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〈KAAT〉神奈川芸術劇場(2)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年03月04日 19:46

更新: 2011年03月04日 20:19

ソース: intoxicate vol.90 (2011年2月20日発行)

text:片山杜秀

●心中は自由への道行だ!


©Courtesy of Hiroshi Sugimoto

まず徳兵衛君であります。元禄16年ですから西暦で申すと1703年の4月7日、ご存じの通り、大坂の曾根崎天神の境内で、お初さんと心中いたしました。

彼は醤油屋の手代で、遊女のお初さんと相思相愛の仲でした。が、お初さんに身請け話が持ち上がり、徳兵衛君には醤油屋の御主人から縁談が持ち込まれました。どちらも断れる筋合いではない。そこで心中です。徳兵衛君とお初さんに限らず、この時代は、毎年二桁のペースで心中が続き、『心中大鑑』などという心中者の名鑑も発売されました。心中が時代の流行だったのです。

この曾根崎の事件を素早く人形浄瑠璃に仕立てたのが近松門左衛門先生です。『曾根崎心中』が大坂で世界初演されたのは5月7日。心中からまるひとつきしか経っておりません。まさに時事演劇です。今日のテレビドラマや演劇でも事件が起きて一か月後にもうやっているなんてことは滅多にないでしょう。

でも近松先生の偉大さは、単に時事ネタをすかさず芝居にしたことにあるのではない。それだけならブログや夕刊紙や週刊誌に任せておけばいい。先生の凄いのは心中の意味づけ方であります。心中を単なる異常な色恋沙汰とは考えない。八方塞がりになったあげくの情けない死とも思わない。

ズバリ、先生にとって心中とは旅であります。しかも、行き場をなくしたはぐれ者の、みじめな旅では決してない。義理としがらみに支配された窮屈で矮小な世間から、人間の自由な色恋を誰も邪魔できない理想郷への道行。それが心中だ! 近松先生は叫ぶのであります。自由恋愛に目覚めた男女が束縛多き不自由な現世から脱出しようと素晴らしき旅をする。その道行の天国的快感を演劇的・音楽的快感と二重写しにしよう。近松先生のエネルギーはただその一点にのみ注がれております。

不自由から自由への脱出。このテーマは近松先生に限らない。人間永遠の課題です。芥川君もおりんさんも同じテーマを背負っている。けれども近松先生が活躍し、心中の多発した元禄期とは、士農工商の身分制度が定着し、人間分相応が肝要、家の体面が何より大切などなど、社会倫理が再編された時期にあたっていたということは、強調されておかねばなりません。以前の戦国時代よりもさらにずっと不自由になりつつあったのです。逃げたい思いもひときわ募りました。

●「観音廻り」がないとダメ!

けれど『曾根崎心中』のたどり着くところはやっぱり心中。死であります。暗いなあ。さみしいなあ。死んだらおしまいだ。それが自由のユートピアへの旅と本当に言えるのか。近松先生は言えると仰る。なぜなら『曾根崎心中』は聖なる力に支えられているからです。

『曾根崎心中』はこう始まる。「げにや安楽世界より今この娑婆に示現して我らがための観世音……」。不自由な娑婆に安楽世界から観世音菩薩が助けに来てくれている。その力にすがって安楽世界に脱出できるように大坂の社寺を三十三か所めぐって祈ろう。近松先生は「観音廻り」と呼ばれる三十三か所めぐりの場面でお芝居をはじめる。「観音廻り」は当時の大坂人の憂き世を忘れるための娯楽でありました。ユートピアへの旅の一種のシミュレーション遊戯でありました。疑似体験です。先生はそれを取り入れて『曾根崎心中』の序曲としました。

そしてフィナーレは本当の心中の道行。ただ男女が情死するのではない。「南無阿弥陀仏」を執拗に連呼しての聖なる旅であります。舞台は曾根崎天神の聖なる森。わざわざそこに行って死ぬ。聖なる森は安楽世界への入口に他なりません。積極的な旅であります。序曲とフィナーレの聖なる旅が不自由な娑婆をサンドウィッチにして押し潰す。ざまあみろ、逃げ出しちゃったよ。これが『曾根崎心中』の作意でありましょう。

本当に死ぬ死ぬ、死ぬだけの芝居だと考えては元も子もない。心中は自由への熱烈な意志的な旅の暗喩にすぎない。実は死んでいないんだ。観音さまの御利益で現世を脱出し生きるんだ。現に徳兵衛君は21号室で今も生きております。

ところが後世の馬鹿者たちは近松先生の意図を理解できなかった。最後の心中場があれば頭の「観音廻り」は余計だろうとカットして上演するのが当たり前になった。それでは聖なる旅の重みや意味深さが感じられない。「観音廻り」がなくて観音様の御利益があるか! 不自由な現実世界を挟み撃ちにして叩き潰すという戯曲の仕掛けが消えてしまう。先生はいつも怒っておられる。先生は1号室の患者ですから私はよく存じ上げているんだ。

けれども今度、横浜で「観音廻り」付きの正しい『曾根崎心中』をきちんと上演してくださるという。嬉しいではありませんか。近松先生も徳兵衛君も是非観劇したいと今から楽しみにしています。S博士の外出許可が下りればの話ですが。

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