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映画『ブラック・スワン』と 映画『ダンシング・チャップリン』(2)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年04月20日 20:36

更新: 2011年04月20日 21:09

ソース: intoxicate vol.91 (2011年4月20日発行)

text:住吉智恵

映画『ブラック・スワン』の最大の見どころは〈芸術的探求の生贄〉というボーダレスなテーマと、近年ますます怪女優ぶりがめざましいナタリー・ポートマンの身体を張った熱演にある。前作『レスラー』で落ちぶれたプロレスラーの孤独を描いた、ブルックリン生まれのアロノフスキー監督の演出は申し分なく露悪的で、劇画タッチのドラマを期待する観客を裏切らない。ニューヨークシティバレエ団の全面協力を得て、物語は一見リアルに、ときに誇張されて進行する。斬新な演出をほどこした『白鳥の湖』の新しい主役の座をめぐる冷ややかな争いのなかで、ポートマン扮するヒロインを待ち受けるのは、バレエカンパニーの政治的内情、女たらしの振付家とのかけひき、セクシーで挑発的なライバルとの心理戦、ついえた夢を娘に託すファナティックな母親、とお約束どおりの試練だ。不安と猜疑心という〈見えない敵〉に怯えるポートマンの眉間から、終始消えることのない険しい縦じわを見ているだけで、神経がちりちりと焼かれるような苛立ちを覚える。そんなサイコスリラー仕立てでも、本作が陳腐に陥りすぎない圧倒的な理由は、主演のポートマンが、アカデミー主演女優賞にふさわしい、その繊細な演技力を最大限に発揮し、さらにたった10ヶ月の訓練で一流のソリスト並みのアウラを身につけたことにある。

映画『ブラック・スワン』
5/11(水)TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー

チャイコフスキーの3大バレエの1つ『白鳥の湖』は、女性ダンサーの魅力をあますところなく生かすために書かれた演目といっていい。白鳥の群舞の一糸乱れぬ美しさと、白鳥の女王・オデットと悪魔の娘・黒鳥オディールの対照的な2役を1人のダンサーが演じ分ける表現力が、このバレエの〈肝〉である。英国ロイヤルバレエのお家芸としても知られ、なかでもマーゴ・フォンテーンがオデット/オディールを、ルドルフ・ヌレエフが振付とジークフリード王子を務めたバージョンは名演として名高い(DVDも発売)。近年ではマシュー・ボーンが全員男性ダンサーで上演した新解釈のゲイ・バージョンも注目された。

花嫁を決める舞踏会に現れたオディールが王子を誘惑する踊り《黒鳥のグラン・フェッテ》は、ソリストがプリンシパル(バレエ団で最高位のダンサー)にのぼりつめるための最大の難関の1つといわれる。難易度の高い技術と堂々とした威厳を求められるこの振付を、ポートマンはなんと吹き替えなしでどうにか踊りきっていた。ここで一気に、舞台裏のスキャンダラスな事件や、彼女の内面でどす黒く湧きおこる強迫観念が現実的であるどうかは、正直どうでもよくなる。それはバレエの魅力がダンサーの魅力そのものに尽きるからだ。頂点をめざす者にとって恵まれた容姿と優等生レベルの技術は前提条件であって、その上でストイックな鍛錬と自己管理によって、一流のバレリーナができあがる。その超人的ともいえるプロセスを、ハリウッド映画特有の「モンスターはどのようにしてつくられるのか」という視点で描きだしたのがこの映画だ。小動物のように臆病でフラジャイルなダンサーが、彼女のキャパをはるかに超えた重責によって、強靭な力を獲得していくと共に、人間らしい感情やモラルを喪失し、取り憑かれたように踊り続ける〈モンスター〉へと変貌する。その無情の人生を、悪魔の呪いで白鳥に変容したオデットと、悪魔に操られる黒鳥オディールになぞらえた、激烈な心理劇。全感覚を投じれば、ショック療法にはなるかもしれない?

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