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岡本太郎──明るいペシミスト(3)

「明るいペシミスト」、岡本太郎。などと氏のことを、この一言で言い切ってしまえば、それは違う、私はペシミストではない。と、どこからか氏の声が聞えてくるようだが、やはり僕の見解は変わらない。岡本太郎氏ほどの人物は勿論のこと、希有な存在だった。教養がありすぎて、感性が鋭すぎて、ものごとの真贋が一目で分かりすぎて、普通の人には見えないものが見えすぎて、御本人は、実は心底寂しかったに違いない。そういう人物に僕は長年の間、救われてきたのである。岡本太郎氏に関する書物等は、もうすでに沢山世の中に出回っているので、今更この僕が講釈をしても始まらないが、いつも思うことがある。岡本太郎氏の、この頑健なる精神。何事にも微動だにせず、己の筋を通す強さ。それらの成分の上に形成された本物のジェントルマンとしての存在感。強烈なる自我を持ちつつも、誰からも愛される雰囲気を醸し出すことのできる人格。いかなる行為に及んでも品性を失わないエレガンス。江戸っ子でフランス通であるにも関わらず、そのことを鼻に掛けないノンシャランな性格。一体全体こんな人間がいるのであろうか、という人物が岡本太郎氏そのものなのである。

©岡本太郎記念現代芸術振興財団

この「明るいペシミスト」をして、踏んづけても粉々にしても、絶望の縁でにやりと笑っているような繊細な図太さは、いったいどこからくるのだろうか。僕はやはり氏の出自と、その後の軍隊生活が、元々の図太さを、輪をかけて鍛え上げた場所ではなかったかと思うのである。そして更に、自分の誰よりも繊細で感じやすい部分を、どう守るかを学んだ場所でもあったのではないのか。氏は、第二次大戦勃発の際、ナチスの進行するパリを離れ、日本に新しい芸術をもたらすべく帰国する。だが、母国では意外なことに、徴兵検査が待っており、一兵卒として満州に送られる。何の為に絵を描くのか、という自らの疑問に答える為に、氏はパリのソルボンヌ大学にて、哲学、社会学、民俗学を修める。そして後、あの『眼球譚』の著者で思想家のジョルジュ・バタイユ(!)、筋金入りのシュルレアリストの画家達、アンドレ・ブルトン(!)、マックス・エルンスト(!)という、当時のフランスでは一流の思想家と、秘密結社を作るまでの仲となる。ここで僕の思考は停止する。否、停止したくなる。次に起きた氏の運命を想像したくないからだ。だが今回は書かざるを得ないであろう。これらずば抜けた思想家達とフランス語で議論を交わしていた氏は、残酷で筋が通らず、野卑で無知な妄想の集団であった、旧帝国陸軍の中に突っ込まれたのだ。ジョルジュ・バタイユと旧帝国陸軍。何たる隔たりだ!世界に類を見ない思想家達と悪たれ集団。世界一論理的で自由、平等、博愛を旨とする人々の世界から、世界一非論理的で不自由、不平等、人間を如何に殺すかを考える世界への転落。花のパリから、酷暑、極寒の満州の地。氏は悩んだであろう。これはどういう組み合わせだ? 何たる運命だ? アイロニーなんて生易しい言葉で言い表すことができるのか?? さながら地獄で死んだ人が行く地獄のようなところに、何故この私がいるのだ??? なぜだ──!!

岡本太郎氏は強烈に、そして猛烈にそう思ったに違いないのである。画家としてのみならず、氏は当時の日本人の中でもピカイチのインテリであり、ずば抜けて聡明だった筈である。その人物が、この人生とやらの運命を、受け入れざるを得なかった。これが岡本太郎氏でなければ、普通、頭が狂う筈でしょ? 不条理なんか遥かに通り越しているんだから。こんな極端な対比、環境の変化は、人類の歴史上初めてなんじゃないの……? それを岡本太郎氏は耐えたのだった。その強靭さはどこに起因するのか。ここで先に触れた出自のことに触れる。

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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年02月19日 18:33

更新: 2011年02月19日 19:00

ソース: intoxicate vol.90 (2011年2月20日発行)

text:南博(ジャズピアニスト)

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