 (2011年4月25日発行)

文/高橋芳朗

 

アドロック、44歳。マイクD、45歳。MCA、46歳。アドロックとMCAの頭にはだいぶ白いものが目立ってきたし、マイクはちょっと笑っただけでも顔がシワだらけになる。もはや、ビースティ・ボーイズの3人はそのやんちゃなグループ名に似つかわしくない風貌になりつつあるけれど、そんな見た目に反して、連中のあの憎々しい感じは20年前と比べてもあんまり変わっていない。前よりいくぶんマシになったとはいえ、インタヴュー中の悪ふざけぶりも相変わらず。基本的にはまともに取り合ってくれないし、なにをしゃべってもマジなのかふざけているのか判別しにくいところがあるから、本当にタチが悪い。MCAの唾液腺癌治療に伴ってリリース延期になっていた今回のニュー・アルバム『Hot Sauce Committee Pt. 2』に関する以下の発言も、果たしてどこまでが本当なのやら。

「『Hot Sauce Committee Pt. 2』は、あえて言うならデビュー・アルバムの『Licensed To Ill』(86年)の前身になるような作品なんだ。時間軸的にもあのアルバムの前に位置づけられる。俺たちの作品を順番に聴いてみようってことになったら、まずはハードコア・レコードの『Polly Wog Stew EP』(82年)を聴くだろ? それから“Cooky Puss”(83年)の12インチにいく。そのあとに今回の新作を聴くべきなんだ。それから『Licensed To Ill』だね。全体像やストーリーを知るためには、『Hot Sauce Committee Pt. 2』はまさにこのポジションにはまるわけさ」(MCA)。

 

あんなクレイジーな音楽

MCAのコメントに応じて時計を巻き戻していくと、ビースティ・ボーイズの結成は81年にまで遡る。当初はヴォーカルにマイクD、ベースにMCA、ドラムスにケイト・シェレンバック(ルシャス・ジャクソン)、ギターにジョン・ベリー(ビッグ・ファット・ラヴ)という編成で活動していたが、83年になって脱退したジョンの代わりにヤング・アンド・ザ・ユースレスの一員だったアドロックが加入。それと共に彼らは楽器を手放し、ハードコア・バンドからヒップホップ・トリオへと変貌を遂げる。そして、そんなヒップホップへと傾倒していったビースティの初代DJを務めることになったのが、アドロックの友人を介して知り合ったハード・ロック好きの青年、リック・ルービンだ。ビースティはルービンがラッセル・シモンズと興したデフ・ジャム・レコーディングスと契約を交わすと、彼との共同プロデュースでシングル“Rock Hard”を制作。AC/DC“Back In Black”をサンプリングしたこの痛快なレコードのアイデアをブラッシュアップして、歴史的なファースト・アルバム『Licensed To Ill』を作り上げた。

ヒップホップのグルーヴにハード・ロックの暴力性とパンクの初期衝動性を滲ませた『Licensed To Ill』は、ラップ・アルバムとして史上初の全米ポップ・チャート1位を達成すると共に、本国USだけで約500万枚を超える驚異的なセールスを記録。「初めて『Licensed To Ill』を聴いたときは彼らが白人だって知らなかった。とにかく、あんなクレイジーな音楽は聴いたことがなかった。PVを観て奴らが白人だってことを知って〈これなら俺にもできる!〉と思ったんだ」というエミネム(当時14歳)の回想からも汲み取れるように、ビースティは一躍時代の寵児となったわけだが、レーベル首脳陣との不和からあっさりデフ・ジャムを離脱。88年2月には水面下で交渉を続けていたキャピトルへの移籍が成立する。

 

 

「88年の初頭にLAのパーティーに行ったんだけど、そこでは聴いたことのない音楽がかかってた。同時に4枚のブレイクビーツをかけてる感じだったな。そこで会ったばかりのマット・ダイク(デリシャス・ヴァイナルのCEO)の友達の友達と話していて、彼に〈この音楽はなに?〉って聴いたんだ。そうしたら、自分たちが作った音楽だって言うんだよ。彼ら、ダスト・ブラザーズはそういうかっこいいループを使って、ヒップホップのトラックをたくさん作っていたんだ。山のようなサンプルを入れたり出したりしながら、彼らは100万曲ぐらい作ってたよ。パブリック・エナミーの最初のレコード以来、こんなすごい音楽は聴いたことがなかった。そんなわけで俺たちはLAに留まって、彼らといっしょに100万曲ぐらい作って……それが『Paul's Boutique』になったんだ」(アドロック)。

ルービンのいないビースティの再出発に対しては不安視する声も強かったが、“Wild Thing”や“Funky Cold Medina”などの全米TOP10ヒットを生んだトーン・ロック『Loc-ed After Dark』(88年)を手掛けて注目を集めていたダスト・ブラザーズと作ったセカンド・アルバム『Paul's Boutique』(89年)は、ヒップホップのサウンド・プロダクションの可能性を大きく押し広げるエポックメイキングな作品になった。MCAがダスト・ブラザーズのトラックを初めて聴いたときの衝撃を「音楽の層の上にまた層が乗っていて、とてもリッチなんだ」と語っていることにほのめかされているが、ここで彼らがサンプリング使用した楽曲は実に100曲以上。その壮大なコラージュ・アートはローリング・ストーン誌で〈ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』のヒップホップ・ヴァージョン〉と評された。全米ポップ・チャートで最高14位に止まった『Paul's Boutique』は『Licensed To Ill』のような大きなヒットにこそ結びつかなかったものの、NME誌のレヴューで最高得点の10点満点をマークするなど、批評家筋からは高い評価を獲得するに至っている。

 

 

 

時代の寵児として

「『Paul's Boutique』ではサンプリングでできることをやり尽くした、と言っていいかはわからないけど、それに近いところまではいったって自負してる。だから、次のアルバムですぐにそれと同じ方向には引き返したくなかった。まず俺たちはアドロックの家で楽器のセッティングをして、ジャム・セッションを始めたんだ。それがそのまま『Check Your Head』の原型になった。その頃は各々LAにアパートを持っていたけど、ドラムもアンプも足りなくてね。そんなこともあって、みんなでいっしょにやりはじめたんだ」(マイクD)。

『Paul's Boutique』のリリース後、新たにカリフォルニアのアトウォーターヴィレッジに位置するG・サン・スタジオに拠点を構えたビースティは、サンプリング・アートのひとつの到達点ともいえる『Paul's Boutique』と真逆のアプローチで次のアルバムの制作に着手する。ふたたび楽器を手にした3人といっしょにスタジオ入りしたのは、後にベック『Odelay』(96年)やジャック・ジョンソン『On And On』(2003年)などのプロデュースで知られることになるマリオ・カルダートJr、そしてダスト・ブラザーズを通じて知り合った日系人キーボード奏者のマニー・マークら。彼らとの奔放で長時間に渡るセッションの果てに完成したサード・アルバム『Check Your Head』(92年)は、収録曲の半数近くがインストゥルメンタルなうえ、原点回帰ともいえるハードコア・パンクやミーターズばりのアーシーなファンクも含むチャレンジングな内容だったが、ファズボックスを駆使したチープなプロダクションに代表される混沌とした佇まいは折からのローファイ・ムーヴメントやオルタナティヴ・ヒップホップの台頭に見事に呼応。マークやエリック・ボボ(のちにサイプレス・ヒルに加入)らを引き連れた5年ぶりのワールド・ツアーも大成功を収め、アルバムの全米セールスは最終的に200万枚を突破する。

「『Check Your Head』以前の彼らはシャイだったというわけではないけど、このアルバムを完成させてからビースティはすごく自信を持ったと思うんだ。自分たちでなんでもできるってことが彼らにもわかったのさ」(マニー・マーク)。

 

 

初めて自分たちがイニシアティヴを取って作り上げた『Check Your Head』は、その後パーマネント化するサポート・メンバーがほぼ勢揃いしたこと、ジャケットにグランド・ロイヤルのロゴが初登場したことなども含め、ビースティのキャリアにおいて非常に重要な意味を持つアルバムになったわけだが、ここで得た自信は彼らの活動をより大胆にさせ、ビースティをストリート・カルチャーのアイコンへと押し上げることにも繋がっている。DFLやBS2000、カントリー・マイクなど遊び心たっぷりなサイド・プロジェクトの活発化、ルシャス・ジャクソンやベン・リーといったユニークなタレントを次々と輩出したグランド・ロイヤルの運営、マニアックな特集記事で人気を博した「Grand Royal Magazine」の創刊、チベットの解放を訴えた〈チベタン・フリーダム・コンサート〉の開催など、その多彩で精力的な活動の数々は枚挙に暇がないほど。こうした動きに基づくビースティの圧倒的な存在感は、グランド・ロイヤル始動後最初のアルバムとなった『Ill Communication』(94年)、DJハリケーンに代わってミックス・マスター・マイクを正DJに迎えた『Hello Nasty』(98年)、〈9.11〉テロを踏まえたホームタウンNYへのトリビュート作『To The 5 Boroughs』(2004年)と、以降3枚のアルバムがすべて全米1位/プラチナム・セールスに輝いている事実から窺い知ることができると思う。

 

破天荒なまま、円熟へ

「『Hot Sauce Committee Pt. 2』の制作期間は1年半から2年ぐらいかな? 『The Mix-Up』が完成した頃、俺たちはすぐにヴォーカルの入ったアルバムを作ろうってモードだったんだ。少しツアーをして、その合間を利用していろいろ新しい曲を作りはじめた。結構な量のマテリアルが揃ったんだけど、それでも俺たちはどんどん曲を作り続けたんだ。あまりにもたくさんの曲を書きすぎて、アルバム2枚分くらいの素材が出来上がったよ」(MCA)。

グラミー賞の最優秀インストゥルメンタル・アルバム部門を受賞した『The Mix-Up』(2007年)から4年ぶり、純然たるラップ・アルバムとしては『To The 5 Boroughs』以来、実に7年ぶりとなる新作『Hot Sauce Committee Pt. 2』。しぶといオールド・スクール・ヒップホップ趣味を見せつけるリード・シングル“Make Some Noise”やスタンダードなNYハードコア・パンクの良さを再確認させられる“Lee Majors Come Again”に加え、サンティゴールドを迎えてポスト・パンク的な切り口からスカに挑んだ“Don't Play No Game That I Can't Win”のような曲もある今回のニュー・アルバムは、彼らの足跡を振り返ったうえで聴いてみると確かに『Licensed To Ill』の前に置いてもしっくりくるし、それは今年で結成30周年を迎えるグループの集大成と受け止めることもできる。ここにきて破天荒さと円熟味が同居したような唯一無二の境地に到達したビースティ・ボーイズの音楽がいったいどんな変遷を遂げていくことになるのか、ガン治療を続けるMCAの病状と併せて注視していきたい。

 

▼ビースティ・ボーイズの編集盤。

左から、インスト曲を集めた96年の『The In Sound From Way Out!』、99年の2枚組ベスト盤『Anthology: The Sounds Of Science』(共にGrand Royal/Capitol)、2005年のシングル集『Solid Gold Hits』(Capitol)

 

▼ビースティ・ボーイズのDVD作品。

左から、「Video Anthology」(EMI Music Japan)、「ビースティ・ボーイズ 撮られっぱなし天国 スペシャル・エディション」(角川エンタテインメント)

 

▼『Hot Sauce Committee Pt.2』の関連盤を紹介。

左から、客演したナズの2009年作『  』(Def Jam)、サンティゴールドの2008年作『Santogold』(Downtown)、エンジニアを担当したズダールのミックスによるフェニックスの2009年作『Wolfgang Amadeus Phoenix』(Ghettoblaster/V2)

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