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キャプテン・ビーフハートと ミック・カーン(2)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年04月19日 21:17

更新: 2011年04月20日 16:24

ソース: intoxicate vol.90 (2011年2月20日発行)

text:畠中実

まさに「美は乱調にあり」(80年の作品、“Doc at the Radar Station” の邦題でもある)を地で行くかのようにとらえられがちな隊長の音楽は、しかし、その無秩序でフリーキーな音楽という聴こえ方とは裏腹に、それは68年の秋から翌年の春までという長期に渡る非常に厳格な、というか常軌を逸した合宿リハーサルの末に実現されているものであった。この常軌を逸した感というのは、たとえばずべての楽曲を8時間半で作曲したとか、メンバーがまったくの素人同然だった、というようなトリヴィアルなエピソードにも表れている。しかし、隊長とともにツアーも行なっていた英国前衛ロック・バンド、ヘンリー・カウのフレッド・フリスが、そうして実現された音楽に対して「徹頭徹尾コントロールされている」とし、「インプロヴィゼーションからしか立ち昇ってこないはずのパワーが制御され、恒常化され、再現可能にされている」と評しているように、たしかにそれはなにか常人には到達不可能な何かを成し遂げたのだ。その証拠に、そんな隊長の作曲した、とも言えないような複雑怪奇な楽曲を、もちろん地獄の特訓によってだが、完璧に実現してしまったマジック・バンドはザッパを嫉妬させもしたという。

Captain Beefheart

前作のスタイルを継承しつつ、やや角を落とし洗練された70年の『リック・マイ・ディカールズ・オフ、ベイビー』をへて、隊長はより自身のルーツへと回帰していくようになり、それまでに比較して前衛志向を控えめにした『スポットライト・キッド』(72年)『クリア・スポット』(73年)からさらに聴きやすくなった『アンコンディショナリー・ギャランティード』や『ブルージーンズ・アンド・ムーンビームズ』(ともに74年)は、それゆえコアなファンからは当たり前の音楽に分類できてしまう駄作と看做されていたりもする。わたしはこの頃の作品も、どれも愛聴しているが、たしかにそれは経済的な理由による方向転換でもあったという。不仲説も浮上した、75年のザッパとの共演作『狂気のボンゴ』、結局はお蔵入りした76年の『Bat Chain Puller』をへて、一時は日和見主義に走ったのかと思わせた隊長が再度前衛志向を復活させるのがパンク、ニュー・ウェーヴの時代である。というよりは、パンク、ニュー・ウェーヴに対して、「恥を知れ」「情けない」「まったく気にしていない」としかコメントしていないのでどの程度意識していたのかはわからない。ただ、隊長自身がオリジネーターであるという意識はあったようだ。

それにしても、発売元がヴァージンだったこともあってか、隊長のパンク以降の音楽(特に英国NW)への影響たるや、計り知れないものがある。日本では町田町蔵(町田康)の隊長好きはよく知られるところだろう。初期のペル・ユビュやフォール、バースデイ・パーティなどにはその影響が顕著であるし、ポップ・グループなどはかつての隊長のテンションを彷彿させるものがあった。89年には、やはり隊長好きで知られているアンディ・パートリッジ率いるXTCがシングルで『トラウト・マスク・レプリカ』所収の「エラ・グル」を完コピで録音していたりもする。

60年代の隊長と並んで人気が高いのがこのヴァージン、NW期の隊長ではないか(ゆえに今回のヴァージン期の国内初CD化はめでたい)。お蔵入りした『Bat Chain Puller』のリメイク『シャイニー・ビースト』(78年)、『美は乱調にあり』、『烏と案山子とアイスクリーム』の三枚は、かつての『トラウト・マスク・レプリカ』を彷彿とさせながら、同時代的なアップデートを施された、どれも今の耳で聴いてもまったく古びるどころか輝きを増しているし、これからも時代を超越した、真にオリジナルな音楽であり続けるだろう。



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