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映画『ブラック・スワン』と 映画『ダンシング・チャップリン』(3)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年04月20日 20:36

更新: 2011年04月20日 21:09

ソース: intoxicate vol.91 (2011年4月20日発行)

映画『ダンシング・チャップリン』は周防正行監督が妻である草刈民代への、バレリーナとしてのキャリアを引退するはなむけとして、彼女が長年にわたり信頼関係を築いてきた世界的振付家、ローラン・プティの手がけた同名のバレエを映画化した作品だ。劇中劇のような映画的手法でフィクション仕立てにしなかったところに、監督のバレエに対する敬意と、周防家のパワーバランスがうかがい知れて好ましい。第1幕ではバレエと映画の製作過程の舞台裏を、第2幕では完成したバレエを、いずれも〈等身大〉で見せる。この等身大というのが大事で、熟成期のダンサーたちが肉体的な限界に挑戦しながらも、無理をせず、要所要所で〈大人の決断〉をする場面が全編に見られる。草刈は一流のソリストだがダンサーとしての全盛期を過ぎているし、パートナーのルイジ・ボニーノも、チャップリン役は長年踊り続けたあたり役とはいえ、60歳の現役ダンサーだ。その2人が、90歳近い現役振付家であるプティの教えに忠実に、さらに人生経験によって培われた新味を加えながら、このほろ苦い哀感に満ちたバレエをつくりあげていく。

映画『ダンシング・チャップリン』
4/16(土)銀座テアトルシネマ他全国ロードショー

プティは1940年代に『若者と死』『カルメン』といった作品で、一躍バレエ界の寵児となり、妻のジジ・ジャンメールと共にハリウッド映画への出演やミュージカル映画の振付にも進出した〈モダンバレエ〉の先駆者である。なかでもこの『ダンシング・チャップリン』という演目が〈モダン〉の極みであるのは、チャップリンが表現しようとした、権力者に対する軽妙洒脱な皮肉や、暗黒時代の閉塞感からの脱出願望を、舞台ならではの虚構性とダンサーの超技巧によって、よりヴィヴィッドに、スタイリッシュに再現したことによる。

たとえば第1幕の冒頭の場面で、最も重要なパートである『街の灯』の振付を、ルイジが草刈に文字通り手とり足とり伝えていく。盲目の花売り娘は、先行きの見えない不安な時代の象徴であり、チャップリンは娘を、希望に満ちた想像の世界へと導こうとする。このパ・ドゥ・ドゥは、男性ダンサーが自らの四肢を天国へと続く階段のように駆使し、おそるおそる手探りで近づく女性ダンサーを高みへと連れていく緻密な振付が素晴らしく、クラシックバレエの形式を鮮やかに逸脱したものであった。

もう1つの見どころは、映画『ライムライト』から着想された〈空中のバリエーション〉のリハーサル風景である。これは男性ダンサーが、女性ダンサーの身体を長時間、まるで宙に浮かぶように軽やかにリフトしなければならないシーンで、彼の顔はずっとチュチュのスカートのなかに埋もれっぱなし。いくら女性ダンサー中心の時代が長かったバレエでも、ちょっと気の毒な、縁の下の力持ち的役どころだ。体型の相性もあるだろうが、若い男性ダンサーの経験不足で、何度練習を重ねても草刈の身体をしっかりと安定させられない、というハプニングがおこる。製作予算とのせめぎ合いのなかで、監督と草刈とプロデューサーは、あくまで映像の効果を優先して、ダンサーを交替させることを決める。この苦渋の決断には、舞台と映画という性質の違う芸術表現を熟知して臨んだ者がそなえた、冷静さと成熟があった。緊迫した空気が流れる稽古場。動揺を抑えて率直なコミュニケーションをとろうとする草刈。たえずおどけた表情や仕草をまじえ、ダンサーならでは身体言語で出演者やスタッフを元気づけるルイジ。あらゆるクリエーションの現場で起こりがちな、この種のトラブルをどのように解決するのか。ダンスや映像に関わる者でなくとも、ぐっと身を乗り出す場面である。

映画『ダンシング・チャップリン』の試写を観たのは震災の数日後だった。必要以上に不安と感動を煽ろうとする映像や情報が氾濫するなかで、ほっとさせられたのは、この作品が現実離れした世界を描いているからではない。バレエダンサーの凛とした崇高な精神、そして芸術家としての揺るぎない誇りに満ちた姿勢が、少なからず安静をもたらしてくれたことに、感謝せずにはいられなかったのだ。


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映画『ブラック・スワン/BLACK SWAN』
監督:ダーレン・アロノフスキー 出演:ナタリー・ポートマン/ヴァンサン・カッセル/ミラ・クニス/バーバラ・ハーシー/ウイノナ・ライダー 音楽スーパーバイザー:ジム・ブラック/ゲイブ・ヒルファー 音楽:クリント・マンセル
配給:20世紀フォックス映画(2010年 アメリカ)
http://movies2.foxjapan.com/blackswan/
5/11(水)TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー


©2011フジテレビジョン/東宝/アルタミラピクチャーズ/電通/スオズ
映画『ダンシング・チャップリン/DANCING CHAPLIN』
監督・構成・エグゼクティブプロデューサー:周防正行振付:ローラン・プティ 音楽:チャールズ・チャップリン/フィオレンツォ・カルピ/J.S.バッハ/周防義和
出演:ルイジ・ボニーノ/草刈民代/ユージン・チャップリン/ローラン・プティ 
配給:アルタミラピクチャーズ(2011年 日本)
http://www.dancing-chaplin.jp
4/16(土)銀座テアトルシネマ他全国ロードショー

寄稿者プロフィール:住吉智恵 (すみよし・ちえ)
東京生まれ。アートライターとして「BRUTUS」「FIGARO」「東京人」などに芸術文化をめぐる記事を執筆する傍ら、恵比寿のNADiff A/P/A/R/Tにてアートスペース&カフェTRAUMARISを主宰。横浜ダンスコレクションEXにて審査員も務める。昨秋、webアート文芸誌「TRAUMARIS|BOOK」創刊。
http://www.traumaris.jp

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